高校生発 ロールモデルをみつけよう!#13 グラフィックデザイナー西山里佳さん
取材日:2022年6月12日
編集者:但野むつ美、高野真帆
今回のロールモデルは、福島県富岡町出身の西山里佳さんです。西山さんは、2018年4月に南相馬市小高区へ移住し、2021年にデザイン事務所を立ち上げました。
デザイナーのお仕事の中でも、グラフィックデザイナーとして活動している西山さん。
2022年3月、「高校生発 ロールモデルをみつけよう!」の記念冊子をつくる際には、デザイン全般を担当していただきました。ファッション雑誌さながらのおしゃれな出来栄えに、編集部員たちから感嘆の声が出てしまうほど。
私たち編集部ともご縁のある西山さんは、なぜデザイナーの道を志したのか、そしてなぜ小高で起業したのか、西山さんの仕事に対する想いをこれまでの歩みとともに伺いました。
デザイナーへの道のり
グラフィックデザイナーとは、雑誌の広告やポスターなどの印刷物をデザインする職業のことです。
西山さんがこの道を志したのは、高校2年生の頃、趣味の音楽のCDジャケットのかっこよさに惹かれたことがきっかけでした。「自分もこれを作りたい」との想いが沸き上がり、デザイナーについて調べ始めます。当時の地元では認知度が低いグラフィックデザイナーという職業を知り、自分の職業にしたいと強く感じた西山さんは、ご両親に心配はされても諦めず、グラフィックデザイナーを目指しました。
早く社会に出たい、自分の力で生きたいと思っていた西山さん。即戦力として成長するため、高校卒業後は美大ではなく、デザインの専門学校へ進学します。
その後、就活の時期になると、西山さんはある人を訪ねました。その人物とは、西山さんが中学生の頃から好きだったCDジャケットを手掛けた方で、西山さんがデザイナーを志したきっかけになった方でした。
弟子入りを申し出る西山さんですが、弟子も従業員も取っていないと断られ、一旦その方のもとで修行は諦めます。
それから数ヶ月後、その方から一本の電話がありました。手伝いをしないかという連絡でした。一人で飛び込んできた西山さんの熱意が通り、「弟子」として受け入れられたのです。
当時の西山さんの並々ならぬ行動力、デザインに対する熱い志を感じることができました。
因みに西山さんは、自分の会社を持った現在も、その方を「師匠」と呼び尊敬しています。とても素敵な関係のおふたりです。
デザイナーとしての成長
デザイナーとしての道を歩み始めた西山さん。下積み時代の苦労話を楽しそうに話してくれます。
師匠の元で学んだ8年間の業務内容は、多岐にわたりました。CDの歌詞カードやコンサートグッズ製作、撮影に必要な小道具などの手配、時にはジャケットに出演する赤ちゃんの手配まで行ったそうです!運転手や秘書のような業務もこなし、師匠の傍らで仕事の進め方を学びます。
やりがいのある8年を過ごし、西山さんは師匠の元を離れます。
いずれは自分で起業したいと考えていた西山さん。そのためにも「師匠以外の仕事の進め方を学ぶ必要がある。他の業界でも経験を積もう」と考えたそうです。
師匠の元を離れ、西山さんが就職先として選んだのは、主に某人気少年誌の販促物(店頭ポップやポスターなど)を手がける会社でした。
週刊誌関連の仕事が多かったため、常に締切に追われるハードな毎日を送っていました。そんな中でも、師匠の元で力をつけていた西山さんは、仕事を着実にこなし、実力を発揮していきます。
見せてもらったのは西山さんが携わったというポスター。そこには、今や国民的人気アニメであるキャラクターたちが魅力的にレイアウトされ、思わず引き込まれました。見た事のあるポスターもあり、私たちは大興奮。
気づかない間に、西山さんの作品が私たちの目に映っていたと思うとワクワクしました。
師匠の元から離れてまで自分の能力を高めようとする向上心。私だったら師匠から離れる事ができず、その場に留まっていると思います。自分に置き換えて考えてみるからこそ分かる西山さんの凄さに感服しました。
「粒粒」の軌跡
東京で働いていた西山さん。震災をきっかけに、地方のデザイン業にも目を向けるようになりました。そして、そのやりがいに気づき始めます。
一般的にデザインは、既存のものをさらに良くする役割(2〜3のものを9〜10へと進化)を担います。
一方、西山さんが地方のデザイン業に見たのは、ゼロから生み出していくデザイン業の可能性でした。
ゼロからアプローチしていくことへの面白さを感じた西山さんは、前述の会社に4年間務めた後、そのワクワクを求め、「地方創生デザイナー」として地元・福島へ。南相馬市小高区に移住することを決めました。
南相馬市起業型地域おこし協力隊の事務局として小高に移住した西山さん。小高を選んだ理由は「福島でゼロから関わる仕事を始めたい」という西山さんの想いと、その当時の小高の現状が重なっていたからだと言います。
