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「人生は壮大な暇つぶし」だとしたら

先日とある方が、「人生って壮大な暇つぶしですよね」と仰られました。

私も同じ意見なので、「私もそう思っています」と答えました。

「人生は壮大な暇つぶし」と仰られている著名な方もいらっしゃいますが、どの様な内容かは存じあげません。申し訳ありません。

人生が暇つぶしなら、何も頑張らずに適当で良いんじゃない?と感じる方もいらっしゃると思います。

今回は毎日が忙し過ぎて辛い方が、少し楽になれるような内容をお届けしたいと思います。

絶対にやらなければいけないことってあるでしょうか?


私たちは男女の性の営みの結果生まれてきます。望まれて生まれる場合もあれば、そうではないこともあると思います。

生まれる前に、今回の生きる目的なんかを決めてくる…という話を聞いたこともありますが、目的を決めていたとしても、多くの人は忘れていますよね。

毎日寝て起きて、ご飯を食べて、仕事に行って、家事をして、とやることはありますが、絶対にやらないといけないことではないです。

私は毎日同じことをしていると飽きたな、と思うのですが、もし仕事をしていなかったら、その時間に一体何をするのだろうか、と考えると少し怖くなります。

もしかしたら何か寝食を忘れて打ち込めることが見つかるかもしれないですが、今のところ思い浮かばず、時間を持て余しそうです。

「暇つぶし」という何となく否定的なニュアンスがありますか?


暇つぶしにはいくつか意味があります。今回はコトバンクより引用しました。

ひま‐つぶし【暇潰】

〘 名詞 〙
① 時間を無駄に費やすこと。特にすることもなく時日を過ごすこと。ひまづいえ。ひまついやし。
[初出の実例]「兎角隙つぶしが多くて」(出典:滑稽本・浮世風呂(1809‐13)前)
「誰が見たって、不都合としか思はれない事件に会議をするのは暇潰しだ」(出典:坊っちゃん(1906)〈夏目漱石〉)
② あり余る時間を適当に過ごすこと。ひまな時間を過ごす手段。
[初出の実例]「いっそのひまつぶしと思ひ、狂哥の千枚がきをもやうす」(出典:黄表紙・嗚呼奇々羅金鶏(1789))

コトバンク

②にあり余る時間を適当に過ごす、とありますが、そもそも絶対にしなければならないことが殆ど無いとするなら、残りのあり余る時間をどうにか過ごすことになります。

つまり暇つぶしです。

更に「適当に」と書いてますが、「適当に」の意味も否定的に捉えられることが多いのではないでしょうか。

適当とは「テキトー」、つまり生半可やぞんざいといった意味合いで使われることもありますが、本来は「ちょうど良い」状態を現した言葉です。

暇つぶしとは【余っている時間をちょうどよく使う】ということになります。

ちょうど良くはその人次第


私は毎日同じことをしていると飽きますし、どちらかというと「忙しい!」と言いながら仕事をしている方が性に合っている気がします。

なので、私のちょうど良いは、見る人によっては忙しく大変だね、となると思います。

しかしあまりにものめり込むと、暇つぶしだと忘れて忙殺されてしまいます。疲労困憊でボロボロになってしまうこともあります。

そんな時こそ、これは「暇つぶし」だったと思い出す必要があります。思い出せば、のめり込んでいる自分がやり過ぎだったことに気づき、あくまで「暇つぶしのために一生懸命やっているふりをしているんだった」と力を抜くことができます。

我を張っていては流れに抗ってしまう


生まれる前にやろうと決めたことは忘れていますが、今目の前にあることを真剣に取り組むと、そこに行く道や流れが見えてくるのだと思っています。

ただ、「頑張る!」となると、我を張っている状態なので、俯瞰できず道や流れを見失うのではないでしょうか。

生涯をかけて取り組もうとしていることでも、今働いている職場での仕事だとしても、子育てであっても、頑張るのではなく、適当で良いと思います。

一生分の時間を適当に生きる


力を抜いているからこそ、流れに乗り本来向かいたいところへ行けるのでしょう。

今頑張り過ぎて辛い、と感じている方は、「これは暇つぶしなんだ」「適当な方がうまくいく」と思いながら力を抜いて生きてみることをオススメします。

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