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高校生発 ロールモデルをみつけよう!#18 ArtyJUNGLE 宮森祐治さん

                        取材日:2023年4月29日
                     編集長:森谷麗奈・舟山碧人
小高の駅前通りにお店を構えるArtyJUNGLEは、麻や綿などの天然素材を使用し、誰でも長く着られる服を作ることを大切にしているお店です。最近は服だけではなく、ロボットテストフィールドで廃材になった材料を活用したアクセサリーなどの製品作りも予定しています。
今回はArtyJUNGLEの経営者であり、デザイナーでもある宮森佑治さんにお話を伺いました。宮森さんはどのようにファッションと出会ったのか、そしてどんなことを大切に仕事や地域と向き合っているのか、宮森さんの想いをこれまでの歩みとともにお伝えします。


宮森さんと取材に伺った高校生編集部メンバー

【学生時代から今へ、ファッションへの興味】

                            (中川莉乃)
小学校時代から作ることに関心が高かった宮森さん。図画工作の自主製作では、持ち前のセンスを活かした作品作りに器用に取り組みます。中学時代には、自分の服を改造するなど、服にも興味を持つようになりました。服作りへの関心が芽生えた宮森さんは、高校3年生の時に学校で開かれた講演会で郡山のファッション専門学校と出会い、明確な進路が決まりました。当時の宮森さんには、"ファッション"という言葉が輝いて見えたと懐かしそうに話してくれました。私はこの取材を通じて、宮森さんの一途なファッションへの愛情が今に繋がっているのだなと感じました。高校生の私たちにとって、宮森さんのように、1番好きなものを見つけるのは難しいでしょう。しかし、様々なものに興味を持ち続けることで、いつか本当に好きなものに出会えると思います。私自身も、将来何をしていけばいいのか悩んでいます。ですが、いろいろなことを経験していく中で、自分がやりたいと思うものに出会えたときは、それに全力で取り組んでいきたいです。

【作りたい洋服と師匠からの学び】

                      (田中由唯・高木野々花)
高校卒業後、郡山市の専門学校に進学した宮森さん。学生時代はファッションを学ぶ学生らしく個性的な服装を楽しんでいました。
学生時代を満喫していた宮森さんも卒業が近づき、就職活動を始める時期となります。ファッションデザイナーを目指していた宮森さんですが、当時の学校関係者も宮森さん本人もどうすればデザイナーになれるかわかりませんでした。先ずファッションに関わる道をとアパレル店の販売員求人に応募します。ところが、販売員の面接で「デザイナーになりたい」と毎回正直に自分の目標を話してしまいました。正直すぎる宮森さんは最後まで就職が決まりません。そこで、困った宮森さんは、専門学校の講師であるデザイナーに相談し、結果としてその方(以降、師匠)のもとで約3年間、さらに学びを深めるという道を歩むことができました。この3年間で、学校では学べないような、教科書や型紙の通りに作ることからより細かい技術や感覚を師匠から学び、確かなものにしていきます。宮森さんが自分の目標を見失うことなく突き進んだからこそ、更なる学びの機会を得たのだと感じました。
そんな宮森さんは独自の技術を身につけ、2014年、ミラノコレクションに自身の作品を出品する機会を得ました。このコレクションに参加したことで宮森さんは多くの気づきを得ます。同じコレクションに参加しているイタリアの方が作る服は、色彩感覚の美しさやデザイン性の高さが際立っていました。そのセンスは、イタリアの街並みを想起させるほどでした。しかしその一方、縫製の細やかさは、宮森さんの作った服が勝っていました。この時の経験から宮森さんは、丁寧な縫製を活かし、シンプルで長く着られる服という今のコンセプトを確立していきます。ミラノコレクションでの経験を己の糧にしていく宮森さんから、力強さを感じました。

【独り立ちと開店】

                           (松崎里帆子)
師匠の元で修行すること3年。宮森さんは師匠の勧めで、福島県立テクノアカデミー浜に以前あったアパレルシステム科の学生たちや、地元の縫製会社と一緒に、ArtyJUNGLEというお店を立ち上げました。南相馬市には元々縫製工場が多く、服飾界隈では有名です。地元の縫製会社の雇われ店長としてのスタートとなりましたが、次第に経営を任されていき、自分のお店として運営を担っていきます。開業当初は、一般的なブランドやメーカーと同じように流行の最先端を追及していました。しかしミラノでの経験や自身の嗜好もあり、次第に年齢問わず着られる、シンプルなデザインを目指していくようになります。