小高区は震災と原発事故の影響で一時は人口がゼロになりました。つまり、商業も農業も、一旦ゼロになった場所でした。
ゼロになった町を新たに創っていこうという小高の雰囲気は、西山さんの目指す「ゼロイチ」スタートにぴったりと条件が合っていました。「ゼロから始まる全国のどこにもないフィールドがこの小高なんだ!」と気づき、デザイナーの枠を超え、一緒にゼロから作ることが出来る場、小高を選びます。
また、Next Commons Labの和田智行さんのように、起業する人の手助けをしてくれる方がいること、そして自分と同じように起業を目指す仲間が多いことも、小高ならではの大きな魅力でした。
2021年5月、西山さんはデザイン事務所兼クリエイティブスペース「粒粒」を立ち上げました。
西山さんのクリエイティブスペース「粒粒」は西山さんのこだわりが詰まった場所です。壁の色や西山さんデレデレの愛猫のための通路、憧れて買った暖炉から家具…デザイナーならではのおしゃれさです。また、開放的な空間は、イベントの場としても活用されるなど、その時々に合わせ、自在な使い方ができるように作られています。
西山さんはこの「粒粒」をアートとデザインの起点の場、地域の人とアーティストが入り混じる場、空間に「余白」を持たせることで様々な人が、表現のチャレンジを出来る場にするという野望を持っています。
個々の想いを尊重し、地域・職業に限らず人との繋がりや地域の輪を広げて行きたいとの西山さん。温厚な人柄のなかに熱く強い想いを秘めた西山さんのこれまで培った様々な経験と豊かな感性から成り立っている「粒粒」は、「表現からつながる家」というコンセプトのもと、地域内外の多くの方が集まる場ともなっています。地域に密着する新たな交流の場としてのこれからがとても楽しみになります。
西山さんの仕事観
「自分にしかできない仕事をすること」にこだわっていると話す西山さん。
その一つが「依頼の本質を見抜くこと」だそうです。お客さんの本当にしたいことは何か、話を通して目的を掘り下げることを意識しているという西山さん。お客さんの目的が明確にない時、お客さんと一緒に考えるようにしており、デザインの依頼も本当に必要かまで考え、提言をするとのこと。その姿勢は、西山さんの目指すゼロイチにも繋がっていると感じました。
また、「日常でデザインを意識して周りを見てみると面白い」と西山さんは言います。仕事とプライベートに境界をあえて作らず、こだわりの空間に身を置くことで、常に自らのデザインを昇華しようとする姿勢に感銘を受けました。
お話を伺っている際、「アートとデザインの違いってわかる?」と質問され「そう言えばどんな違いがあるのだろう…」と考えこんでしまいした。
一般的にアートは「問題提起」、デザインは「問題解決」だと言われているそうです。表現に重きを置くアートと異なり、デザインは伝わらなければいけない。一見似ているが、デザイナーの仕事は、思っていたよりもはるかに深く考えることが必要だという事を再認識することが出来ました。
高校生へのメッセージ
最後に、西山さんから私たち高校生へのメッセージをいただきました。
○自分の好きなこと・興味のあることに挑戦
例えば西山さんのお仕事であるデザイナーの仕事は、センスがないとできないと思われがち。しかし、西山さんは、センスは経験で身につけることができると言います。
「自分が努力することでセンスを身につけることもできるし、それを仕事にもできる。好きなことを本当にやりたいと思う信念があるなら、周りに反対されても挑戦してほしい。」
○失敗は経験のもと
何事も失敗してしまったら、悪い結果が付いてくる。当然失敗なんてしたくないですよね。 しかし、その失敗したという経験が大切なんだと西山さんが教えてくれました。
「失敗した経験があるからこそ、色々なことに気づき、対応できるようになる。自分で決めたことは例え結果が良くなくても、それは自分の糧になる。だから、失敗を怖がらずにどんどんチャレンジしてほしい。」
自分のやりたいことと現実のギャップや、将来の進路選択について悩める時期である私たち高校生にとって、西山さんの言葉は、私たちの背中を押してくれる、とても頼もしい言葉だと思いました。
好きなことを仕事にするために、たくさんの努力をし続けてきた西山さん。デザイナーとして、また、地域と個人を繋げる人としての強さと心意気を感じることができました。
【編集後記】
柔らかい雰囲気の中に凛とした強さを感じさせる西山さん。
「自分にしかできない仕事」を目指し、行動していく西山さんが眩しく感じた時間でした。
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