見出し画像

高校生発 ロールモデルをみつけよう!#16 南相馬市多文化共生センターSAKURAの只野由香利さん

                     取材日:2022年12月21日
                     編集長:遠藤瑚子・高野真帆

南相馬市多文化共生センターSAKURAは、外国の方が南相馬で活躍し、この地域で安心して生活できることを目的としています。南相馬市のようなそれほど大きくない6万人規模の市にあるのは稀ですが、とても大切な役割を担う団体です。
今回はこちらのSAKURAで働く只野由香利さんに取材させていただきました。
優しい雰囲気の只野さんからは想像できない、刺激的な海外での生活についてのお話や、地元とSAKURAへの強い想いに私たちは興味津々でした。
只野さんのこれまでの人生と、只野さんが考えるSAKURAの在り方についてお伝えします。



〈海外の虜になったオーストリア留学〉 

                                   (西内春満)
高校生時代の只野さんは、好きな英語を身に付けたいから、将来は国際系の大学へ進学したいなとふんわり考えている、至って普通の高校生でした。
私もなんとなくの進路は決めているものの、志望大学も志望学科も深くまでは考えていないため、高校時代の只野さんへ親近感が沸いてきました。そんな只野さんが、海外へ強く惹かれる発端となったのは高校一年生の夏休み。東日本大震災に見舞われた年の夏です。東日本大震災の被災地域の学生を対象とした支援活動の一環としてオーストリアのロータリークラブから三週間の留学へと招待された只野さん。オーストリアでの滞在期間中、只野さんたち招待された学生は、実際の被災体験を多くの人へ伝える活動をしました。ドイツ語が公用語である現地でのコミュニケーションには、英語に加えて現地の学生たちに教えてもらった簡単なドイツ語を使用するなど、外国の言葉に積極的に触れて行きます。
このオーストリア滞在中、只野さんが海外への興味を持つきっかけとなったのが、アルプス山脈のチロル地方での光景です。まるで“アルプスの少女ハイジ“にでてくるような美しい山並み、たくさんの山羊、そこに住んでいる人々の優しさ。実際に山に登り、頂から見た美しい自然の景色だけでなく、街並みや人々の暮らしといった文化の違いに魅了され、「自分の知らない世界があるんだ」と異国でのいままで見たことのない景色が心にとても響いた瞬間でした。この時から、只野さんはすっかり海外の虜となります。

右から6人目 浴衣姿の只野さん

〈人に恵まれたアメリカ留学〉

                           (松崎里帆子)
オーストリアへの留学を機に、海外への興味が強くなった只野さん。同じロータリークラブからの誘いを受け、高校2年生の夏休みから高校3年生の夏休みまでアメリカ留学をすることを決意しました。行くか否かとても悩んだ末、色々な経験をしたいと参加を決意しました。思い切って飛び込んだアメリカでの1年間は、三家族の元でホームステイをして過ごします。どの家族からも歓迎され、本当に人に恵まれたと目を輝かせてアメリカでの生活を話してくれる只野さんです。私は以前、短期間ホームステイをした際、ホストファミリーとあまり良い関係を築けなかったので、只野さんが少し羨ましかったです。どのホストファミリーも只野さんがアメリカ生活に慣れていないことに理解を示し、そして日本へ大層興味を持ってくれました。ホストシスターとの間に小さな溝ができてしまったこともありましたが、自分の思いを手紙にして伝え、良好な関係を築くことができました。言語の壁は大きくても、只野さん自身が解決に向けて行動したからこそ、充実した留学生活を送れたのだなと感じます。この時のホストファミリーたちとは、今でも交流が続いています。コロナ前は年に一度は只野さんが必ずアメリカを訪れました。アメリカから日本へ来てくれることもあります。しかも大学の卒業式に出席してくれたファミリーもいるのです。ホストファミリーの方々との素晴らしい関係を伺って、改めて只野さんの人間力の高さを感じました。

ホストファミリーと只野さん

〈只野さんだから笑って話せる海外での経験〉

                            (森谷麗奈)

大学に入学し、只野さんの海外への興味はさらに高まります。大学3年生の時にはシンガポールに留学。シンガポールは東南アジア各地への行き来が容易だったため、3週間でベトナム、ラオス、カンボジアといった東南アジア諸国を回りました。それ以外にもバックパッカーや大学のゼミで積極的に海外を訪れます。