【地域とのかかわり】

                       (木村彩乃・佐藤心花)
宮森さんは、服作り以外にも地域内外の様々な活動に関わります。コロナ禍の中、相馬地方のお祭りである相馬野馬追を連想させるサムライマスク作りやミラノでの展示会への参加、ロボットテストフィールドとのコラボレーションで機械部品を活用したアクセサリー作り、そして南相馬市内で行われるイベントの企画・運営の手伝いなど、そのジャンルは多様でした。宮森さんは行動するとき、ビジネスになるかを念頭に置くのではなく「楽しそう、面白そう」と感じるかを大切にしています。「やりたいと感じたことをやってみて、それがいつか仕事に繋がったらいい」と話す宮森さんは、続けて「地域の方のおかげもあって仕事を続けられている」と話してくれました。地域の方に助けてもらったとの思いを持つ宮森さんだからこそ、いろいろな企画の相談をされたときに積極的に相談に乗り、その姿勢が更なる周りからの信頼の獲得につながるという好循環が生まれていると感じました。仕事というと、個人の感情より利益を追求することが求められる現代社会ですが、自分の思いを大切に仕事をしている宮森さんの生き方はとても素敵だと思います。また、就職は私たちにとってもいつか訪れる出来事です。これから自分の就きたい職業を考え、そこに向かって努力するうえで大切な考え方を、今回の取材で学ぶことができました。

【東日本大震災後の取り組み】

                      (舟山碧人・後藤那由多)
東日本大震災を経験した宮森さん。震災直後、自身や家族も大変な中、各地で様々な活動を行いました。被災地の”今”を伝えるために、ap bank  fes(音楽家の小林武史、Mr.Childrenの櫻井和寿、坂本龍一氏の3名が2003年に設立し復興支援活動に向け、野外音楽イベント等を開催)で福島の状況を話したり、自分自身が主催した講演会で南相馬の今を伝えたりします。その後も南相馬を盛り上げるために、南相馬市内で、街の未来を考えるイベントの一つである飲食店「だいこんや」主催の「光のモニュメント」プロジェクトで装置の輸入手続きを行うなど、服飾以外の分野でも活動します。服飾分野では、2016年から2018年の各年、南相馬市ゆめはっとで、学生からデザインを募集し、相双地域の縫製工場と連携した服のワークショップやファッションショーを行いました。ただひたむきに周りそして自分自身のために、ともに新たな南相馬を創ろうと努力を重ねていった宮森さん。私は、宮森さんが周りのために努力し、行動している姿に尊敬の念を抱きました。努力を積み重ねることが苦手な私にとって、小さな努力の大切さが身に沁みた時間でした。

【小高との関わり】~小高を選んだわけ~

                           (但野 むつ美)
立ち上げ時、ArtyJUNGLEは南相馬市原町区にお店を構えていましたが、2022年3月の福島県沖地震で大きなダメージを受け、移転せざるを得なくなってしまいました。そんな中、宮森さんが新たなスタートの場所として選んだのが小高区でした。
小高は、2011年の東日本大震災時の原発事故による5年間の避難指示が解除された2016年以降、新しく事業を始めたい人やものづくりに取り組む人が多く集まっています。例えば、ガラス細工であったり、お酒であったり、靴であったり…。宮森さんは小高の、ものづくりがしやすい環境や人々の温かい雰囲気がとても気に入りました。お店のお客さんに紹介してもらい良い土地も見つけられたことで、小高に新しいお店を構えることを決意します。
原町区のお店はいろいろな人に支えられながら運営できていたため、同じ南相馬の小高に残って今度は自分が周りの人々をサポートしたいと考えている宮森さん。小高区に服飾デザイナーという新たな風を吹き込んでくれました。

