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「令和おじさん」菅義偉が誰からも慕われるワケ <永田町で45年みてきた うまくいっている人の習慣>

新総裁に選ばれた菅義偉は、どのような総理大臣になるのだろうか。
永田町の
「中の人」として45年間、16人の総理大臣を支えてきた田村重信氏が、菅義偉の「昔と今」を振り返る。ニュースでは知られることのないその素顔には、人間的な魅力がつまっていたーー
< 引用書籍 田村重信『気配りが9割』(飛鳥新社)より>

2019年4月1日、新元号・令和を発表したことで、菅義偉(すが・よしひで)は「令和おじさん」としても話題になった政治家です。


私が自民党の職員として初めて菅と会ったのは、党内の会議でした。

菅は秋田の農家から上京してきた人物です。最初はダンボール工場で勤めました。そして2年で退職すると法政大学で学び、次に電気通信設備の保守点検会社に就職しました。その後、秘書として政界入りすると、横浜市議会議員を二期務めて、1996年に衆議院に出馬し当選。ようやく国会議員になりました。
この経歴を見れば分かるとおり、菅は苦労人です。

だから二世議員や官僚上がりのようなエリート特有の雰囲気はありません。私も菅に最初に会ったときは、特にこれといったオーラは感じず、正直、ここまで大物になるとは思っていませんでした。

菅は秘書として小此木彦三郎(おこのぎ・ひこさぶろう)に仕え、梶山静六(かじやま・せいろく)という叩き上げの政治家にも指導を受けてきました。

若い読者はご存じないかもしれませんが、小此木も梶山も、謹厳実直かつ温和怜悧な人柄で、誰からも愛された昭和の政治家です。菅は両氏を師に持ったことが良かったのでしょう。

自身も同じく党人派官僚や特別な一族の出身ではないことの政治家として、党内でどう存在を示すべきかを学んだのです。

では、どう存在感を示したのか。
その方法は、ただただ丁寧な仕事を続けること
菅は田中角栄元総理のような話術もなければ、小泉純一郎氏のような派手さもない。それでも菅と話していると、不思議と安心感を覚えるのです。何より菅は話しやすい。私のような職員はもちろん、若手議員が菅を慕っているのも、やはりその人柄にあるのです。


官房長官になってから、菅は毎日記者会見を開いていました。

その際、新聞記者からは厳しい質問を受けることもあります。なかには質問ではなく、政府に対して批判を述べる記者もいます。揚げ足を取ることに専念する記者もいるかもしれない。しかし、菅はいつも淡々と回答しています。
そんな菅だから、記者も遠慮なく批判してしまう部分があるのかもしれません。

もしハマコーこと浜田幸一のような短気な性格だったら、会見は打ち切りになるかもしれません。記者もどこかで菅の人間性に安心感を覚えて、時に面と向かって批判している……そんな気がしてなりません。


菅義偉からの忘れられない「ありがとう」


組織のなかに菅のような人がいると、非常にまとまるものです。特に若手からすると、何かあったらあの人に相談すれば良いと頼れるからありがたいのです。
私はこれまで菅と深く付き合ったことはありません。ただ、面倒見が良く、礼儀正しい人だという噂は、以前から聞いていました。だから人望が厚いのです。
あるとき、菅の地元・横浜の自民党支部で開催される研修会で講演することが決まりました。するとその直後、ある会合で顔を合わせたときに、菅はこういってきたのです。
「田村さん、今度横浜で講演をやってくれることになったそうですね。ありがとうございます」
お礼をいってくれたことは素直に嬉しかったのですが、それ以上に驚いたのが、菅の情報収集能力です。官房長官という首相を間近でサポートする役割の人にとってみたら、自分の党の職員が横浜で講演することなど小さな話です。

また、毎日忙しくしているのだから、たとえ秘書から「政務調査会(著者の所属する自民党の部署)の田村が横浜で講演します」と報告を受けていたとしても、そんな話は忘れてしまうものではないでしょうか。

しかし、菅はそれをしっかりと覚えていた。だから私を見かけると、わざわざお礼をいってくれたのです。
これは小さなことかもれません。しかし、一言お礼を言われるのと言われないのとでは、その人に抱くイメージはまったく違ったものになります。
菅は評判どおり、礼儀正しい人物なのだなと実感しました。