ラオスエレファントキャンプ     カンボジアへの旅先での写真

バックパッカーと聞くと、怖い体験をするのでは…といった心配が頭によぎりますが、只野さんが海外に行くときは、考えるよりも先に行動することが多く、留学以外にバックパッカーで海外に行くと決めたときにも不安は一切感じないといいます。そうはいっても実際には危ない目にあうことも少なくなかったようで、タクシーに僻地で降ろされ、偶然通りかかった日本人の方に助けられることもありました。
中でも只野さんがゼミ活動でインドに行った時の話は、ゾッとする体験ではありますが、その一方で只野さんの強さと柔軟性が感じられるお話でした。只野さんは、大学のゼミの教授ともう1人の学生3人でインドを訪れていました。このとき、1人で行動できる自由時間の前に只野さんは、教授から「相手から日本語で話しかけてくる人は怪しいから、ついていかないように。」と言われていました。案の定、只野さんは外国の方に日本語で話しかけられます。危ないと聞いていた只野さんですが、その外国の方がヘナタトゥー(「ヘナ」という植物の葉のペーストを使って描くボディアートの一種)のお店をやっていることを聞いて、インドでヘナタトゥーを体験したかった只野さんはついて行ってしまいます。その結果、お店の個室に連れていかれ高額請求をされ、払えないことを伝えると大人数に囲まれてしまいました。この時は、泣く泣くお金を置いて逃げたそうです。このお話をしてくれた時、懐かしそうに笑っている只野さんの笑顔から強さを感じたのは私だけではないはずです。
こんな大変な経験をした後でも、只野さんの海外への思いは変わることはありませんでしたが、只野さんは自分の就職を考える時期に差し掛かります。

〈地元を意識し始めた只野さんの変化〉

                            (只野千聡)
只野さんは大学生の時、アメリカの友人に日本の政治について聞かれましたが、答えることができず、自分が日本について知らないことを痛感します。いまのままでは、日本のこと、そして自分の地元を海外に伝えることは難しい、このままではダメだと感じた只野さん。
当時の只野さんは、海外に関わる仕事に興味を持っていました。そのためにも、自分の視野を広げたいとの思いから都会で働こうと思っていました。しかし大学の教授から、「自分の視野を広げるだけなら都会に残る必要はない。」と言われます。
悩んだ只野さんは、大学4年生の時、自分の地元である南相馬の小高ワーカーズベースというベンチャー企業のインターンに参加します。小高ワーカーズベース代表の和田さんの「100の課題から100のビジネス」という言葉にとても心が惹かれ「地元で働くこと」を意識し始めました。その後只野さんは、教授の後押しもあり地元での就職を決意。小高ワーカーズベースに入社します。
只野さんが入社した時期、起業したての小高ワーカーズベースは、南相馬市小高区の「パイオニアヴィレッジ」という宿泊兼コワーキングスペースと事務所を兼ねた施設、そして南相馬市原町区の「NARU」という多様な活用が出来るコワーキングの場2つの事業を中心に様々なプロジェクトが動き出したとても忙しい日々の中にありました。この大変忙しい時期の小高ワーカーズベースに入社した只野さんは、一緒に働くスタッフや代表の和田さんの仕事に対する向き合い方などの「多くの学び」を得られます。この時期に小高ワーカーズベースで働けたことが大きな財産だと、懐かしそうに話す只野さんです。
地元のために懸命に働く人と触れ合い、協力していく時間を一緒に過ごすなか、只野さん自身が成長し続ける「今」の地元を創っている1人となったと話を伺いながら感じます。
「地元を知らない」と感じていた只野さんが大学卒業後、地元を活性化させる人たちの一員になっているというところに、只野さんの強い行動力が伝わりました。心に引っかかることを自分から動いて解決しようとする姿に驚きと憧れを感じました。

〈只野さんがこれから願うこと〉

                        (舟山碧人   中川猛)

小高ワーカーズベースを退職し、SAKURAで仕事を始めた只野さんは、以前よりも様々な年齢・人種の人と関わるようになりました。特に多様な国籍の人々と関わる中で只野さんは、「言葉の壁」が想像していたより高いことを実感します。その壁を乗り越えるために行っている只野さんの工夫を伺いました。例えば、話す時に相手が理解しやすい言葉を選び、ジェスチャーを上手く活用することです。また只野さんは、留学などの経験を活かし、その国の地方の地名を出して話を弾ませるなど、外国から来た人たちが笑顔で楽しんでもらえるように対話を工夫しています。只野さんが交流した外国の方の中には、南相馬でとても困っていた時に只野さんが対応したことで、只野さんを、「命の恩人」と言ってくれる人もいます。交流した人の助けに少しでもなれることが、只野さんのSAKURAで働くやりがいでもあります。このようにSAKURAで働く只野さんから、これからの理想の地域の姿をいくつか教えてもらいました。

