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推しは推せるときに推せ

 今日は11月04日。語呂合わせで「いい推しの日」。皆さんに推しはいますか?

推し(おし)とは、特定の人物やキャラクター、作品、商品などに対して、熱心な支持や愛情を示す行為やその対象を指す言葉である。

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 もはやわざわざ意味を引用しなくても、市民権を得ている言葉だ。アイドルの推しやアニメキャラクターの推し、最近は同僚やクラス内の推しといった同じコミュニティ内へも普及していっている。なんにせよ、推しの存在は生活に彩りや活力を与えてくれるのだ。

 そんな星の瞬きも消えてしまうときがくる。推しの引退、活動休止、解散――。私は声を大にして言いたい。

 推しは推せるときに押せ




 私は近所の図書館に通っていた。小学校中学年の頃、さくらももこ先生のエッセイに出会い、「こんなに面白い本があるんだ!」と幼心に感銘を受ける。さくら先生のエッセイは活字本なのにゲラゲラ笑えて、まるで友達とおしゃべりしているかのような体験だった。
 それからはさくら先生のエッセイ、漫画を読み漁る日々。また、そのときの私は物語を書くことにもハマっていたので、コジコジをパクっ……オマージュしたオリジナルキャラクターの作品を書いていた。
 そんなにさくら先生への愛情を爆発させていた私だったが、今度はそれを誰かと共有したくなる。現在はSNSで簡単に同志と繋がることができ、語り合えたり、自分の思いをネットの海へとぽつぽつ投げたりすることができる。が、もちろん当時そんなものはないので、幼い私は悶々とする。
 しかし、いました。この思いをぶつけたい人が。
「そうだ! 直接本人へ伝えればいいんだ!」
 人生で初めてファンレターを書くことになる。
 内容は忘れてしまったが、とにかくあなたの作品が大好きだということを書き連ねた。具体的な作品名を挙げてこの部分が面白いだとか。そして終いにはオリジナルキャラクターの絵を描き、弟子にしてくださいという締めくくり。我ながらそのバイタリティ溢れる姿に感服する。
 よしよし、書けた、と。あとは母に相談して封筒の住所や宛名の書き方を教えてもらい、封をした。
 その日は布団の中で考えた。もしさくら先生が私の思いに感銘して、弟子にしてもらえたら……。私はお父さんとお母さんを置いてさくら先生のもとへ住み込みで修行をしないといけないのかな……それはちょっと寂しいな。

 一夜明け。ここまでお読みの方は次することはさあ投函だとお思いだろうが、ここにきて当時の私はなんと
自分が書いたファンレターを恥ずかしいと思ってしまったのだ。
 書いたときの情熱はなんだったのか。凪が急に来た。片田舎の子どもが弟子にしてくださいって(しかもオマージュしたオリジナルキャラクターを添えて)、なんて図々しいんだ! そもそもこんな手紙を読んでくれるかわからないし……。
 私はファンレターを机の引き出しにしまった。

 月日はだいぶ流れ、私は活字からすっかり離れていた。さくら先生の作品が既に思い出になっていた頃、衝撃的な形で再会する。
 さくら先生がこの世を去ったのだ。
 ニュース番組で訃報が流れる。
 その晩、また布団の中で考えた。そして、あの出せなかったファンレターのことを思い出した。もし、あのとき送っていたら? なぜ、私は自分の情熱を恥ずかしがった? 私の思いが少しでもさくら先生にとって温かいものであったらよかった。後悔に打ちひしがれる。
 あのファンレターはもうどこにいってしまったかはわからない。




 その後も色んな推しに出会ったが。自分があなたのコンテンツを楽しんでいる、元気をもらっているということを、少なからず推しに伝えられたらと思っている。それがCDや本を買うことなのか、イベントやコンサートに参加することなのか、SNSに反応することなのか……とにかく、推しの活動にリアクションすることが大切だと思う。それが私の“推し方”。
 私はさくら先生の作品が大好きだったのに、思いを伝えようとしていたのに、それをしなかったからさくら先生にとって私はただの読者だった。でもあの当時の私はただの読者じゃない。ファンだった。今でもこんな不健康なファンレターを書くような。


 何回でも言う。推しは推せるときに押せ。後悔しないような推し活を。

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