見出し画像

魔女のいる花屋さん

「良いお花屋さん」というのは、足を踏み入れたら一瞬でわかるものだ。たとえ古い花瓶が埃をかぶっていても、一見ごちゃっとして見えても、全体が整えられている。空気がぴしっとしている。そして何より、花がいい。

私のバンクーバーでお気に入りの花屋さんは、Arbutus通りと12番通りが重なるあたりにひっそりと佇んでいる。店内は薄暗く、入るのにはちょっと勇気がいる。
一歩足を踏み入れると、奥のカウンターにいる店主らしき人が挨拶してくれる。長い癖毛の髪を下ろした、恰幅のいい白人の中年女性で、大抵は暇そうに座って携帯を眺めている。いつ行ってもその女性が店番をしているので、店主だと勝手に想像している。営業時間は午後6時までなのだが、近所の方の話によれば、1時間早く閉めてしまうことも多いらしい。

店内は決して広くないし、売られている花や鉢植えの数も限られている。それでも、店頭に並ぶブーケはどれも新鮮で美しい。バケツに入れられて並ぶどの花々も「無理をさせられていない」ということがわかる。お店自体が気ままに営業しているからだろうか。とはいえ、日々の花の手入れは行き届いており、皆みずみずしく、自然体でそこにいる。
日本のような「綺麗で整いすぎている」花々とは違う。それでも「丁寧に扱われている」のがわかる。

初めて入店した際、店内に飾られた真っ赤なガーベラが目にとまった。「自分用に、一本だけ買っても良いですか」と勇気を出して聞いてみたら、店主は「オフコース」と言って、真ん中の黒い面積が多い、一番長持ちしそうな一本を目の前で引き抜いてくれた。(私がその一本を目で追ったのがわかったのだろうか。だとしたらすごい接客だ。)「一番良さそうな一本」を、フローリストさんが目の前で何も言わず引き抜いてくれるのって、お客さんとして大事に扱ってもらえている気がして、とても嬉しい。

「自宅用です」というと、最低限の包みだけして花を渡されるのが、カナダの花屋あるあるだ。でもそのときの店主は、ワインレッド色のリボンを切って、持ち手のところに結んでくれたのである。ガーベラたった一本の花束なのに。値段はたった3.5ドル(約380円)くらいだったのに。そのおまけのリボンが妙に嬉しかった。
利益ばかりを追求するビジネスが多いバンクーバーでは、疲れ果てて、イライラを隠す気もない花屋さんに多く会ってきた。が、この人は信じられないくらい余裕がある。機嫌は良くも悪くもなさそうでいつもニュートラル。表情もそこまで変わらない。けれど、話しかけづらさは全くない。「ただ毎日店番をして、客の要望に合ったブーケを編むのが私の自然体」とでもいうような佇まい。肩肘張らない、自分にも花にも客にも、誰にも「圧をかけない」感じが、とても心地いい。


先日、友人Bの誕生祝いに花束を作ってもらった時も、ものすごく融通が効いて驚いた。「金儲けしよう」と思えば、色々な制限をかけて、高い値段で花束を組める。でも私の送り主への条件ーー「犬を飼っている子だから、犬にとって害のない花とグリーンだけを使ってほしい」「ピンクやオレンジ色が好きな若い子だ」「小さめのブーケにしてほしい」ーーという要望を、私から全部聞き出して、素敵な花束を組んでくれた。値段も良心的なものだった。

持ち歩く時間を聞かれて「1時間くらいかな」と答えると、紙ではなく、グレージュ色の透けないプラスチックを一枚出してきた。花鋏でちゃんと茎を切った後、花束の一番下の部分に、少しだけ水を入れた。切り花は、茎の切り口が一度乾いてしまうと、花鋏で切らないと水が上がらなくなってしまい、すぐ枯れてしまう。そこまで花を大事にして、少しでも長く持つようにと考えてくれる花屋さんには、バンクーバーで出会ったことがない。

「下にちょっとだけ水入れといたから!」と言われて花束を手渡されたときは内心仰天したけれど、バスの中でも水が漏れることがなく、彼女のラッピングの技術に舌を巻いた。日本で見るような小さなシリンダーが茎の部分に刺さっているわけでもなく、本当にラッピングされた花束の一番下の、茎の切り口の部分に、10ml程度の水がキープされているのだ。そんな花屋さん日本でもみた事ないよ。すごすぎる。

友人Bに花束を渡した時にも「危うく服に水をかぶるところだったわ」と笑っていた。友人Bが手作りした辛子色の花瓶は、薄桃色のバラのブーケと絶妙にミスマッチしていて、余計に可笑しかった。

「あの花屋の店主は多分、花の魔女だよ」と友人Bには伝えたかったけど、ウィッチという英単語の陰湿な感じはそぐわない気がして、悩んだ末に「あの屋の店主はフラワーフェアリー・ゴッデスなのだ」と説明しておいた。ヨーロッパの妖精の絵本では、妖精もティンカーベルみたいな若い女性だけではなくて、体格のがっしりしたおばさまとか、年老いたフェアリーもいる。だから「ごっつい貫禄のある花の妖精」という説明をしたかったのだけれど…。
ゴッデス、という音に「がっちりしている」という印象を受けるのは日本語だけかもしれない。何はともあれ、私はまたあの12番通りの花屋に行ける機会を探している。


追記:このバラの花束を持って、友人Bに会いに行く道中で見た「ある光景」をテーマにして書いたのが、先日のこの記事です。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?