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水俣・福岡展

こんばんは、あすです。



少し前にたまたまネットで見て何となく気になった水俣展。
気になったけれど一旦スルーしてしまい、頭から一度離れてしまった。


数週間後、職場の人が「良かったら見に行ってみて」と渡してくれたのが水俣展のパンフレット。

これは行くしかない、行く運命なのだ、と私の心が震えた。


感情の揺れ動き


そもそも、なぜ気になったのかというと
・水俣が父の地元に近いこと
・学校で勉強してなんとなくの知識しかなかったこと
・10年ぶりに福岡で開催される、というワード
これらが理由かと思う。

特に何となくの知識だったのは、私が繊細であるためにリアルな表現を受け付けなかったからだ。
戦争の話も毎回、リアルを感じるとその日に夢に出てきてうなされて汗だくで目が覚める。
辛すぎて詳しく知る勇気がなかった。


それがここ数年でうまく感情の整理できるようになり、戦争の体験談を意識して見聞きすることが増えた。

そこで感じたさまざまな立場の思いを受け入れることができた時
次に感じる出来事はなんだろと考えていたら、目に入ったのが水俣展だった。



展示ではリアルな思いや写真映像で
どのようにチッソとたたかってきたのか、などが記されていた。
覚悟して行ったものの、正直私は途中で頭痛がひどくなり、休まなければ最後まで辿り着けない心境に陥る。
救いだったのは誘ってみたら興味を示した娘と行ったこと。
言葉で吐き出しながら進めた。

国やチッソの隠蔽。証拠の隠滅。
そしてチッソは今でもある会社である。
ありえない。

そんなあとがきがあった。
あの展示ではチッソは完全な悪であった。


3.11を思い出す


福島原発問題を取り上げた番組を数年前に見た。
地元の人を追いかけたドキュメンタリー。

その中で原発ができた時は地元で雇用がたくさん生み出され、地元の人は喜び、働くことを誇りに思っていた。
なのにその原発で地元は苦しみ、悩むことになる。


展示を見に行く数日前。
水俣の付近に住み、親族がチッソの別部署で働いていた人に話を聞くことが出来た。

福島と同じく、チッソができた時は地元で大量の雇用ができたと喜んだそう。
しかしチッソの水銀排出が原因で住民は苦しむことになる。



展示を見て思った。
隠蔽は悪の心だけだったのだろうか?
国の隠蔽とはまた違ったのかもしれない。
正解は誰にも分からない。

正義とは?悪とは?そんな思いが駆け巡った展示だった。
一緒に行った娘とは、たくさんの視点と思いがあることだけは強く伝えた。
片方だけに偏るのではなく、片方を見たらもう片方も知って欲しい。

子どもになんと伝えようか?と最初は悩んだが、杞憂に過ぎなかった。
子どもは子どもで感じ、私は私で感じた。
うまい感想はいらない。
感じてほしい。

そして私は自分で感じたことを大切に、自分を改めて見つめ直そうと思った。

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