40でも迷うし50でも天命はわからない

人間、いくつになっても心は成長していくものだと感じています。

中学か高校の時に、国語の時間に孔子の論語の一節を習ったのですが、「四十にして惑わず」という言葉が強く心に残っていました。

40歳になったら迷いがなくなるのか。そしたらこんな風に毎日悩むこともなくなるのかな。そんな希望を抱いていました。

・・・が。

結果、40歳になっても迷いまくりです。なんならあっという間に10年経って、まだ迷いの中にいます(笑)

ちなみに孔子は「五十にして天命を知る」とおっしゃっています。

やっぱりレベル違いすぎます。私は私で身の程を知り、地道にコツコツ積み重ねようと思っています。

心は成長すると言いましたが、物事の見方、価値観がより良いほうへ変わっていくということなのかもしれません。

30代のころ、職場の女性が急に私のことを無視し始めたことがありました。

正直思い当たる出来事がなく、腹が立っていたのですが

もういい大人だし、と思って私もガマンしていました。

結局その人とは分かり合えないまま、私が先に職場を去りました。

あの当時、どうしても怒りの感情が湧いてきてしまって、許せないと思っていました。

ただ、あの出来事のおかげで発見もあったんですね。

自分にも何か悪いところがあったから、ああいう態度をとられたのかもしれない。そう思っていろいろと自己啓発本を読みました。

正直何が気に障ったのかはいまだにはっきりとはわかりません。

でも私のものの見方は今では全然違うものになりました。

人が嫌な態度をとるときには必ず相手にも何か理由がある、ということが分かったからです。

基本的には職場でトラブルなんて起こしたい人はいないはずです。だって毎日嫌な気分になるし。

それなのにあえて無視するという行動をとったということは、「私の気持ちをわかってほしい」というサインだったんだろうなと思いました。

怒りの下には悲しみがあって、わかりあえないことが悲しかったのと、自分が大事にされていないとその人は感じていたのかもしれません。

それを素直に言えなくて、子供じみた行動に出てしまったのでしょう。

私よりも9つくらい年上の方で、とても気遣いのある素敵な女性でした。

でも人のうわさ話が好きで、その当時も一緒に働いているパートさんのことをちょっと悪く言ってたんですよね。

私は全然同調しなくて、そんなことないでしょ、って笑い飛ばしてたんです。

そうか、それがきっかけだったのかもしれません。今書いてて気づいた💦

たぶん私が悪口に全然乗ってこないので、腹が立ったのかもしれません。

もちろん同調はできなかったし、今もできないです。ただ、もう少し上手な聞き方というのがあったかもしれない。

考えたら、当時彼女は40歳を過ぎていて一人暮らしで、自分に自信がなかったんだろうなと思います。とても寂しかっただろうし、不安もあっただろうなと、今ならわかります。自分の味方が欲しかったのかもしれません。

実は中学校と高校、1回ずつ別の友人から無視される事件というのがあったんです。職場で同じパターンの3度目がやってきたのです。

学生時代も全然理由が分からず、相手が勝手に無視してくるので腹が立っていたんですけど、私の態度にもきっと問題があったのだろうと思います。

気づくまで何度でも同じことがやってくるものです。

私は大人になってようやく、人をちゃんと見て、ひとりひとり丁寧に接していかないといけないんだなってわかりました。

そしてこの年齢になってやっと、嫌な態度をとる人のことをかわいいと思えるようになりました。

ようやく気づいたのか、遅いよって言われそうです(→誰に?)

でも気づいてよかったし、そのきっかけをくれた当時の同僚の女性には感謝しています。

今は幸せでいてくれているといいな。


年齢を重ねたからと言って、聖人君子になれるわけじゃないんですよね。

だからこそ死ぬまで学べる楽しさがあるんだなと思います。

なので私はこれからもゆっくり成長を続けようと思います。

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