人の命の終わり

自分の体と向き合うようになってから、食事の大切さを知りました。入院するまでは、食事は単なる栄養補給行為で、生きるための最低限のエネルギー摂取だったと思います。

同じ時期に、かれこれ8年以上合わずに疎遠になっていた父のことが気になり、ある日実家尋ねました。

呆然とするというのはこういう事なのでしょう。
そこにあったはずの父の病院も、かつて幼少期を過ごした家も更地になって何も無い状態でした。

近所の方に尋ねるととても冷たい視線を送られ”お父様はもう何年も病院に入院されているんだよ!”と言われました。

すぐに市内一大きな病院に行くと、やつれた父が横たわっていました。肝硬変の末期でした。なぜ、連絡一つくれないのか、いつ入院したのか、医師である父は何故病に倒れたのか、8年の間どんな生活をしていたのか....
聞きたいことがどんどん溢れて来ました。

目覚めた父は私の顔を見るなり”何しに来た?金が欲しいか?”
長い時間の中で、互いに一人よがりな思いや過去への後悔、コミュニケーションを取らなかったことで生じたすれ違いがまるで大きな壁のように感じられた瞬間でした。

この人はもう死ぬんだ、自分は何故もっと早く会いに来なかったのか、でも、それでも、8年ぶりに会う一人娘に向かって第一声がそれかという憎しみ...消化しきれない思いから思わず病室を黙って出て、そのまま東京行きの電車で帰ってしまったのです。