見出し画像

「即興」で生きるとは

シェークスピアは「人生は選択の連続だ」と言葉を残し、ケンブリッジ大のBarbara Sahakian教授は
「わたしたちは1日生活する中で約3万5000回も決断をしている」と記している。

先日、ちょうど神戸からブエノスに来てたダンサーはなみさんとカフェ行くことになった。
「アルゼンチン人は生活そのものが即興」という話になり。
なるほど、旦那がアルゼンチン人かつ世界各国での生活を経験した彼女ならではの視点だなと思いました。
面白い話題だったのでまとまりのない殴り書きメモですが晒します。

書き手:Sakurako

「アルゼンチンは生活そのものが即興だよね」って話


たとえばブエノス生活ではこんなことがある。

・なにもかも時間通りにいかない(突然1日、公共交通機関が止まったり、ショーの時間が2時間も前倒し(逆も然り)になったり)

・生活品への価値観のずれ(コンビニでサクッと買う→捨てる文化ではない)

・インフレの大波(突然家賃が爆上がりして払えなくなりホームレス)

・なんか全体的にゆったり(いつもマテ飲んで一日中ダラダラ)

日本みたいに○時に約束だから○時に出発して○時の電車に乗って、、、みたいなことが不可能。だって何もかもがうまく機能してないから。
システム通りに動けないから、「即興」で行動を生み出すことがここの文化だって話。

「公共交通機関が動かない?しょうがないな、目的地まで歩いて1時間か、、、」

「集合時間?知らないよ。だいたい深夜くらいじゃない?」

「これ?12.000ペソだよ(本当は9.000ペソだけどお金持ってるっぽいしこのくらい大丈夫)」

これが日常。

「2:00の電車に乗ろうか、2:05の電車に乗ろうか」が日常の選択となる国と、

「2:00の電車に乗ろうと思ったけど電車動いてない。どうしようか」が日常の国。

アルゼンチンは次の選択肢までの距離が遠い。この表現が合ってるか分からないけど。
だから次の行動を自分で「生み出し」て、選択肢に加えることが大切。

タンゴに関してはどうだろう。

「(パートナーの動きに対して)そうきたか。それならこうしよう」
であって、

「なにするんだろう。邪魔しないようにしよう」
こんな考え生まれづらい。

即興で踊ることは戦いであるってセバスチャンアルセは言っていたけど、まさにそうだなと最近思う。

即興ってアグレッシブ。

「今日のランチ?あなたが決めて」

じゃなくて、

「ここ行ってみたいんだけど、どう?」の精神。

常に提案し続ける。

「私はこれがやりたいんだから」

は考えの押し付け。そうじゃない。

選択肢を広げるための提案が大切。

そしてすぐは動かない。何をするにしても腰を上げるまでに時間がかかるアルゼンチン人のダラダラ感がタンゴに必要な「重さ」にも繋がってる気がする(笑)

そして、1番不思議なのは行き当たりばったりで良い加減に生きるアルゼンチン人(もちろんそうじゃない人もたくさんいるよ!)のアブラッソはバツグンに気持ち良いってこと。

それじゃあ日本から離れられないor時間ないから1週間しか滞在できないって人は本当のタンゴ踊ってないって言うのか!!

そんなことはない。

長くこっちで生活すればいいってもんでもないと思う。

日本人の勤勉さはタンゴにとても向いてると思うし、あとはなんだろう、「適当さ」「肩の力を抜く勇気」みたいなものが必要なのかな、と。自分の踊りと考え方を振り返って思う。

そう、「良い加減」で生きること。柔軟に考えを曲げられて、全てに秩序を求めないこと。これが足りないんじゃないかなと。


そんなことを考えさせられたハナミさんとのお茶会inブエノスアイレスでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?