箱崎キャンパス一景

 あれは今からちょうど7年前、大学1年生の冬の寒さが厳しくなってきたある日のことだった。当時の学部1年生用のカリキュラムには、週に1回、箱日と呼ばれる日が存在した。この日だけは昭和バスに乗って緑豊かな伊都キャンパス、ではなく、筑肥線と貝塚線を乗り継いで箱崎キャンパスへ赴き、専門課程を履修するのである。

学生たちは、地下鉄の一日乗車券を買うかどうかを毎週悩み、箱崎九大前駅の係員に姪浜からの乗車券を結局交換してもらい、歴史あふれる大講義室へ向かったものだった。
さて、わたしの通う法学部では毎週金曜日が箱日であった。そして、わたしには毎週の楽しみがあった。

文系の正門をくぐり、食堂を通り過ぎる。その向かいにある中講義室とため池の間の道を通って、入門授業が行われる大講義室に向かうのだが、わたしの足はため池横の喫煙スペースでよく止まっていた。丸太でできた椅子と机はキャンプ場にあるようなもので、喫煙スペースにしてはやや可愛らし過ぎるものであったが、頑丈な屋根もついていたと記憶する。

「飛鳥。」

いた。今日も会えた。けんさんという2個上の先輩の存在である。
このけんさんは、顔がいい。スタイルもいい。頭の回転も速く、口もうまい。存在するだけでキラキラしたオーラが見えて、おまけに何だかいいにおいがする。知り合いの中で、ほぼ1番のイケメンである。
存在そのものが浮世離れしたけんさんは、きっとみんなからモテモテなのに、私なんかのこともかわいがってくれた。バレンタインで買ったチョコレートにすら「毒が入ってるんじゃないの?」と言いつつ、毎回、喫煙所で一緒に食べてくれた。やや毒舌なところもあるが、そんなところも魅力的で、誰からもたいへん慕われていた。そして、優しい人だった。

そんなけんさんは、線の細いイケメンにもかかわらず、男気にあふれており、また自分の信念をしっかり持った人だった。

「九大ウォーカー」をご存じだろうか。今は発行されているのかも知らないが、当時少しだけ九大生の中で話題になったフリーペーパーである。本当に少しだけである。中身は九大生の意識調査、スナップ写真、開発途中の伊都キャンパスの様子などだったと記憶してあるが、そこまで流行りはしなかった。あれば見る、程度のものである。

ここまで書くと、だいぶ失礼な気もした。いやいや、私は毎号楽しみにしていたよとフォローを入れさせていただく。
前置きは長くなったが、その九大ウォーカーの確か「美男美女特集」みたいな企画、けんさんはモデルのお願いをされていた。

「めんどくせえよな」

けんさんは煙草をふかしながらつぶやいた。その日のけんさんは黄色のセーターに紺のコートを着ていたと記憶する。
素材が良すぎるので、何を着ても似合うし、おしゃれなんだろうなと私は思った。

「これなんか普段着だよ、テキトー」

わたしは、はぁ、そうですかと答えながらも、そんなテキトーな服装でもモデル撮影に行けるけんさんはさすがだなあと、いつものように単純にあこがれていた。

「はぁ、貴重な時間を取られるのは、嫌だなあ」

そういいながらも、毎週のようにわたしと無駄な時間を過ごしてくれるけんさんは、やっぱり優しい人だな、と思った。撮影場所は理系地区にある中央図書館。カメラマンと1対1は嫌だから、ついてきてくれと言われたわたしは喜んでついていった。

「今日はよろしくお願いします!」
と一眼レフ?を首から下げ、気合の入ったカメラマンと図書館前で出会った。

「はい…」とけんさんはかったるそうに返事をした。

そしてそのまま撮影が始まった。けんさんはだるそうに立っている。少し笑って、とカメラマンに促されても、愛想笑いとは程遠い、ただ口角を上げただけのような表情をして見せるだけだった。
パシャパシャ
撮影は続く。場所を変えたりもした。わたしは見ているのも楽しく、カメラマンの後ろから撮影されるけんさんを眺めたり、「ちょっと見切れて掲載されたりして…」(されませんでした)と期待して、けんさんの斜め後ろに行ったり、それなりに楽しい時間を過ごした。一方で、撮影の終わる気配のしないカメラマンに、けんさんは苛立ちを感じ始めた。

