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[asumiの米国生活体験談]1、序章

◯研修

齢30を越えたばかりの頃、自分は東京都町田市に住んでいた。
ある日、旦那が会社から帰って来て言った
「転勤することになったよ」
「どこに?」
「アメリカのセントルイス」
「は?どこ?」
何度か聞き返して、それでもぴんとこなかった・・・
国内ならまだしも、海外なんて想像の域を越えていたからね。

出発は数ヶ月後、それからは会社に指定された場所へ研修に行くことになった。
・・・研修!
海外に行くに当たっての研修だそうな(汗)
ひとつは虎ノ門にある研修場所に通うこと、もうひとつはベルリッツに通うことだった。いやはやいきなり忙しい。

まず服を買った。
それまで専業主婦でぐうたら過ごしていて、普段着しか持ってなかったから。研修に着ていく服・・・少しお洒落なやつ(汗笑)
普段の買い物は町田で済んでたし、少し足を伸ばしても新宿くらい。虎ノ門なんて行ったことなかった。朝9時までに研修場所に着くには通勤時間帯に電車に乗らねばならない。電車も乗り換えなきゃならない、地下鉄銀座駅で・・・いや、なにもかもどきどきだった。

虎ノ門の研修場所に着いてみると、20人くらいの主婦と見られる女性が出席していた。渡された研修カリキュラムと出席者リストを見ると、ご主人の企業(会社)と派遣場所が記されている。
証券会社や銀行員が圧倒的に多く、ニューヨークに固まっている。他にはシンガポールやドイツやストックホルム、私のように米国の地方都市に派遣される人も。ばらばらだ。
同じ会社でニューヨークにいく主婦さん達は、気のせいか似た雰囲気で洗練されている。3〜4人で固まっていて気位が高そう。 他の人達はみんなそれぞれぽつんと独りでいる。
私は不安だったので、ひとりでいる人に話しかけて友達になった。
彼女はシンガポールへ行くと言っており、それぞれ赴任地に行ってからも数年賀状をやり取りした。元気でいるだろうか。
研修は、講師が来て海外生活の心構えや体験談を話したり、駐米大使の家に訪問したりなどだった。
カリキュラムは全部で8回くらいだったと思う、それがぐるぐる繰りかえされて、海外赴任までの準備期間、入れ替わり立ち替わり研修者を受け入れるシステムだった。

ベルリッツは町田市内に通った。
会社から支給された勉強時間は40時間ほどで、何も予定がなかったから通えるだけ通った。
1日1時間、マンツーマンでガイジンと話す。自腹だったら目玉が飛び出る値段なんだろう、会社が海外赴任にかける金って相当だ、と思った。
ベルリッツに通って・・・それまで学校を卒業してからまったく英語など勉強しなかったから、まーとにかく大変だった!
40時間勉強して、少し喋れるようになったか?と聞かれたら、いや全然(汗)
あれはベルリッツの先生つまりガイジンと接して、海外に行くまで少しでもガイジン慣れしておく、くらいのものだ。
だが不思議なことに、ベルリッツで勉強した時のことは今でもよく思い出せる。ああして初めてリアルガイジンと面と向かって話せた経験は貴重だった。


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