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私は私の文章が好き

 2022年、年の瀬、部屋の大掃除。物に溢れて床が見えない――いわゆる“汚部屋”の私はなかなか手を進めることができずにいました。大掃除の度に思う。こまめに掃除をしよう、と。しかし、元々整理整頓が好きな人はここまで放置しておけない……ずぼらな私だからこそチリが積もって大きな山となっているのです。

 そんな宝の山の中にノートやルーズリーフ帳を見つけました。
「わあ……! 懐かしい」
 それは、私が学生のときに書いていた創作ノート。文芸部に所属していたときのものです。懐かしさにそれを開けば余計に掃除が滞ります。
 でもそれでよかったと思いました。
 当時の私が身を削るように生みだしていた文たちと再会することができたからです。書いては読み返し、赤ペンで訂正して…読み返して書き進め、訂正して……

当時書いていた創作ノート

 私はこれを見て

「私、やっぱり自分の文章が大好きだなあ」

 思わず口からこぼれていました。

 世間から見ればそりゃ駄文でしょうけれど、私がそのとき最善を尽くして書いた文章は今でも私の心の柔らかいところに刺さるのです。そして当時のエッセンス――学生のときであるならばちょっと背伸びして小難しい言葉を使いたがっているところ(笑)――もあってなお味わい深いです。

 小さい頃から本の虫で、いつしか頭の中で物語の続きを描いていた私。大きくなるごとにそれは「空想」であることを知り、そして文章で表現することを楽しんでいました。入学した高校には文芸部があることを知り、私の居場所が見つかったかのように嬉しかったことを覚えています。部室棟のはじっこで、お菓子を食べながら少人数で集まっていた放課後に戻りたいです。
 つまらない授業中にノートに忍ばせながら書いていたこと。文化祭で出す部誌の締切に間に合わないと焦っていたこと。書きたいことが全然思いつかずスランプに嘆いていたこと。後輩のほうが素敵な文章を書いていて悔しがっていたこと。
 創作ノートをめくるとあのときが鮮明に蘇ります。

 しかし大人になるにつれて、大好きな活字から離れペンを持つ機会も減りました。手にはいつもスマートフォンを持ち、膨大な量の情報をインスタントに手に入れられる。
 そんな手軽さを享受しているうちに情熱は消えかけていました。

 そんな灯火を繋いでくれたこのノートは何度大掃除をしても捨てられそうにありません。燃やすとすれば私と同じ棺に入れるときぐらい。それほどに私の原点なのです。




 だから区切りのいいこの年始に、また文章を生みだしたいという気持ちが芽生えたことをここに記させてください。決意やら覚悟やらと書くと、三日坊主の私の頭に磨きがかかりそうなので……(笑)
 どうか、見届けていただければ幸いです。




なぜ文章を書くのが好きになったのか。言葉を吸収していた幼少期の話はこちら↓

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