【これからの宮森さんと小高】

                            (只野千聡)
様々なものづくりが盛んな小高で店をスタートさせた宮森さん。ものづくりに携わる人たちと、クラフトフェアなど面白いイベントを始めたい、と楽しそうに話します。
宮森さんは、みんなと活動するときは裏方が好きといいます。実際にファッションショーなどの企画を行うときは、沢山の手続き、資金や人材の確保などの細かい面倒ごとがついてきます。当初、一人で頑張りすぎてしまい大変な思いを経験した宮森さんは、「みんなで大きな目標に向かって動くことは楽しい。自分の今まで経験したことが役に立つのであればうれしいよね」と語ります。さらに宮森さんは、新しい企画などを始めたい人のサポートなど、裏方として人をサポートしたいと話してくれました。この話を聞いた際、沢山の復興イベントやフェスに参画し、ファッションのお仕事として海外にも行くことがある宮森さんが、意外と「自分の店のため」「復興のため」とガツガツ活動されているわけではないことに驚きました。そして、周りの人の意見や声を聴き、それに寄り添いながら緩やかに活動していることに親近感がわきました。

Arty JUNGL店内の商品をワクワクしながら見入る編集部メンバー

【ArtyJUNGLEの魅力】

                            (高野育恵)
ArtyJUNGLEは、福島県立テクノアカデミー浜に以前あったアパレルシステム科の生徒さんと「お店がアーティスト気質の人が集まるジャングルのような場になってほしい」という思いを込め、名付けられました。
そんなArtyJUNGLEの服のこだわりは、綿や麻など、国産で植物由来の生地を使うこと。私たちが普段袖を通す服は、主に化学繊維や合成繊維を使った服が多いのですが、宮森さんはそれらの素材を使っていません。理由を聞いてみると、「天然素材だと肌に優しく、着るにつれ体になじんでいくから」だそう。確かに、天然素材は吸水・吸湿性や通気性がよい一方、形状が一定ではありません。そのため、様々な風合いを楽しめるのではないかなと思いました。また、宮森さんは「服を買った人が着たときに、その人の個性を出していけるような服を作りたい」と、デザイナーとしての意気込みも話してくれました。一枚の布から様々な個性が生まれる洋服が作られていく
ArtyJUNGLEには、不思議な魅力があります。

【宮森さんの服に対する思い】

                                                                                                     (森谷麗奈)

宮森さんは服を作る際、世代を超えて長く愛用してもらえるようなシンプルなデザインの服を作りたいという自身の思いを大事にしています。そのため宮森さんの強みの一つである、丁寧な縫製は大きな役割を果たします。宮森さんは以前、染物の服を作る際に気に入った染物の布地を、とある工場に持ち込みました。ところが、布地の染ムラはその工場では不良品だと言われ、加工を断られてしまいます。宮森さんは、色ムラなど一般的には欠点と見られがちな布の風合いも立派な魅力なのだと話してくれました。この宮森さんの服作りに対する柔軟な考え方や、天然素材の布が一定の形状をとらないことを逆手にとり身体への馴染みやすさを追及するArtyJUNGLEのこだわりなど、多様な視点を持つことはとても大切な考え方だと思います。また、柔軟な視点で作られた宮森さんの服は、特有の魅力があり、お店のある小高だけでなく福島県外からも根強いリピーターを獲得しています。

【高校生へのメッセージ】

                            (西内春満)
最後に宮森さんから私たち高校生へメッセージをいただきました。

「目標を決める!」
学校でもそうだよね、と編集部員に確認を取る宮森さん。
確かに学校では、学期始めやテスト前など様々な場面で目標をよく立てます。宮森さんも師匠からよく「目標を決めるように」と言葉をかけられていました。
目標を先に決めた方がいい理由を、宮森さんは例えやジェスチャーを用いながら丁寧に教えてくださいました。
目標を先に決めると壁にぶつかったときにも再度、自分で目標に向かう方法を探すことが出来るからだと言います。
宮森さんは「目標に向かっていろいろと道を変えてもいい」とも話します。
以前、宮森さんは前職が医学療法士だというデザイナーに出会ったことがあります。
その方は「自分は医学療法士だったからこそ、人間の体のつくりを理解している。だから着やすい服を作れる」とおっしゃっていたそうです。
ありたい姿を思い描くことができれば、どんな方法や手段からでも目標へ近づける。そう力強くおっしゃっていたのがとても印象的でした。

【編集後記】

やりたいことを突き詰める強さとチャレンジ精神を宮森さんに教えていただきました。
宮森さん、本当にありがとうございました。


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