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生活の為に、身も心も売るのか?

「頑張りたいけど、頑張れない。」
「稼ぎたいけど、稼げない。」

こういった「やりたいけど、やれない」「気持ちはあるけど、できない」事が時々ある。

それでも、自分にムチ打って頑張る事が多いのですが、そろそろこういう「頑張り方」に疲れてきた今日この頃です。

「頑張り続けて結果さえ出せば、見下されない。」

そうして頑張ってきても、そんなものは単なる虚勢だと気がついて、自身が築き上げてきたものが、こんなに脆く、薄っぺらいものだとわかった時には絶望感すら感じる。


「認めてほしい」と思って頑張ってきたけど、結局は相手の都合の良いような自分を演じているに過ぎない。

相手にとって都合の良い結果を残す事が評価され、褒められ、認められた。

「認めてほしい」と頑張る事が、いかに脆いことなのか思い知った。


動機はともかく、頑張ってきたことは誰にも負けないくらいやってきたつもりだ。
でも、その動機がクセものだと思う。

刃物で例えるなら、鍛錬を重ねて刃物の切れ味は格段によくなった。
しかし、その刃物は人を殺す事も出来れば、料理やアートとして、芸術の価値も生み出せる。

それだけ、動機は大切だと思うようになった。

仕事でも、上司や顧客など相手の価値観がAというもので、自分はそれに近づく為に頑張った。

ある時、相手の価値観がA'になったら、今までの受けていた評価90点が、自分の頑張りは今までと変わりなくても、突然70点になることもある。

また、70点はやばいぞ!となって、今より120%で頑張ろうが評価はA'なので、その頑張りに比例して上がるものではない。

そういう頑張り方に疲れてしまった。

生活の為とは言うけど、そこまで身も心も売らないと生きていけないものなのか?

この動機に、今の自分の弱さがある。
見つめ直して、コツコツいくしかないな。
まるで、自分自身で自分の子育てをし直す様な感じだな。

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