一つ目は、これからの南相馬に若い人の姿が増え、活気が出てきてほしいということです。これは、多くの大学生が地元を離れてしまい、首都圏近辺に就職することが多く、南相馬に戻ってくる人が少ないため、少し寂しい気持ちからこぼれた思いでした。
二つ目は、他国の文化を親せきのように近くに感じる努力をする地域であってほしいことです。この話を聞いて、よその国の文化を今は理解することができなくても、その文化を理解しようとする姿勢があれば、よその国との心の距離が少しずつ近くなっていくのではないかと思いました。
三つ目は、他人を自然と気遣える温かい地域になってほしいことです。只野さんは、海外留学を通じて東南アジアの自分より困っている人を助け合う精神や文化にとても感動したそうです。そのときの体験から、南相馬市にもお互いの事を思いやれる気持ちを行動に移せる人達がもっと増えれば、海外から来た人たちも過ごしやすくなると感じたと話していました。思いやりのある地域はとても居心地がいいと思います。自己中心の人たちしかいない地域は、一人一人の心の距離を縮めることが難しくて、まるで国をまたいでいるような雰囲気で住みづらく感じます。だからこそ、いろんな国の文化を理解しあうためにも、まずは一人一人が思いやりを持つ地域を創ることがとても大事なんだと思いました。 


〈外国人のよりどころとなるSAKURA〉

                           (中川莉乃)

SAKURAの正式名称は、「南相馬市多文化共生センターSAKURA」といい、2021年6月28日にオープンしました。南相馬市に在住している外国の方に対し、週2回行われている日本語教室をはじめ、各種の生活支援を実施しています。
具体的な生活支援として、「雇用支援」「生活支援」「企業支援」「交流支援」の4つの柱を掲げています。このように「多文化の共生」のために活動している団体があるのは、近辺では仙台市などの100万人の都市と聞き、南相馬市が外国の方にも住みよい地域づくりを行っていることが誇らしくなりました。
以前から南相馬市は、アメリカのオレゴン州ペンドルトン市との間に「姉妹都市相互派遣交流議定書」を取り交わし、これまで18回にわたり派遣交流を重ねるなど、国際交流活動を行ってきましたが、SAKURAが出来たことで、さらに生活に密着したサポートが出来るようになりました。SAKURAの施設内の壁には、SAKURAがこれまで行ってきた交流イベントや地域イベントへ市内在住の外国の方が参加したときの写真が飾られていました。そこには外国の方が笑顔でイベントを楽しみ、真剣に話を聞いている姿が見られました。SAKURAを通して外国の方が南相馬に興味を持ち、一人の住民としてイベントに参加していることを見ることができ、とても嬉しかったです。遠くない未来に外国の方が夢や希望を掲げ、南相馬で地元の住民と共に協力しながら生活していく、そんな日常があって欲しい。それを叶えるためにSAKURAは南相馬市に多文化共生社会を築き、より多くの外国の方を南相馬市の住民として迎え入れています。

〈高校生へのメッセージ〉

                         (佐藤 菜々香)
最後に、只野さんから、私たち高校生に向けてのメッセージをいただきました。
「可能性は無限大!!」
 きっかけは何でも良いです。皆さんには、何かに熱中できることがある人になってほしい。私は高校生の時に、思い切って海外に行ったことで海外に魅了され、自分の熱中できるものをやっと見つけることが出来ました。自分がやりたいと思ったこと、海外に行くことに自分の時間をたくさん使えた経験が今の仕事に繋がっていると感じています。現状に不満がある人は、自分の周りの環境を変えてみるのも良いと思います。変化の中で、色んなことに積極的にチャレンジしていくうちに、夢中になれるもの、熱中できるものを、きっと見つけられます。それは、周りの人と違っていて良いのです。皆さんの可能性は無限大です。自分の可能性を信じて、色んなことにチャレンジしてください。
 
「自分の心の声を大切に」
   何か物事を考えるときは、自分の心の声を大切にしてみてください。そして、後悔のない選択をしてほしいです。
高校生の皆さんは、家族と受験などの将来の話をする機会があると思います。もちろん、保護者の方のご意見は大事ですが、自分の意志を大切にしてみてください。自分の中で納得して決めた事なら、たとえ上手くいかなくなっても、後悔することは少ないと思います。自分以外の人が決めたことをしていて失敗したときに、それを誰かのせいにすることは良くないことです。自分の責任で、自分がやりたいことを、後悔のないように思う存分取り組んでください。
 
只野さんの言葉には、学生時代に将来について悩んだからこそ、自分の将来について悩む私たちの心に響くものがありました。私たちの可能性は無限大であり、自分の責任で、自分のやりたいことに挑戦することができます。只野さんは、私たちに挑戦する勇気を与えてくれました。

只野さんと高校生編集部員

〈編集後記〉

自分たちの前に可能性が無限大に広がっていること、そして行動することの大切さを教えていただいた時間でした。
本当にありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?