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論文レフェリーってもっとフレンドリーな方がいいんじゃないかな

Twitterのタイムラインを眺めてたら,ある研究者のツイートで,自分たちが投稿した学術論文に対するレフェリーレポートが返ってきたけれど,改訂に取り組むのが辛い,と言っているのが目に入りました.

私はそのレフェリーレポートを見たわけではないので実際は分からないのですが,推測するに,届いたレフェリーレポートには手厳しいコメントが並んでいて,それによりその研究者は論文を改訂する気を失ってしまっていると思われます.


そんなふうに考えたら,なんとなく残念な気持ちになりました.


残念に思ったのはその研究者に対してではなくて,その研究者のやる気を削いでしまうようなレポートを返したレフェリーに対してです.


幸い,私自身が筆頭著者となっている論文でそこまで辛辣なレフェリーレポートが返ってきたことはまだありませんが,私が共著者として入っている論文を思い出すと,読んでいて不愉快になってしまうようなレフェリーレポートが返ってきたことがあります.記述されている内容は,要約すれば真っ当な批判であったり,結果の信頼性を確認するための追加の解析提案であったりして,心を強く持って読めば大したことはないことが多いのですが,いかんせん言い方が強いために読んでいるだけで気が滅入ってくるようなものです.

筆頭著者ならきっと尚更です.もしそれを受け取った筆頭著者が駆け出しの若い研究者だったり,ましてや大学院生で初めて投稿した論文に対してだったりすると,場合によっては投稿した論文を取り下げたいと相談してくることもあるでしょうし,周囲の手厚い支援なしには改訂が全く進まなくなってしまうこともあるのではないかというのは容易に想像されるところです.


もちろん,客観的な事実をもとにいろいろな人たちとバチバチに議論し合って,さまざまな検証を行なって,それでもなお生き残るような強い結果を論文として報告するべきである,そうした強い結果から言えるロバストな結論が重要である,というスタンスは理解できます.

ただ,そうしたスタンスを実践するのに,攻撃的・否定的である必要はないと思います.


これに関連して,いわゆるロサダの法則をもとにした「3褒めて1叱るべし」っていう「教育黄金比」があったなぁと思って検索したら下記リンクにあるように根拠に乏しいとされてしまったそうですが...,それでも私たちは,否定的なことばかり言ってくる人に対して嫌悪感というか,その人の発言を受け入れたくないという感情を抱きやすくなることを経験的に知っていると思います.(すべての人がそうというわけではないと思いますが.)
https://gigazine.net/news/20180305-british-amateur-debunk-hapiness-law/


建設的な議論をするのに,お互いに考えを主張し合うだけでなくて,敬意を持って互いを尊重し合って,時には相手の発言で同意できることに先に触れた上で議論に入ったりすることで,物事が円滑に進むことは多々あるのではないかと思います.


度を越すとハラスメントとみなされてしまうものもあるかもしれません.発信している本人は,査読している論文について懸念される点などを何気なく質問しているだけのつもりかもしれません.そして,著者に対して批判的なコメントをすること自体はとても良いことと思います.研究会などでもらったコメントがきっかけとなって,さらなる発見につながったり,議論の弱いところに気付いて補強できたりした経験がある研究者は少なくないと思います.

しかし,発信する側は,その言い方しだいでは著者のやる気を大きく削ってしまう可能性があることに留意する必要があるのではないかと思うのです.そうして著者のやる気を削ぐことは,多くのレフェリーの意図するところではないと思います.サイエンスの進展を遅らせることは,ほぼ誰のメリットにもなりません.なるとしたら似たような研究をしていて先を争っている競合他社くらいでしょうか.


そんなことを考えますと,そもそも査読付きの学術雑誌で論文を発表する必要はあるんだろうかという疑問が生じます.分野によると思いますが,私の属する業界では最新論文は出版前に基本的にarXivにアップロードされますし,そもそも査読される前の,雑誌に投稿された段階のものがarXivで公開されることもしばしばです.もちろん読者は投稿段階の論文については掲載受理後の論文より注意して見ることになりますが,昨今では扱っているデータも一定の占有期間の後に各観測所で公開されていることも多いので,間違った結果は別論文による追解析だったり,もしくは新たな観測による結果だったりにもとづいて否定され,やがて淘汰されていきます.そう考えると,査読付き雑誌で論文を出版することの意義が感じられないかもしれません.

