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価値観を変える~子供がいてもいなくても

私は39歳のときに3度目の流産をして、そこでもう子どもを産むことは完全に諦めました。

私の体の中では子どもが育ちませんでした。

それが自分の中では、女性として欠陥品であるかのように思っていたことがありました。

子供を産まないという選択であれば受け入れられるのに

「子どもを産めない」という事実。

努力でなんとかなるものではない、むしろ自分の力ではどうしようもない、命を授かるということ。

私には子供を授かる資格がないんだろうか。

そんな自己卑下のような思いが私を苦しめていました。

多くの人がごく自然に子どもを産んでいる中で、なぜ私は産めないんだろう。なぜ流産したんだろう。

そんなふうに苦しんでいる方、きっとたくさんいると思います。

でも

人生で意味がないことなんてひとつもない、と私は思っています。

神様は私のもとに赤ちゃんを送ることはしなかったけれども、今のこの状況で、与えられた人生をどう生きていくかは、私に選択権を与えてくれました。子供が産めないのなら、授かれないのなら、子育てをすること以外にもできることはたくさんあるはずです。

流産や不妊に直面して、私は自分の価値観について考えざるを得ない状況になりました。

●結婚したら子供がいるのが普通

まずこれが大きな間違いであることに気づきました。もちろん実体験を通じてです。

実際結婚して子どもが生まれる人の方が圧倒的に多いので、世間の方々がこのように思うのは無理もないと思います。

責めるつもりはありません。かつての私もそうだったように、わからないのだからそう思うのも仕方のないことです。

結婚している人につい「お子さんは?」と聞いてしまう気持ちもわかります。これは残念ながら、不妊という悩みを抱えている人にとってはかなりのダメージになります。

だから私は、自分から流産したことや子供がいないことを、早い段階で堂々と言うことにしています。誰だってみんな、不用意に人を傷つけるようなことを言いたくないと思うので。

そして、子供が生まれるということは奇跡なんだっていうことを、お子さんをお持ちの方々は改めて心に留めていただければ、より幸せ感が増すのではないかと思います。

●子供がいるのが幸せ、いないのはかわいそう(不幸)

これは私自身が持っていた価値観でした。そして周りの人たちもこういう価値観を持っていました。だから必死に子供を産みたいとがんばってしまったところもあります。

一番辛いのは、やはり親に対する気持ちでした。

今頃ほんとだったら孫と遊んで幸せだったかな、とか。お友達と孫の話をして笑っていたのかな、とか。そんなことを考えると、親不孝な自分を呪いたくなります(笑)

でも違うんです。

前にも書きましたが、親はただ子供に幸せでいてほしいだけで、子供が苦しんでいるのなら孫はいてもいなくてもいいんです、究極的には。

幸せの定義、感じ方なんてホントに人それぞれ。時代や状況によって大きく変わるし、食べ物がない時代には食べられるだけでありがたいとか、住むところがあるだけでありがたいと思えたんですよね。

だから私は、親や周りの応援してくれる人たちのためにも絶対に幸せでいたいと思っています。

そして今の時代、多種多様な生き方ができる時代です。

子供がいないと子育てしている人の気持ちはわからないかもしれない。でも子供がいなくて生きづらい人の気持ちはわかるかもしれないし、みんな経験によってわかるものは違ってきます。

だから正直、子供がいようがいまいが幸不幸は何の関係もなくて、本人がどう思うか、どういう価値観を持っているかだけです。

私は自分が経験したからこそわかりました。でも本当の意味でわかるまでには時間がかかりました。子供が欲しいという気持ちを手放せないでいたときには、ずっとこの価値観に縛られていたからです。

積極的に、子供を持たない選択をしている人もいます。それはその人にとって自分が幸せになる道だと思ったから選んだのだろうと思います。

何をもって幸せなのかを、しっかりと考える機会を与えられたと思います。

●「自分の子供」が欲しいというこだわり

子供が欲しいと願うことは当然だと思います。でもできないとなったときに、どうやって気持ちの整理を付けたらいいのか。これが一番苦しいことかもしれません。

私のように、ある程度の年齢になって諦めるしかなくなった人もたくさんいるかもしれません。

でもここからなんです。自分の価値観を変えていくのは。

私にとってどうしても子供が必要なのか?子育てを経験したいのか?

それが夫婦や周りの人たちにとっての幸せなのか?

もし答えがYesなら、親が必要な他のお子さんを引き取るという選択肢もあるかもしれません。

みんな「血のつながり」にこだわっていますが、私は正直そこは気にする必要がないし、むしろ社会全体がそれを受け入れられるようになればいいなと思っています。

例えば犬の赤ちゃんを育てて、飼い主さんは「犬」というより自分の子供であり家族だという認識になると言います。

血のつながりなんてありません。もはや種も違います。でも一緒にいて絆ができて、かけがえのない存在になっていきます。

ペットだと極端な例だと思われるかもしれませんが💦

血のつながりなんてそれほど大事ではなくて、心と心の繋がりが一番大事なんだと思います。実の親子でも憎しみ合うこともあれば、血のつながりはなくても絆の深い親子だっています。

家族という近い関係性の中で、どれだけお互いに相手を思いやって感謝しあって生きていけるか。これが問われているのが家族なんだと思うんです。

そして「自分の子供」「他人の子供」という分け隔てた意識だけではなく、子供はみんなの宝物だと思えたら、うちの子さえよければいいとか、誰かと比べて成績がどうとか、競争意識みたいなものはなくなっていくと思うんです。


昔よりも多様な価値観が認められるようになってきた今の時代は、多少生きやすくなってきたものの、まだまだ少数派が傷つくような固定観念や価値観というものがいろいろあると思います。

だから少数派の当事者の人たちは、もしも傷ついているとしたら声をあげる必要があるだろうし、わからない人たちはその声を聴こうとする姿勢も大事なのかなと思うんですね。

知ることが理解することにつながり、やがて分かり合う、認め合うことにつながっていくのだと思います。私自身もまだ知らないことだらけです。いろんな立場の人たちを理解して、より幸せな生き方ができればいいなと思っています。


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