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父親の事故


不幸中の幸いとはこのこと。
自損事故で良かったが

農業の勉強を始めた頃に父親が自損事故をした。
左奥にある瓦礫にノンストップで突っ込み瓦礫を超えて頭から車が落ちたのだ。

塾へ行く途中の出来事だったので電話をもらってすぐに病院に駆けつけた。

病院に到着すると父親がベットの上で横たわっていた。声をかけると『大丈夫やわ』としっかりと反応したのでホッと胸を撫で下ろす。

その直後に担当の先生から母親と私にお呼びがかかった。

開口一番に発せられた言葉は
『重症です』と。

ん?ん?ん?ん?
さっきはしっかりと反応していたし、どこが重症患者なのか理解はできなかった。


第三腰椎骨折


これは重症なのだ。
下半身の神経が寸断され歩行が難しいとのこと。
さらに、おしっこや大便も自己コントロールできないと。いわゆる車椅子生活。

とはいえ、それ以外は健康だからコツコツと手助けするしかないとその時は思ったが、想像以上に『障がい』がある父親を介護するのは大変だった。

まずは、昭和に建てられた実家には多くの段差があり車椅子での移動は困難を極める。車椅子からベッドへの移動、お風呂問題などとにかく大変だった。最終的に実家の一階部分を全面的にリフォーム。福祉士さんとも何度も相談して実家で母親を中心に介護生活が始まった。

母親が用事があるときはデイケアセンターなども利用するも金額が金額なのでそんなに利用することもできない。

そんな中、今度は介護疲れで母親まで調子が悪くなってきた。サラリーマンだったので有給なども使いながら私も介護にあたった。

幸い両親の近くに住んでるのでそんなことも可能だったが、やはりサラリーマンでは辛いと感じ始めた頃に個人での営農の決断をした。

こうして、さまざまな要因を経て今の『あす菜』があるのだ。


PS:父親はその後の令和2年7月に肝臓ガンで亡くなりました。昔から私が『やりたい!』と言ったことを全力で応援してくれる世界一尊敬する父親でした。

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