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子供が入院した話②

長女、熱を出す

長女には生後8か月くらいの時、意識不明、救急車

で緊急搬送、病院たらい回された上で、1週間の

入院。

という何ともスリリングなエピソードがあった。

しかし長女は幼い頃、何度も病気やケガを

繰り返す子だった。

長女の2回目の入院は長女が1歳の頃。

私のおなかの中には次女がいた。

再び高熱を出した娘。

病院に通うが、なかなか熱は下がらなかった。

今回は意識を失うこともなく、

割と元気ではあった。

熱性けいれんを繰り返す可能性があるので、

片時も目が離せない。

夜中も時々、目を覚ましては腕の中で眠る

長女の寝息を確認して、おでこに手を当て、

「まだ熱が下がらないのか・・・。」

と確認しては眠るという事を繰り返していた。

思えばこの時、長女の寝息が

「すやすや」ではなく

「スピュー、スピュー」

といった感じだったと思う。

この寝息で

「よかった。生きている。」

と安心してしまっていた。

時々、熱でぐずって眠れないような時は

解熱剤を使い、

一時的に熱が下がるとまた

「スピュー、スピュー」

と寝息を立てて眠ってくれた。

しかし、解熱剤の効果が途切れると高熱を出し、

ぐずり出す。

熱性けいれんを起こすのではという

不安に駆られて、また解熱剤を使う。

その繰り返しが1週間以上続いた。

病院で熱がなかなか下がらない事を不審に思い、

レントゲンの撮影を行うことになった。

診断は気管支炎だった。

あの特徴的な寝息は気管支炎からくるものだった

らしい。

鼻づまりなどでしょっちゅう「ズビズビ」と音を

立てていたので、気が付かなかった。

地元の病院に紹介状を書いてもらい、

大きな病院で診察を受けた。

そして、そのまま入院が決まった。

2回目の入院生活

奇しくもそこは1年前に

緊急搬送を断られた病院。

結局、ここに入院する運命だとは。

入院生活は前回も経験しているとはいえ、0歳児と

1歳児の入院生活は大きく異なった。

0歳児は抱っこして、ぐずったらおっぱい。

という、基本的に家で過ごすのと

変わらない生活を送っていた。

しかし、1歳は言葉を話す。

隣のベットからDVDのアンパンマンの曲が

流れると、

「・・・パンマン、見たい」

と言い出す。

「これはテレビじゃないから、見れないんだよ。」

と説明すると、隣のベットのお母さんが

気を使ってくれる。

「音、大きくてすみません。一緒に見ますか?」

とてもありがたいのだけど、

長女は気管支炎のため、

酸素吸引の管や血液の酸素濃度を調べる

センサーなどに繋がれており、

寝返りもままならない状態で、

「ありがとうございます。大丈夫です。」

と言うしかなかった。

テレビはテレビカードを買えば見れたが、夕方に

ならないと子供の好きな番組は流れない。

まだ当時はスマホが無かった。

ポータブルのDVDプレーヤーが

入院に必要だったなんて。

盲点だった。

入院生活の不安から常に抱っこをしていないと

不安がって泣く長女。

他の病室の人に迷惑なので、一日中ずっと

添い寝で抱っこをしてあやした。

沢山の管に繋がれた、わが子を抱っこ

するのは一苦労で、何度も看護師さんに

管を直してもらった。

子育て妊婦生活

突然の入院生活は前回同様、仕事のスケジュール

変更や納期の遅れの説明など、

大変な事も多かった。

しかし正直に言うと、妊娠中だった私にとって、

一旦仕事を休めるのはとてもありがたかった。

私は長女の妊娠の時もそうだったが、今回も常に

切迫流産・早産の危険と隣り合わせの

妊娠生活だった。

切迫流産とは、まだ流産にはいたらないが、

子宮が収縮して流産のリスクがある

状況を言う。

これが妊娠後期になると、切迫早産と言い、

早産の危険がある状況となる。

当時は安定期に入っていたとはいえ、まだ小さな

上の子を抱っこしたり、保育園に持っていく

着替えやオムツ、お昼寝布団など、常に大量の

荷物を持ちながらの妊娠生活で流産を

抑える薬を服用しながらの生活だった。

おなかの赤ちゃんの事を考えると、極力

「動かない」のがいちばん良い状況だった。

つわりや他の病気と違って、切迫流産という

のは、必ずしも体がだるかったり、気分が

悪くなるものではない。

「おなかが張る」という症状があるが、その他の

自覚症状が無い場合も多い。

しかし、意識的に「なるべく横になって過ごす」

という対処方法を取らないといけない。

症状がひどい時は

「トイレ以外は絶対にベッドから起き上がらないで」

と言われることもあり、

「家でそれができないのであれば、入院してください。」

とまで言われた。

私は入院はせずに自宅で安静にしているという

方法で無事に安定期まで持ちこたえたが、

今思うと安定期とはいえ、お腹の赤ちゃんに

随分と負担のかかる生活を送っていた。

長女からのプレゼント

長女の入院の付き添いは基本的に一日中、長女と

一緒にベットで寝ていられた。

もちろん、長女の治療の為ではあるが、おなかの

赤ちゃんにとっても、良い環境だったと思う。

またこの時、お見舞いに来てくれた義母が、

サラダをタッパーに入れて持ってきてくれた。

入院生活で私の食事は3食、病院の売店で

購入したお弁当で、野菜不足だったので、

とても嬉しかった。

私から自分の食事の事や食べたい物を

リクエストしたわけではないのに、

とてもありがったかった。

そして入院から1週間後、

無事に退院することができた。

この入院期間は私とおなかの赤ちゃんの為に

長女がくれたプレゼントのようだった。

もしかして、私が無理をして、お腹の赤ちゃんが

苦しくなると、泣いて訴えることのできないお腹

の赤ちゃんの代わりに長女が熱を出して、

私が仕事をするのをジャマしていたのかも。

「この子なりに体を張って、お腹の赤ちゃんを

守ってくれたんだね。」

長女とべったりしていられるのもあと少し。

入院生活は下の子が産まれる前に、2人で過ごせた

かけがえのない時間だった。

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