超ひも理論:宇宙のあらゆる現象を記述する万物の理論の有力な候補
人類は古くから万物を構成する最小単位を追究してきました.やがてあらゆる物質が原子でできていることがわかり,化学反応などの理解が飛躍的に進みました.その後,原子は原子核や電子から構成されていることがわかり,原子核はさらに陽子や中性子という小さな粒子が集まってできていることが明らかにされました.そして陽子や中性子は,クォークと呼ばれる粒子からできていると考えられるようになりました.
陽子と中性子は,アップクォークとダウンクォークによって構成されています.つまり原子を細かく見ていくと,電子とアップクォークそしてダウンクォークに分けることができ,これらは現在のところ,それ以上分けることのできない最小の粒子である素粒子と考えられています.
これまでに宇宙線の観測や加速器での実験などによって,クォークという素粒子は6種類あり,電子の仲間であるレプトンという素粒子も6種類あることがわかってきています.さらに自然界には四種類の力がありますが,それらは素粒子のやり取りを通して伝わると考えられていて,そうした力を伝える素粒子は4種類が見つかっています.そして最後に,万物に質量を与える素粒子であるヒッグス粒子があります.これらを合わせると,これまでに見つかっている素粒子は17種類あることになります.
そして近年,素粒子の正体はひもであるとする理論が主に物理学者や数学者によって世界中で研究されてきています.超ひも理論あるいは超弦理論と呼ばれます.今回は宇宙のあらゆる現象を説明できる万物の理論となる可能性があるとされる超ひも理論について紹介していきます.
素粒子の標準理論とくりこみ
従来の物理学では,素粒子の大きさはゼロであるとされていました.原子のサイズは10のマイナス10乗メートルほどですが,その中にある陽子はさらに小さく,10のマイナス15乗メートル程度しかありません.そして,その陽子を構成する素粒子であるクォークのサイズは,実験的には最大でも陽子の1万分の1程度,すなわち10のマイナス19乗メートル程度より小さいことがわかっています.そのため,素粒子を記述するいわゆる素粒子の標準理論では,素粒子は大きさゼロの点として扱われてきました.
しかし,そのように扱うと,素粒子間にはたらく力を考える際に問題があることが指摘されるようになります.例えば,電子にはたらく電磁気力を考えます.電子はマイナスの電荷を持っていますから,周囲にプラスの電荷を持つ粒子があれば引力がはたらき,マイナスの電荷を持つ粒子があれば斥力がはたらきます.電磁気力の大きさは,粒子間の距離の2乗に反比例しますから,近い距離にあるほど大きな力がはたらきます.
問題は,電磁気力は発信源である自分自身にもはたらくことにあります.もし電子が大きさゼロの点であるとすると,その電子自身までの距離はゼロですから,電子自身によって無限大の大きさの電磁気力が生じることになってしまうのです.その結果,電子は無限大のエネルギーを持つことになり,質量とエネルギーの等価性から電子の質量は無限大ということになってしまい,明らかに実験結果と矛盾した結論が得られてしまいます.
従来の物理学の理論においてこの無限大の問題を解決したのが,1940年代に日本の物理学者朝永振一郎が提案したくりこみ理論です.同等な理論はアメリカの物理学者ジュリアン・シュウィンガーとリチャード・ファインマンによっても独立に提案されました.
電子全体の質量は,電磁気力のエネルギーに由来する質量と,電子固有の質量を足し合わせたものと考えることができます.くりこみ理論の考え方は,電磁気力のエネルギーが無限大に近づいたときに,それをキャンセルするよう電子固有の質量を負の無限大とする,というものです.
くりこみ理論により,素粒子を大きさのない点として扱っても計算上の矛盾は生じなくなりました.そして1970年代には現在の素粒子物理学の基本的な枠組みである標準理論が構築されました.
超ひも理論の誕生と進展
しかし,標準理論には大きな問題が残っていました.自然界にある四つの力のうちの三つ,電磁気力と強い力,弱い力については標準理論をもとに計算することができます.しかし,重力に対してはくりこみ理論がうまく適用できないために無限大の問題を回避できず,他の力とうまく統一することはできませんでした.
