【エッセイ】自分の名前をググる
自分の名前をググったことはあるだろうか。
僕は定期的というわけではないが、ふと思いつくとつい自分の名前をググってしまう。
別に著名な人間でもないし、実績を残したこともなく、本名でSNSは登録していないため、出てくる情報はほとんどない。
おおよそ出てくるのは大学時代に書いた共同論文(ほぼ何もしていない)の表彰くらいだった。
会社員時代は会社のHPの社員紹介で出てきていたのだが、退職してすぐに消えた。
そりゃ残しておいたら問題なわけで消すのが当たり前なのだが、なんとなく社会から一歩遠くに来てしまったような不安感と寂しさを感じたのを覚えている。
つまるところ、直近で唯一残っていた痕跡が、この大学の論文だけだった。
痕跡と言えば、僕は郵便物が好きだった。
届くと自分がここにいる事を、誰かが把握してくれているという感じがして嬉しかったのだ。
ひとり暮らしを始めて請求書などが届くようになると、それはそれで嫌だったのだが、ダイレクトメールなどが届くとやはりどこか「ここにいる」というのを証明してくれるようで安心した。
どうやら僕は何者かに「ここにいるよ」「ここに生きた証があるよ」と言われたい人間のようだ。
そんなわけだったのだがつい先日、大学の論文の表彰も消えていた。
つまりインターネットで僕の名前を検索しても、何一つ痕跡が残っていないということだ。
僕はインターネットの世界から消えた。
不思議な感覚だったのは、「明日ノしん太」で調べたらX(旧twitter)とnoteが出てきてくれたことだ。
そういうXやnoteがそういう設定だから出てくるのは当たり前なのだが、そういうことではない。
そのアカウントを使っている僕は僕なのに、本名の僕はインターネットから完全に消滅し、その代わりにもう一人の僕「明日ノしん太」が存在している。
インターネットにおける本当の僕は、いったいどっちなのだろう。
もしかしたら本名の方ではなく、明日ノしん太なのかもしれない。
明日ノしん太としては存在していい。
そう言われているような気持ちになってくる。
僕はここで、「明日ノしん太」として、明日も生きていく。