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Vol.1-2【裏側編】 震災を受けて、復興支援を決意

家族に迷惑をかけ、生活もままならない

女川に入ったときのお話に入る前に、Vol.1の裏側にあった葛藤や失敗、考えたことや悩みをできるだけ書いてみようと思います。

vol.1を読んでいない方はこちらから。

1、家族は大丈夫だったのか

大丈夫ではないです。大変でした。

リクルートのOBOG30人に会いに行ったとき、ある方から

「キャリア相談には乗らない。私は会社を辞めて起業するとき、妻にも家族にも相談しなかった。自分で決めないと、うまくいかなったときに人のせいにしてしまう」

と言われたんですね。だから、僕も誰にも相談せず被災地に入ることを決めました。

もちろん家族は困惑し、実家に呼び出されて「幼い子供がいるのに何を考えているのか」と叱られることに。
最終的には、「半年取り組んで、成果も収入も得られなかったら就職する」と約束をして、活動をはじめました。

2、生活はどうしていたのか

当時の妻が「働いて家を支えることが復興支援だ」と言ってくれて、5才児を育てながら深夜2、3時まで働いて家計を支えてくれました。ただ、出ていくお金は本当に大きくて苦しかった。

日常の生活費に加えて、毎日仙台から被災地へ行くためのガソリン代とリクルート時代の年収で計算された税金の支払いは、特にきつかったです。
会社を辞めたときにもらった退職金もすぐに消えました。

こんな状況だから、家族に「お金が必要」とは言い出しづらく、私物を売ってお金にすることもしばしば。動き出す前に、ある程度はお金の計算をしておかないと大変なことになるので、僕のように支援活動を考える人は、まずお金の計算をしてください
今でもこのことを思い出すと、家族や親族に申し訳なかった気持ちでいっぱいになります。

組織に属さない、お金もない個人であることの葛藤

組織に属さない、お金もない個人がアポ無しで訪問すると、会ってくれる人とそうでない人がいますが、これは仕方ないこと。緊急時で大変なときだから、優先順位で落とされることもあります。

大切なのは、5分でもお時間をいただけたら、誠心誠意、相手に寄り添って、相手の話しを受け止めること。その上で、「自分は覚悟を持ってこの場に来ていること」「自分は何者で何ができるのか」「自分の想い」を伝える。押し付けではなく、相手の話す内容に合わせて、自分の言葉で伝えるのがすごく大切だと思いました。

つまり、相手の話を聞くだけでも、自分の思いを伝えるだけでもなく、双方のコミュニケーションを取ることが大切。とにかく寄り添いながら相手を知り、自分のことを伝えて信頼関係を作る。そうして、相手が心から受け入れてくれる提案を示すことが重要でした。

僕の失敗は、毎回相手に寄り添って話を聞きすぎたあまり、提案するタイミングがなくなっていたこと。「話だけ聞きに来るなんてどういうことだ。時間の無駄だ」と叱責されたことは山のようにありました。Vol.1で書いた“出禁”になった話も、これが原因です。

非常事態に貴重な時間を割いてくれているのだから、信頼もお金も持ち合わせていない個人は、緊張感を持って接しないといけません。この件でご迷惑をおかけしてしまった方のことを思うと、今も胸が痛いです。

今の自分が、あの頃に戻ったらどうするか。

緊急時に「できません」とは絶対に言えないし、想いが強すぎて全て「やります」と言って、同じことをしてしまうかもしれません。

でも、一つ工夫するとしたら、友人や前職の先輩後輩に声をかけて、何かあったときに相談できるチームを作るかもしれません。お金は集めづらくても、もともと関係性のある人たちを仲間として集めることはきっとできるはず。

個人は会社とは違って「看板」がないから、信頼は一つずつ積み上げていくしかありません。特に地方は何度も足を運ぶことと、相手に対する姿勢を注視する傾向があるので、その点を大切にしながら、相談できるチームを作って動くのがいいかなと思います。

