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こちら月光生命セックス保険コールセンターです。第二十三話

第二十三話 人のセックスを嗤うなⅠ

「お電話ありがとうございます。こちら月光生命セックス保険コールセンター、担当の松島です」

「あ、もしもしー? 柳田やなぎださんっています?」

 先方からの問いかけに美智子はちらりと隣の席を見やる。柳田とは早苗の苗字で、その早苗はインフルエンザにかかって昨日から休みを取っていた。

「大変申し訳ございません。柳田はお休みを頂戴しておりまして。私で良ければご用件をお伺いしますが?」

「え、いないの? ……アンタでもいいのかな? あのさぁ、訴えたいんだけど」
「はい。それではまずお客様のお名前と生年月日をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「キノシタ。キノシタマイ。一九九八年、二月十七日」

 美智子はパソコンを叩き顧客情報を呼び出す。

 ――木下舞、二十二歳。

「はい。木下様ですね。それでは事故の内容をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 内容はスタンダードなアンマッチ案件だった。美智子は内容を聞き取り、先方と連絡を取ってみるという旨を伝え電話を切った。

「さてと」

 美智子はパソコン上の木下のカルテ――顧客情報及び案件記載書――を閉じようとしてふと手を止めた。

「あれ?」

 違和感を覚えたのは木下の案件履歴だった。一般的な顧客に比べて、あまりにページ数が多いのだ。
 不審に思った美智子は履歴を確認する。

「十二月、十一月、十月。……ひと月に一回以上のペースで提訴してる。……ちょっと多すぎない?」

 美智子が案件内容を確認すると、そのどれもが早急に相手方から支払いがなされ、解決しているようだった。

「モテるのは結構なことだけど、……これはちょっと異常じゃない?」
 そう呟きながら、美智子は無意識のうちにプリントアウトのボタンを押していた。

 ******

「三上さん、ちょっと……」
 お昼休みの時間に、美智子は三上のデスクに近づき小声で話しかける。

「どうしました?」
 突然の声かけにも不満そうな顔は一つも見せずに、三上がにこやかに振り向く。

「これ、見てほしいんですけど」

 美智子は腰を落とし、プリントアウトした木下の情報を三上に渡す。受け取った三上はパラパラと資料をめくった後「なるほど」と呟いた。

「これだけのペースで訴えるのって、少しおかしくないですか?」
「確かに、ちょっと多いような気もしますね。しかも、相手方からの支払いは滞りなく行われている」
「もしかして、保険が悪用されてる可能性もあったりしますか?」
「うーん、この一件だけではなんとも言えませんが……。ちなみに、この顧客は松島さんの担当ではないんですね?」
「そうなんです。ほんとは早苗が担当で……。だからこのまま報告書を作っていいものかも悩んでて」

 美智子がそう言うと、三上は顎に手を当てて、しばし思案する素振りを見せた。

「そうですね。……松島さん、念のため」

 そう言って三上が美智子の耳元に顔を寄せてきた。ふわりと香る落ち着いた香水の匂いが美智子の胸を少しだけ弾ませる。三上は周りに聞こえないように小さな声で美智子に何事か指示を出した。

「……それは。……出来ますけど」
 三上の言葉に、美智子が不安げな表情を浮かべた。

「念のためですよ。……念のため」
 三上はそう言って微笑んだ。

 ******

「……嘘でしょ?」

 ディスプレイに表示された情報に、美智子は思わず息を飲んだ。そこには、早苗が担当している顧客の情報がいくつか表示されていた。
 三上からの指示で、念のため早苗が担当している顧客情報を確認したのだ。そしてそこには驚きの結果が表示されていた。
 早苗が担当する顧客のいくつかが、今回の木下のように短期間での提訴を繰り返していたのだ。しかも、そのすべてにおいて相手方からの支払いがほぼ満額で成立していた。

「こんなことって」

 美智子が驚くのも無理はない。通常であれば当事者同士でなんらかの交渉がなされ、賠償額の減額や和解になるケースがほとんどだ。
 しかし、この早苗の顧客たちの場合、ほぼ満額での支払い――つまり【言い値】での支払いがされていることとなる。

「……そんな」

 美智子は頭を抱えてうなだれる。美智子のような保険会社の社員であればこれがおかしいことだということはすぐに分かる。それがいったいなにを意味するか。つまり、早苗はこの顧客たちの状況を知っていながら黙認していたということに他ならない。