そんな中,1974年,アメリカの物理学者ジョン・シュワルツとフランスの物理学者ジョエル・シャーク,日本の物理学者 米谷民明(よねやたみあき)は,素粒子をひもであると考えることで,くりこみ理論を使わずとも無限大の問題を回避できることを示しました.このことは,ひも理論であれば重力を含めた四つの力を同時に取り扱うことのできる理論を構築できる可能性を示唆しています.
さらに1984年,シュワルツはイギリスの物理学者マイケル・グリーンとともに,それまでひも理論が抱えていた問題を解消する方法を発見して,ひも理論の発展に大きく貢献しました.これによりひも理論は四つの力を統一できる素粒子の理論の有力な候補として注目され,第一次超ひも理論革命へとつながっていきました.
1995年には第二次超ひも理論革命が起こります.それまで超ひも理論にはタイプI,タイプIIA,タイプIIBなど五つの種類が提案されていました.そんな中,アメリカの物理学者エドワード・ウィッテンらは,それら五つの種類の超ひも理論は本質的には同じものであり,それぞれ別の側面から見ているだけであることを主張したのです.さらにウィッテンは,これら五つの超ひも理論を俯瞰する真の究極理論があると考え,それをM理論と呼びました.ただし,M理論についてはいまだよくわかっておらず,真の究極理論になりうるかは不明です.現在では超ひも理論という単語は,五つの種類の超ひも理論とM理論の総称として使われています.
ひもの性質
超ひも理論におけるひもは,太さのない一次元の物体とされていて,その長さは原子核よりずっと小さく,10のマイナス35乗メートル程度しかないと考えられています.また,ひもは両端がくっついている閉じた状態と,そうでない開いた状態があるとされています.さらに,二つのひもがくっついて一つになったり,逆にひもが切れて二つになることもあるとされていて,それらはある素粒子が別の素粒子に吸収されたり,素粒子が放出されたりする反応に対応すると考えられています.
超ひも理論におけるひもの重要な特徴は,たえず振動していることです.その振動数は1秒間に10の42乗回以上で,途方もない速さで振動していると考えられています.ひもは一種類しかありませんが,その振動の仕方や巻き方などによって異なる素粒子に見えるとされています.
例えば,両端が固定されていない開いたひもは,両端が振動の山もしくは谷の頂点となり,言い換えると両端が振動の腹となるように振る舞います.そして振動の腹と節の数が増えると,振動の仕方が変わってきます.ひもの振動の腹の数が多いほど激しい振動に対応しているため,エネルギーの高い振動と捉えることができます.したがって質量とエネルギーの等価性を考慮すると,激しい振動を示すひもは質量の大きい素粒子に対応することになります.
振動の腹の数を増やしていくと,その分だけひもの振動のバリエーションは増えますから,原理的には無限の種類の素粒子が存在する可能性があります.これまで人類は17種類の素粒子を発見していますが,こうした超ひも理論の考え方によるといずれも比較的質量の小さいものであり,今後超ひも理論から存在が予言されるさらに重い素粒子が発見されるかもしれません.
また,自然界ではたらく力は素粒子によって伝えられると考えられています.電磁気力を伝えるのは光子,クォークを結びつけて原子核内の陽子や中性子をつくりあげている強い力を伝えるのはグルーオン,ベータ崩壊を引き起こす弱い力を伝えるのはウィークボソンです.そして重力も他の力と同様に素粒子の受け渡しで伝えられるとされていて,その素粒子を重力子と呼びます.しかし,これまでのところ重力子は見つかっていません.
超ひも理論の予言する9次元空間
超ひも理論が正しいとすると,この世界の空間は9次元が必要と考えられています.私たちの日常生活にもとづく直感によると,空間は縦・横・高さの3次元で構成されていて,従来の物理学では空間は3次元で表されてきました.しかし,超ひも理論では,空間が3次元しかないと理論が破綻してしまうのです.
超ひも理論では,ひもの振動状態によって素粒子を表現しています.空間の次元が多いほど振動状態は多様になり,さまざまな素粒子を表すことができるようになります.そして,現実の素粒子をちゃんと表現するためには,空間は3次元では足りず,もっと高次元の空間が必要になるというわけです.そうした高次元の空間は余剰次元と呼ばれます.ただ,私たちが住む世界はどう考えても3次元しかないように思われます.余剰次元の空間はいったいどこにどのようにして存在しているというのでしょうか.