さまざまな理由からメンタルはボロボロに

私はさまざまな理由から、メンタルに影響がありました。たとえば、以下の10点です。

・このまま生活ができるのかという不安
・家族に対して申し訳ないという気持ち
・自分の活動は意味があるのかという不安
・活動の先の景色が見えないという不安
・周りの仕事をしている同世代の成長に対する焦り
・自分の仕事のできなさを痛感することによる落ち込み
・すぐに何もできないことへの落ち込み
・被災者に真剣に寄り添うことによって心を痛める
・被災地の景色や環境に心を痛める
・被災者から厳しいことを言われることによる落ち込み

本当にたくさんの不安や落ち込みで、毎日自分を奮い立たせて動くことに必死でした。ただ、当時はどう解消すればいいかわからなかったので、前職の先輩に少し相談をすることで、なんとか解消につなげていました。

今思えば、心身ともにギリギリでよく持ったなと思いますし、今同じことはできないとさえ感じます。
これから同じ活動を始めるとしたら、家族や自分、被災地のことを相談できる人や機関を、必ず複数持って始めるでしょう。

組織と個人で動くことのメリット・デメリット

組織で動くのと個人で動くのとでは、メリット・デメリットがあります。それを僕なりにまとめてみました。

図1

被災地に飛び込むと決意するまでのプロセス

最後に、僕が被災地に飛び込むと決意するに至るまでの、上司とのやり取りについてお話しします。恥ずかしさやプライドを捨て、本気で向き合いました。

1、ライフチャートの作成

最初に上司から言われたのは「一番古い記憶から今日までのライフチャートを書いてきなさい。ポイントは大きな出来事だけではなく、覚えている小さな出来事でも感情が振れていたらそれも全て書くように」でした。

古い写真を引っ張り出し、自分が記憶している出来事を全て書き出し、さらにそのシチュエーションや相手から言われた言葉、自分が感じた感情などを具体的に書いていくと、壮大な年表が完成。それをベースに、人生の深堀りと自分の価値観の理解を進めていきました。

ただ、自分のこれまでの人生を書き綴っているから、上司に見せるのはすごく恥ずかしかったんですよね。でも上司は馬鹿にすることなく、一つ一つの出来事について「なぜそう思ったのか」をとにかく聞いてきて、それに答えていくと自分でも気づいていなかった「感情が振れた理由」にたどり着きました。

これを1〜2ヶ月繰り返したことで、人生全体を見渡しながら自分はどんな人間でどんな価値観を持っているのかが考えられるようになったのです。

ライフチャートの作成は、就職活動の自己分析や会社の研修で経験したことがある人もいると思いますが、今回のはそれと比較にならないほど深いものでした。“なぜ”を繰り返してくれる壁打ち相手と一緒に詳細なライフチャートを作るのは、“今の自分”を知るための行為として本当にオススメです。

2、ありたい姿の言語化

ライフチャートを作成すると、次に考えさせられたのは「ありたい姿」です。洗い出した価値観をベースに、「何をやりたいか」ではなく「どうありたいか、どんな生き方をしたいか」を考えていく。自分で考えたことを毎週上司にぶつけて、自分が納得できる「ありたい姿」を導き出しました。

3、自分の「ありたい姿」を実現している人に会いに行く

「ありたい姿」が定まると、上司から「自分のありたい姿を実現している人に会って来なさい。30人に会えばいろんな考えに触れられるから、自分のありたい姿は磨かれると思うよ」と、数人紹介してくれました。

でもそれでは30人を達成できないので、自らアポイントを取ることに。ほぼ面識のない方ばかりだったので、アポイントを取ること自体が大変でした。それでも、会いに行った方の生い立ちから今日までの話、今取り組んでいることなどを聞けたことで、「ありたい自分の姿」は磨かれていきました。

この3つが、被災地入りを決意するまでに実行したことです。時間もお金かかりましたが、この時間は私にとって大切なものとなり、無職で被災地に飛び込むことを後押しし、被災地で起きる辛いことの支えにもなりました。

「なぜ自分はこの生き方をしているのか」「なぜ自分はこの活動をしているのか」を考えたときに、いつも立ち返られる羅針盤になっていたと思います。

vol.2に続く


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