Hiroshi Mizuno

【塾講師30年の男が50歳で露地栽培の専業農家をなぜ目指したのか】 約200アールの畑…

Hiroshi Mizuno

【塾講師30年の男が50歳で露地栽培の専業農家をなぜ目指したのか】 約200アールの畑でえだまめ、ホウレンソウなどを育てる新規就農6年目のオトコの話

最近の記事

収穫日前日の悲劇

3か月かけて育てる極ほうれん草。 特に今年は播種時に雨が降らず毎日動噴を使って散水の日々でした。 朝晩500Lタンクに水を満タンにして圃場に散水。乾くと土が固くなるので手で起こす日々を経て喜びの収穫が始まる時でした。 前日に端が少しヒヨドリに食べられており嫌な予感はしましたが、まぁすぐに収穫するからいいだろうと放置しておりました。 明後日にあるマルシェに出そうとSNSを使って出荷案内を出して準備を整える。 翌日は朝から枝豆の定植もありバタバタと過ごして14時に畑を見に

    • 極バーガー🍔

      JR岐阜駅南に熱いハンバーガー屋がある。 HAT burger & coffee 開業前から相談を受けていた教え子のお店だ。 昔から器用でもなく、要領もどちらかと言えば良くなかったが、目に力がある生徒だった。 野口氏(あえてそう呼ばせてもらう)から依頼を受けたのがまだ雪の残る寒い1月だった。 『先生の極ほうれん草でハンバーガーを作ってみたいです❗️』 そんな嬉しい言葉をいただいたのだ。 サンプル持っていくよ!と言い1週間後に極ほうれん草を抱えてお店に入った。 一

      • ブランディングへの軌跡③

        販路を懸命に探しながら、同時にデザイナーさんとデザインの打ち合わせを進めた。 こだわったのは 1️⃣誰も見たことのない野菜シール 2️⃣一目で印象に残るシール 3️⃣高級感を感じる金色を使う これでデザインを起こして頂いた。 嘘偽りのないように、毎日のように糖度を測りこのデザインに落ち着いた。 金色のシールが貼ってあるほうれん草なんて見たことがないだろうと思った。 あとは『子どもたち』というワードは大切にしたかった。舌が敏感な小さな子がモリモリ食べることができるほう

        • ブランディングへの軌跡②

          農協さんへ出荷をし始めた頃に、出荷に対してどうしてもクリヤーできない問題があった。 岐阜ほうれん草の出荷基準は指定のボードン(野菜袋)に6本180g以上という条件がLサイズという1番買取価格が高いものになる。 化学肥料を抑えて硝酸態窒素を抑えれば虫害を減らす効果があるので、あす菜のほうれん草は生育期間のほとんどは農薬をかけることはない。しかし化学肥料が少ないためゆっくり育つ抑制栽培の部類になる。種もシーダー加工してもらっているので均一の株の大きさになり太株になる。 露地

        収穫日前日の悲劇

          ブランディングへの軌跡①

          新規就農は100%農協出荷で始まったうちの農園。とにかくやってみないとわからない世界だったので師匠らと同じように共選でスタート。 就農して最初の作物は 『ほうれん草』 岐阜ほうれん草は露地栽培でほぼ生育されブランド化されてる。 初年度は師匠と全く同じように施肥をし、同じ品種を播種し…とにかく真似をした。いつもと同じように毎日のように師匠に電話し状況を報告した。 畑によって土は違う。 岐阜市鷺山地区は元々は清流長良川の支流が流れていた場所であり基本的に『砂地』。畑におい

          ブランディングへの軌跡①

          父親の事故

          農業の勉強を始めた頃に父親が自損事故をした。 左奥にある瓦礫にノンストップで突っ込み瓦礫を超えて頭から車が落ちたのだ。 塾へ行く途中の出来事だったので電話をもらってすぐに病院に駆けつけた。 病院に到着すると父親がベットの上で横たわっていた。声をかけると『大丈夫やわ』としっかりと反応したのでホッと胸を撫で下ろす。 その直後に担当の先生から母親と私にお呼びがかかった。 開口一番に発せられた言葉は 『重症です』と。 ん?ん?ん?ん? さっきはしっかりと反応していたし、どこ