「あの、もうよくないですか」
「いやいや、一番素敵な写真を掲載したいじゃないですか」

これに似たやり取りは3周くらい行われた。
そしてようやくカメラマンから「はい、ありがとうございました。」と終わりと労いの言葉を告げられ、わたしたちはその場をすぐに立ち去った。

あたりはまだまだ明るい。
そのあとのわたしの予定は、当時やや盛んにおこなわれていたクラスコンパ、終了後所属していたダンスサークルの練習会と、今思えばとても大学生でしかありえないスケジュールだった。
とはいうものの、けんさんとのこの時間はどちらにも代えがたい、貴重なものである。
「行こうぜ」
わたしたちは大学から国道に向かって歩み始めた。
校門から地下鉄までのただまっすぐの道のりをひたすら歩き、某クリスタルハイツを通り過ぎ、角を曲がり、国道の横断歩道を渡る。ドン・キホーテは今日もにぎやかだ。パチ屋も派手な広告を爆音で流している。無視して通り過ぎる。これが運命の出会いだった。

「株式会社あきんどスシロー」は主に「吟味・スシロー」のブランドで回転寿司をチェーン展開する、回転寿司業界の大手企業である。かつては「大阪回転寿司・あきんど」のブランドも有していた。持株会社の株式会社スシローグローバルホールディングスが東証一部に上場している。(ウィキペディアより引用)

わたしたちはテーブル席に座った。
そこでわたしはけんさんに、どうして撮影中不機嫌だったのかを聞いた。
「だって、モデル頼まれたこともあるって言ってたじゃないですか、慣れてるんでしょう?」
「いやいや、明らかに撮り過ぎだったじゃん。1カットしか使わないのに、あんなに撮るなんてさ。それに、プロはやっぱうまいよ。撮られてて悪い気全くしない」
わたしは、自分の知らない世界がまだまだあるのだなあと、深くうなずいた。

「そんなことよりさ、何食べる?飛鳥は何か好きなものある?」
「わたしは、タコとか食べます。」

「そ?俺はつぶ貝とか結構好きだけどね、食べてみる?」

その時初めて食べたおいしさ。どんなに感動したことか。
以降わたしがつぶ貝フリークになったことは言うまでもない。味、食感、しょうゆとの相性、どれをとっても最高だ、とその時本当に感じた。

以後7年間、いろんなことがあった。
いろんな友達と回転ずしに行くたびに、つぶ貝好きだねえと言ってもらったこと。
つぶ貝がメニューから突如消え、数か月間禁断症状に苦しんだこと。
つぶ貝という名のよくわからない食べ物を買って、食べ方がわからず、どうしようもなかったこと。
はま寿司、くら寿司、かっぱ寿司、それぞれで出されるつぶ貝そのものが全く違うこと。
すしざんまいで出されるつぶ貝は、大つぶ貝と言って、それもまた違うこと。
クリスマスぼっちで、つぶ貝とはまちといくらだけ、テイクアウトで好きなだけ食べたこと。
一人でも、カウンターで寿司屋に行けるようになったこと。

お寿司が大好きになったこと。

その原点がこの日だった。わたしは、心から感謝をしている。
こんなに胸を張って誰にも負けないくらい好きだ!と言えるものって、なかなかない。
人生の中でそんな生きがいに、自分を支えてくれる存在に出会えたこと。これは紛れない奇跡である。決して大ごとではない。
わたしよりもつぶ貝に理解がある人は、漁師さん、生鮮加工者の方、貝を研究されている方、けんさんくらいである。まあ結構いる。しかし、全国的に見てそこまで多くはないはずだ。
マイノリティーを気取るわけではない。しかし、旨いものはうまいのだ。

「へぇ、大学芋なんてあるんだ。」と、けんさんは言った。
おそらく野菜スティックをつくる器具でカットしたのだろう。細長い直方体を想像してほしい。
けんさんは恐ろしく整った顔ではにかんでこう言った。
「角材みたい。」

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