それと同時に、政権発足以来、なぜ安倍総理が菅を官房長官に据え続けているのかも分かりました。総理と思想信条が近く、また政治家として有能なのはもちろんですが、やはり常に気くばりができる。そんな菅だからこそ、総理から大役を任されているのだと思います。

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第二次世界大戦時のイギリスの名宰相、ウィンストン・チャーチルは、

「誠実でなければ、人を動かすことはできない」

というよく知られた言葉を残しています。彼は〝ヒトラーから世界を救った男〟として、欧米ではいまなお熱狂的な人気を誇ります。チャーチルは歯に衣着せぬ物言いで、議会では変人扱いされて嫌われていました。

けれど、彼の悪態が「真に強い国をつくるため、すべては国のため」という想いから出ていることは、議員をはじめ、国民全員に伝わっていました。つまり、誠実さという目に見えないものでも、きちんと相手には伝わるものなのです。菅はまさに、この大政治家と同じことを実践しているといえるでしょう。

田中角栄や小泉純一郎のような話術やカリスマ性を兼ね揃えた人は、そうはいるものではありません。だからこそ、組織人としてのあり方を菅から学ぶべきだと考えています。常に丁寧に、真摯に、真面目に人と接する。

そしていかなるときも感情的にはならない。それだけで周りの人は「またあの人に相談しよう」と考えるようになるでしょう。すると、組織での存在感はどんどん増すし、同時に組織での評価も上がります。そして気づいたら菅のように出世していくことも夢ではないはずです。


組織や社会が危機に陥ったときに現れる、伝説のイノベーター達の特徴


実は菅は、お酒が飲めない体質です(パンケーキが好物の甘党です)。それでも、夜には様々な分野で活躍する人と会食して、交流を深めているといいます。多い日は、何件も会食をハシゴすることもあるそうです。

会食には情報収集という大きな目的があるのでしょうし、それ以上に、人と会い、人と接することで、コミュニケーション術を学んでいるのではないかと推察します。そうして得たスキルを、組織内で遺憾なく発揮している。だから菅は党内で支持を集めているのです。

時をさかのぼること150年前、欧米諸国がアジアで次々と植民地を広げていき、日本は動乱の最中にありました。攘夷か鎖国か、国の行く末を大きく変える決断のときに、八面六臂の活躍を見せた男こそ、西郷隆盛です。じつは彼もお酒が得意でない下戸でした。


「敬天愛人」(天を敬い民衆を愛すること)を人生の美学としていた西郷は、たとえお酒は飲めなくとも、坂本龍馬や勝海舟といった重要人物とたくさんの交流を持ち、さまざまな知見を得ることで、やがて現在の日本国へとつながる礎を築いていきました。

令和を迎えて、我が国を取り巻く国際情勢はますますスリリングになってきています。今まで以上にグローバルな視座、海外要人との人脈、国内各所との連携や信頼関係が必要になっているときに、菅のような〝下戸〟が台頭するのは、私には偶然の一致とは思えないのです。


菅は滅多に感情を露わにしませんが、それでも実はハートが熱い。また、こうと決めたら実行する突破力があります。そんな菅の突破力を象徴する話があります。

2002年、当選二期目だった菅は、北朝鮮の貨客船、万景峰(マンギョンボン)号の入港を禁止する法律を議員立法で作りました。万景峰号が、不正送金や対日工作活動に活用されている疑いがあったからです。二期目の若手議員でありながら、これほど大きな法律を作ってしまう。当時はその実行力に舌を巻いたものです。


官房長官になってからも、突破力を遺憾なく発揮しています。

安倍政権はベトナムなどの外国人入国ビザの受け入れ拡大を決めましたが、当初、外務省は犯罪率の増加などを理由に反対したのです。しかし、菅が調整して実現させました。

やると決めたらやる男、それが菅義偉なのです。


こうと決めたら必ずやり通す─。

そんな菅の姿勢は、夢や目標を持って生きている誰しもが参考にすべきところがあるでしょう。




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