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愛から始まる戦争もあるけれど、それでもわたしはハグをする

2024年早々、地震や航空機事故や、
たくさんの心痛むニュースがいっぱいで。


自分の身の回りには被災、事故にあった方はいなかったのに、それでも心が沈んでいる。
でもクヨクヨしても微塵も被災された方への為にはならないので、せめて明るく、落ち着いたら募金や物資支援でエールできたらな、と。

そんな感じで新年一発目、迷走部屋から始まります!

書き手:Sakurako

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つい昨日、タンゴ公演を地元で主催することになり、新聞社がインタビューにきた。
そのときに不意に言った言葉がある。

「国境も世代も言葉も超えて、人がハグをしてタンゴを踊れば、世界は平和になると思う」

バカらしいと思われるかもしれないが、割と本気で思っていた。

でも同時にもう一つ、公演の宣伝には関係ないので口には出さなかったが、こう付け加えたかった。


「ハグから始まる戦争もあるのだ」と。


タンゴのメリットについて語るとき、必ずハグのもたらす幸福感や充足感が話題になる。

「ストレスが軽減される」
「リラックス効果がある」
「自己評価が高まる」などなど。
(確かにそうだなと思う反面、それはハグする相手によるでしょ、と突っ込みたくもなるけど)

なるほど、紛争地帯の若者たちが争う相手とハグをしているシーンを見ると、

「もう銃なんか捨ててハグしてついでに踊っとこうぜ、ハッピー」
なんて思う自分もいる。

だけど実際はそうはうまくいかない。

今ハグをして笑い合った恋人を、「興味があったから、誰でもよかった」と不意に殺されてしまったら。そんな時にこの殺人鬼をハグして「それでも赦します」なんて、聖人君主以外に言える人はいるのか、と。

もっと身近に言い換えたら、恋人が浮気してしまったときに相手の女に向かって「この女狐め、一生許さんわい」なんて思う女性や

推しのアイドルが誹謗中傷から自殺してしまい「ネットで人を傷つける奴を特定して住所晒してやろう。ついでに尻割り箸で晒し者の刑にしてやるわい」と思うファンたちなど(筆者の憶測です)

愛から始まる争いは腕を伸ばす範囲にたくさん転がっているのだ。

全てがディズニー映画のように、主人公たちが苦難を乗り越え、悪者は罰せられ、みんながハッピーエンドになれればそれでいいけれど、現実はそう甘くないと大人は誰でも知っている。

1番恐ろしいのは、自分のやっていることが絶対に正しいと思い込むことだと思う。
それは考えることを止めちゃうのと同じ。
せっかく思考できる生き物に生まれたのに、もったいない。
正しいことなんて、「今は」それが正しいだけ。もしくは、わたしたちは都合のいいことを「正しい」と思いたいだけなのかもしれない。

人は誰でも、ヴィランになりうる。


タンゴという狭い世界の話になってしまうが、どんなに💩みたいな口臭の人間でも、奇抜な格好をしていても、みんなとりあえずアブラッソ(ハグ)するところが面白いと思っていて。


嫌いなら近づかないのが一般的だろう。


それでも音楽が鳴り、お互いに目が合えばフロアに出るし、踊り終わったらハグをする。


相手が苦手だったとしても、苦笑いでとにかくハグをする。

良い悪いではなく、なんかそうしちゃう。

でもこれでいいんじゃないかと思う。


全員を好きになる必要はないし、全員に愛を与える必要もない。


だけど、踊ってる間だけは目の前の相手のことを考えて、丁寧にアブラッソして、たくさんボディランゲージでコミュニケーションをとる。

3分でさよなら。


愛だ平和だと口にすれば全てがなんだか重いドロドロした話になってしまうが、もっと軽いレベルで考えていいんじゃないかなと。

両津勘吉もこう言ってるし。



刹那的でいいじゃない。
マラソンだって、いきなりフルで走ったら途中リタイアでしょう。始めは、軽く。
興味があれば、徐々にギアを上げていけばいい。

嫌なこともあるし、悲しいニュースもあるけれど、それでもタンゴを踊ってお酒飲んで、今日の平和を願います。

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