「……どうしよう」
 美智子はしばらくの間、呆然とパソコンの画面を眺めていた。

「……そうですか」
 美智子からの報告を受け、三上は残念そうにそう呟いた。

「三上さん……。私、どうすれば……」
 美智子は動揺を隠せずに、震える声で三上に問いかける。

「松島さん。いったん今回の木下様と面会してこようと思います。次に柳田さんが出勤されるのはいつですか?」
「昨日からインフルで休んでるので、……おそらく、来週の水曜日あたりかと」
「……猶予は一週間ですね。とりあえず、私のほうで木下様の件は探っておきますので、松島さんはまだ報告書を上げずに普段通りの作業にあたってもらえますか?」

 三上の言葉に、美智子は黙って頷いた。

 ******

「本日はお時間を取っていただきありがとうございます」

 チェーン展開をしている喫茶店のテーブル席で三上は軽く頭を下げた。

「別に……いいけど。話を聞きたいってなんですか?」

 目の前に座る毛皮のコートの下に露出度の高い服を着ている女性――木下きのしたまいが長く伸ばした金髪を弄りながらめんどくさそうに答える。三上は笑顔を保ちながら、意識を木下の隣に座る男へと向けた。

 茶色に染まった短髪をワックスで固めたその男は、黒いタンクトップの上から革ジャンを羽織っている。露出している胸元から首元にかけてはっきりと主張するように、象形文字のようなタトゥーが彫られていた。木下の肩に手を回し足を組んでふんぞり返っている。三上に向け挑発的な、いや、バカにしたような態度を取っていた。

「はい。今回の事故について、詳しくお聞かせ頂ければと思いまして」

 三上がそう告げると、木下は不安げな表情で隣にいる男に助けを求めるように視線を送った。

「あのさぁ」

 男が木下の肩に置いていた手を外し、前のめりになって三上を睨みつける。

「おたく、何が聞きたいわけ?」

 コーヒーを持ってきたウエイトレスがただならぬ雰囲気を感じたのか、ロボットのような硬い動きでテーブルの端に飲み物を置き、か細い声で「こちらがブレンドコーヒーです。こちらがカフェオレ……」と告げて、逃げるようにテーブルを後にした。

 男は三上から目線を外さずに、目の前に置かれたホットコーヒーをズズズと飲むと「あっつ!」と声を漏らした。

 思わず吹き出しそうになった三上だが、かろうじてそれを堪え、にこやかな表情を崩さないまま話を続ける。

「はい。ですので、今回の事故の状況について詳しくお聞き出来ればと」
「詳しくもなにもねぇだろ! 舞が相手の男に無理やり襲われたってそれだけの話だろうがよ! ああん?」

 眉間に皺をよせて睨みつけてくる男を見ながら、三上は心の中でため息を吐く。こういう輩はいくらこちらが論理的に話をしても通じない場合が多いからだ。

「木下様の履歴を確認させて頂いたところ、提訴の回数が少しばかり多いようにお見受けしまして」

 そう言いつつ木下に目を向けると、木下はびくんと肩を揺らし、気まずそうに目を反らした。

「テメェ! おれの女がヤリマンだって、そう言いてぇのかコノヤロー!」

 男が恫喝しながらテーブルの足を蹴る。コーヒーカップやグラスがガチャンと音を立てて揺れ、中身が少しばかりこぼれる。

 ――これは、やはり当たりだったかも知れないな。

 三上はそんなことを考えながら両手の手の平を男に向け、争う意思がないことを表す。

「これはあくまで形式上のことです。どうか落ち着いて下さい」
「落ち着けだ? コノヤロー。いいからオメェらは手続きを進めりゃいいんだよ! そもそも話は通ってねぇのかよ。今までこんなこと聞かれたことねぇぞ」

 男は苛立ちを抑えきれない様子で少なくなったコーヒーに口をつける。今ほどの自分の失言には気付いていないようだ。しかし三上は聞き逃さなかった。

 ――話が通ってない……か。

「すみません。こちらの担当に確認しておきますんで。ええっと、なんと確認すれば良かったでしたっけ?」

 三上は申し訳なさそうな顔をして男に問いかける。

「ハングリーだよ。そう言えば分かんだろ」

 ――ハングリー。

「チッ! 使えねえヤツだなぁ。とにかく俺らはもういいだろ? ……ここの会計も払っとけよな」

 黙ったままの三上に苛立った男はそう言うと、木下の腕を乱暴に掴み、引きずるようにして店を後にした。

「……ハングリー」

 一人残った三上はアゴに手を当て、男の言葉を反芻はんすうした。


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