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【エッセイ】席を譲る人、譲られる人

あなたは電車などで人に席を譲ったことがあるだろうか。
あるいは譲られたことはあるだろうか。

世の中には老人や妊婦、障碍者の方など、席を必要とする人がたくさんいるが、僕は肉体的に健康な人は疲れていても率先してそういう方々に席を譲る世の中になってほしいと思っている。
たまに「老人扱いされるのがいや!」という話も聞く。そこがまたややこしいところであるが、ここで話したいのはその話ではない。

あれはもう10年以上前。
まだ僕が東京に住んでいた頃。
福島に住んでいた元カノが東京まで来てくれたことがある。
話はその帰り道の事。
彼女を東京駅まで送るために八王子駅から中央線に乗った。
車内はそこそこ込み合っていたが、僕たちは運よく座席に座ることができた。
二人して無言で並び、時折顔を見ては小さい声で少し喋る。
そんな感じで乗り換えの新宿駅へと向かっていた。

とある停車駅で止まったときの事。
多くの人が降り、そしてまた多くの人がのって、車内の人間が入れ替わる。
それが落ち着くと目の前に老女が立っていることに僕は気付いた。

こんな時、男ならどうするだろうか。
もちろん彼女に良いところを見せようと、席を譲ろうと考えるだろう。
だが、席を譲るという経験が初めての僕からすると、席を譲るという行為には特大の勇気を必要とした。

彼女に「優しいアピールでもしたいの?」って思われたらどうしよう。
周りの人から「女連れだからイキってる」って思われたらどうしよう。

なんてことを数秒、あるいは数分だったのかもしれない。
頭の中で天使と悪魔(この場合下心があるので天使寄りの悪魔と悪魔かもしれない)が争いを繰り広げていた。
だが最終的に「やらない善よりやる偽善!」という言葉で決心して、僕は席を立ち、言う。

「席、どうぞ」

なけなしの勇気を振り絞って、その老女に言った。
大丈夫。
ゴモゴモとは喋らなかった。
ちゃんと言えた。
スマートに言えたはずだ。
伝わったはず。
すると、老女は一瞬驚いたような表情を浮かべてから笑顔で言ったのだった。

「大丈夫です」

顔真っ赤。
見なくてもわかるくらい顔が熱かった。

「あっ……」

と、間抜けな返事をして、僕はまたその席に座る。
僕は思った。
次巻よ巻き戻れ、と。
僕はどうしても気になり、やめておけばいいものの彼女の方をちらっと見てしまう。
彼女はリュックを抱えながらニヤニヤしていた。

あなたは電車などで人に席を譲ったことがあるだろうか。
あるいは譲られたことはあるだろうか。

僕はこの件以来、席を譲ることに抵抗がなくなり、必要そうな方を見かけたら声をかけられるようになった。
だから、後悔とかそういう思いはない。
一歩人として成長できたいい経験だ。
ただ、一つ決意したことはある。

僕がいつか老人になって席を譲られた時は、率先して座ろうと思う。

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