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性は「見つけるもの」ではなく「使うもの」

私は今現在Xジェンダーであることを一部の人には隠さずオープンにしている。

正直Xジェンダーという言葉を知ったのは4年ほど前。それまでは自分の性別については身体は男だが心は男ではないと思ってた。女性になりたいかというと、なりたいときもあるしなりたくない時もあるという感じ。でも服などの好みは女性寄りで、学ランではなくセーラー服を着たいし普段だってレディースを着ていたいとずっと思っていた。

性同一性障害(※実際には障害でもなんでもない為WHOは精神疾患の分類から除外した)という言葉は知っていたがそれではないと確信はしていた。心が完全に女ではなかったから。かなり女性寄りではあるが揺れ動く感じがしていた。扱いもどちらかというと女性として扱ってほしいと思っている。でもそれは自分にとっては当たり前のことだったので、これが自分という感じで受け入れていた。

周りにはそのことを言えてたかというと、言えなかった。自分の女っぽいところはずっと隠し男を演じていた。言うと変な目で見られたりしないか怖かったから。なんとなく自分は周りとは違う感じ、普通ではない感じがしていた。

ある日ネットで性別について書かれてるのを見てそこでXジェンダーを知った。そしてまたある日、YouTubeでセクシャリティを扱うグループチャンネルに出会い、XジェンダーやゲイやレズビアンなどLGBTQというのは当たり前のことだということを知った。知れば知るほど、これは一般常識レベルで知っておかなくてはならないことだと思うようになった。

ここで少しフーコーに触れたい。
フランスの哲学者にミシェル・フーコーという人がいて、フーコーはゲイだった。当時はまだ同性愛というのは異端の目で見られていたため、同性愛で悩んでいたフーコーは自殺を何度も試みている。フーコーと言えば「言葉と物」や「監獄の誕生」などが有名ではあるが、力は「持つ」ものではなく「使う」ものだと何度も言っていたそう。

1981年、そんな彼はフランスのゲイ雑誌「Gai pied」のインタビューに対し、「重要なのは自身の本当の性を見つけることではなく、多様な関係性にうまく対応できるように自身の性を使うことです。」と、少し省略はしているがこう答えている。

これを知ったとき、自分もXジェンダーであることを隠すのをやめ、友達にも公表しTwitterなどで色んな人に向けて発信しなければと思った。実際、セクシャリティで悩んで自殺をしてしまう人は多いらしい。当たり前のことが当たり前として受け入れられてない世の中を少しでも変えたいという思いで私は自分のセクシャリティをオープンにしている。

”私は君たちに何も教えないだろう。哲学は知識ではない。哲学は、すべてを問題とする反省の方法だ”  ミシェル・フーコー

LGBTQという問題(そもそも何も問題ではない)を、皆一度視野を広げて考えてみてほしい。

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