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【エッセイ】祭りのあとの静けさ

先日、久しぶりに地元のお祭りに行ってきた。
コロナ禍による制限が解除され、かつての賑わいを取り戻した祭り。
ただよう屋台の食べ物の香りでお腹がすいてくる。
アオハルを感じさせるような男女の高校生のやり取り。
小さな子どもを連れた親子の穏やかな表情。
何を食べたわけでもなかったが、祭り会場の雰囲気を感じ、空気を数だけで楽しくなってくる。
人ごみで満足に歩くことも難しいほど盛況だったが、そんな不便さも含めて祭りなんだという事を実感していた。
久しぶりのお祭りは純粋に楽しめた。

お祭りと言えば切っても切り離せないのがあの「祭りのあとの静けさ」というやつだと思う。
子どもの頃よりも敏感に感じ取ることはなくなったが、大人になってもどうしてもあの静けさが苦手だ。
楽しい時間の終わり。
寂寥とした空気。
この時間が二度と帰ってくることはないという事を強く実感する。

僕は小学生の頃にふと「この時間は二度と帰ってこないんだ」ということに気付き、こっそり泣いたことがある。
雪が深々と降る、物静かな夜のことだった。
両親はまだリビングでくつろいでおり、僕は一人でベッドに入っていた。
次々と思い出す楽しかった思い出。
これらが全て過去であり、同じ体験は二度とできない。
そんな当たり前なことが寂しくて、つらくて、声を押し殺して泣く。

みんなはこういう経験をするのだろうか。
この話を人にすると「多感だったんだね」とか「独特だね」なんて言われるが、「祭りのあとの静けさ」という感情が共通認識としてあるのなら、きっと「この時間は二度と帰ってこない」という感情だって理解してくれるはずだ。

一生懸命に物事に取り組んでいる時間や何気なく過ごしている時間、大切な人と過ごしている時間も、これを一人で黙々と書いているこの時間も、どれもこれも唯一無二でこの1回しかない。
絶対に帰ってくることはない。
だからどんな時間も愛おしく思いながら生きる。
そしてその時間に、自分の近くにいてくれる人を大切にしていきたい。

人生の「祭りのあとの静けさ」を迎えるその時まで。

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