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【エッセイ】早死にしたから評価されているだけ

「早死にしたから評価されているだけ」
とある本の感想に書いてあった。
果たしてそうだろうかと考えて、僕はその作品を桜に例えたくなった。
桜は美しい。
なぜそう感じるのか。
美しいうちに散り始めるからなのではないか。
まだ若く艷やかなうちに惜しまれながら華麗に、そして儚く舞うから特に美しく感じるのかもしれない。
では人も若く艶やかなうちに消えたら美しいのだろうか……。

僕はその本を買ってから読み終えるまでにかなりの時間がかかった。
まず、買ってから1年以上放置していて、そろそろ読むかと重い腰を上げて2ページ読んですぐに閉じた。
意味がわからなかった。
それからさらに1年寝かせてから、ようやくちゃんと読み始めた。
意味が分からないところは我慢して、とりあえず最後まで読むぞという気合を入れて臨んだ。
この時点で期待はしていなかった。

そんな僕に、この本は衝撃的な面白さを運んできた。
「こんな作品が世の中にあるんだ」
面白い作品と出会う度に、毎回僕はそう思う。
それと同時に
「もっと早く読んでおけばよかった」
と、後悔をする。
いつもの事である。

そして、著者紹介を読んで驚く。
最後の一文。
「2009年没。」
著者は34歳という若さで亡くなられていた。

少なくとも冒頭の本を読んだ時、僕は作者がすでに亡くなっていることを知らなかった。
それでありながら、圧倒的な熱量を文章から感じていた。
「早死にしたから評価されているだけ」と書いたその人こそが、その本と正面から向き合わず斜に構えていたのではないだろうか。

もしかしたら、死は無関係ではないかもしれない。
病床で自分の命の先が短いであろうことを感じ、だからこそ全てを惜しまずに出し切った。
それがゆえに、あそこまで熱量のある作品になったのかもしれない。
それは、早死にしたから評価されたということではなく、創作に捧げる情熱になったということだ。

桜は美しい。
それは、美しいうちに散り始めるからではなく、一所懸命に生きる花のエネルギーを感じるからなのではないだろうか。
ほとばしる力強いメッセージに感動しているのではないだろうか。
僕はその本から桜と同じ美しいエネルギーを感じた。


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