          父親の事故

          会社の新事業部として始まった営農

          準備は整った。 さぁいよいよ新事業部のスタート。 師匠のところで習ったように枝豆の種を育苗箱に入れ苗を育てる。 作業が終わるとすぐにシャワーを浴びて塾へ移動。そこからは塾講師だ。疲れた顔は見せられない。塾が終わりすぐに家に帰りまた翌日早朝から畑に出る。 そんな日々が続いた。 新規就農あるあるだが、たかが一年学んだところで完璧に作物を育てるわけがない。毎日のように師匠に電話し質問をし続ける。師匠も本当に丁寧にいろいろ教えてくれた。 結果的に防除のタイミングを逃したり、

          会社の新事業部として始まった営農

          塾講師以外のキャリアアップ③

          さて研修も終わり正式に営農するにも、 ①作業小屋(トラクターや資材を入れたり、出荷作業ができる小屋) ②具体的に何をいつから作るのか? ③どこでやるのか? など課題は山積みだった。 そんな中、師匠とは別の地区で営農されていて部会などでも役員をやったりしている重鎮を紹介された。 森瀬宏氏 森瀬さんに相談したらすぐに動いてくれたのだ。 認定農業者になるためにも約50aほどの農地を借りなければならないのだが、1ヶ月もしないうちに『準備できたで!』と集めていただけた。もう神

          塾講師以外のキャリアアップ③

          塾講師以外のキャリアアップ②

          いろいろと頭でっかちになった頃に 『どこで、何を作り、どう売るのか』問題にぶち当たる。 岐阜県には アグリチャレンジセンター という半公共機関がある。 新規就農へのお助けをしてくれるセンターなのだ。 ハウスでトマト🍅?いちご🍓? と考えた時期もあったが初期投資と回収期間などを考えると塾の新規部門としては厳しかったので、『露地栽培』方向で進むことにした。 岐阜で考えられるのは名産である 『えだまめ』 『ほうれん草』 この2本柱。 ではまず研修できるところを探すことに。

          塾講師以外のキャリアアップ②

          塾講師以外のキャリアアップ①

          サラリーマンとして働いてた40代。 20年以上も学習指導していれば慣れていて当然。 あまり変わらない受験制度とその内容。 刺激はどんどんと無くなっていく。 もちろん目の前の生徒には全力を尽くしていたが、会社としても塾以外の道を見つけて欲しいと言われていたので『農業』の世界をとにかく調べた。 本を何冊も読み漁り、 全国の気になる農家さんに直接アポを取り、休みの度に旅に出る。 近隣の農家さんはもちろんだが、高知県の有機農法の故山下一穂さん(会って数ヶ月後に亡くなってしまった

          塾講師以外のキャリアアップ①

          熊本大震災ボランティアで感じたもの

          震災後に絶対に行きたかったボランティア。 塾のGW休みを利用して小牧空港から福岡へ向かった。 まさに 『できる人が  できる時に  できる事をする。』 ために。 当時はあらゆる交通網が遮断されていたのと、支援物資が熊本では買えないとの情報を得ていたので大牟田に居る友人の家を拠点にさせてもらった。車も出してもらい陸路で向かった。 まずはボラセンに登録するのが基本だが、この時は軽度の被害でボランティアが呼べないような家庭へ直接向かい手伝うことに。 支援物資も普通はもら

          熊本大震災ボランティアで感じたもの

          塾講師歴30年の男が新規就農へ

          みなさん、はじめまして。 自己紹介します。 岐阜市鷺山で『あす菜』という農園の代表をしております水野と申します。年齢は53歳。 元々物書きが好きで、学習塾時代はほぼ毎日のようにブログを書いていました。教え子らや卒塾生らと毎日のようにワイワイやる日々が大好きでした。 さて、 このnoteを通じて今後様々な想いを綴っていきたいと思います。 30年もの間、学習塾業界に身を捧げていました。そんな私が今は専業農家をしております。 どのような経緯で農家になったのか? きっ

          塾講師歴30年の男が新規就農へ