研究者たちは,余剰次元の空間はきわめて小さいスケールに丸まっている可能性があると考えています.たとえば,床に敷かれたカーペットを考えます.日常生活で私たちがカーペットの上を移動する場合,カーペット上の任意の点は縦と横の二方向で表すことができます.したがって,カーペットの上は二次元で表現されると考えることができます.
これに対して,きわめて小さいムシがカーペットの上を移動する場合,縦と横の二方向に加えて,カーペットの糸の方向,すなわち高さの方向にも移動することができます.したがって,カーペット上の任意の点は三方向で表されることになります.つまり,私たちにとってカーペット上は二次元であっても,きわめて小さいスケールで考えると本当は三次元であることがわかる,というわけです.
これと同じように超ひも理論で考える余剰次元も,私たちのいる世界に小さく丸まって存在していると考えます.余剰次元を小さく丸めるための数学的な手法はコンパクト化と呼ばれています.コンパクト化は,ドイツの科学者テオドール・カルツァとスウェーデンの物理学者オスカル・クラインによって1920年代に考案されましたが,1980年代になって超ひも理論が発展していく中でその考えが取り入れられていきました.丸め込まれた余剰次元は,数学的に複雑な構造をしていると考えられていますが,有名なものにカラビ=ヤウ多様体と呼ばれるものがあります.
超対称性粒子
先ほどは超ひも理論の「ひも」に関する性質を紹介しましたが,超ひも理論の「超」にも意味があって,超対称性という性質を表しています.素粒子は大きく分けて,ボソンとフェルミオンという二種類の素粒子に分類されます.ボソンはスピンの値が整数の素粒子で,素粒子間の相互作用を伝えるゲージ粒子と,素粒子に質量を与えるとされるヒッグス粒子が含まれます.フェルミオンはスピンの値が1/2や3/2といった整数+1/2となる素粒子で,クォークやレプトンといった物質を構成する素粒子が含まれます.
従来のひも理論はボソンしか扱うことができませんでしたが,超対称性という考え方を導入したことで,フェルミオンも扱うことのできる理論である超ひも理論へと発展しました.超対称性の考え方によると,既知の素粒子それぞれにパートナーとなる素粒子が存在します.それぞれの素粒子に対してボソンとフェルミオンの性質を入れ替えた粒子で,超対称性粒子と呼ばれます.たとえば,ボソンである光子(フォトン)の超対称性パートナーは,フェルミオンの特徴を持つフォティーノです.ただ,これまでのところ超対称性粒子は一つも見つかっていません.
超対称性粒子の探索は,ヨーロッパ原子核研究機構CERNの大型ハドロン衝突型加速器LHCなどによって行われています.もし実験によって超対称性粒子の存在が確認されれば,超ひも理論の研究はさらに注目を集めると期待されます.
また,超ひも理論ではひもの振動が激しいほど質量の大きい素粒子に対応しますが,ひものとりうる振動状態には制限があるため,ひもの振動は段階的に激しくなり,素粒子の質量の増え方も段階的になると期待されます.したがって,同じような性質を持ちながら質量の2乗が2倍,3倍となる素粒子が存在すると考えられます.もしそのような素粒子が見つかれば,超ひも理論の強力な証拠とされるでしょう.
実はそうした素粒子の質量は一般にとても大きいため,LHCではエネルギーが足りないと考えられています.ただ,超ひも理論のモデルによっては,LHCや次世代の加速器で探索することのできる比較的軽い素粒子の存在を予言しているものもあります.それらが正しい場合,近い将来そうした素粒子が実験によって検出される日が訪れるかもしれません.
今回はこの世界すべてを記述できる可能性があるとされる超ひも理論について紹介してきました.超ひも理論を用いれば,標準理論では解き明かすことのできない宇宙のはじまりに迫ることができるとされています.宇宙誕生直後,物質をつくる素粒子と力を伝える素粒子がきわめて高密度に存在する状況で起きた現象を明らかにできるかもしれないというわけです.今後の研究によってそうした大きな進展が得られることを楽しみにしています.
参考文献
『東京大学の先生伝授 文系のためのめっちゃやさしい 超ひも理論』
https://amzn.to/34iA5yI
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