ただ,arXivに投稿された論文の読み方を思い出すと,人によるとは思いますが,多くはタイトルと著者名を眺めるだけで,もし気になったらアブストラクトと重要そうな図を見てみて,さらにもし興味のある議論がありそうであればそれに関する記述を読む,といった程度かと思います.そうして見てみた箇所に議論の飛躍があったり見落としがあったりすれば気付くこともありますが,それほど興味を持っていない結果については基本的にスルーしてしまいます.

一方で,査読する場合はレフェリーは興味がない部分も含めて基本的に論文をひと通り読んでコメントを返すことになります.したがって,査読システムがあるおかげで指摘してもらえて気付くことができた見落とし等は数多あるのではないかと想像できます.

arXivで公開することで当該コミュニティにチェックしてもらえるものの多くはその論文のメインの結果だったり,そのとき流行っている内容だったりになりそうですが,論文の中にはそれ以外のさまざまな情報も記述されていて,さらにその中から後に重要であると認識されて注目されるものもあるかもしれません.したがって,査読する人の数は限られはしますが,専門家によって投稿された論文をひと通りチェックできることを考えると,査読制度は当該コミュニティによるチェックと相補的な一面がありそうです.


ただ,そうした良い面を持つ査読制度が,研究の進みを遅らせてしまい得る一面も持つことは先に述べた通りです.ハラスメントに似ているのだとすると,もしかすると辛辣なコメントを送っている「加害者」側はそのことを認識すらできていないかもしれません.

ここまで書いてきましたが,ではどうすればよいかという改善案を持っているわけではありません....ただ,少なくとも私自身が心がけているのは,その筆頭著者を知っている場合はその当人が,そうでない場合は身近な学生がその筆頭著者だと想定して筆頭著者が受け取ったときに,不快な気持ちにならないようなレフェリーレポートをできるだけ作成しようとすることでしょうか.

レフェリーレポートはその求められる役割のため,一般的に批判的なコメントが多くなりがちです.しかし,論文を査読していて,質問したくなったりツッコミを入れたくなったりするだけでなく,堅牢な議論をしている箇所だったり,きわめて重要な結果が得られている箇所だったり,何かしら良いところに気付くことはあると思います.通常,レフェリーレポートの冒頭でそれらについて触れると思うのですが,場合によっては批判的なコメントを列挙している中に,そうした点についてポジティブなコメントを添えるというのはどうでしょうか.そんなレフェリーレポート受け取ったこと無い気がしますが,想像するに,批判がわらわらと続いている中でぽろっと,この解析すばらしいねとか,この議論は完璧ですねとか称賛されたら,なんだかほっこりしそうじゃないですか.そんなこと言ってもらえたら,少々厳しいコメントが含まれていたとしても,建設的に捉え直して取り組めそうな気がしてこないでしょうか.

そこまでしなくても,単に言い方に注意するだけでも変わると思ってて,「〜には反対である」,「著者たちには見落としがある」,「〜をチェックしなければいけない」,などとバシッと言いたいところを,「〜の可能性が心配ですが大丈夫ですか.できればこんなチェックができると良さそうです」などとマイルドな表現に言い換えただけでもだいぶ印象は変わると思うのですが.

そうして著者たちがレフェリーレポートによって精神を削られることが少なくなると,その分だけ当該コミュニティの生産性って向上したりしないでしょうか.


...なんて,あんまし気を遣いすぎてもしょうがないかもですが,ふとTwitterで冒頭に述べたような状況を目にしてしまって,なんとなく思うところあったのでつらつらと書いてしまいました.


こんな記事もありました.
https://www.astrobetter.com/wiki/tiki-index.php?page=Refereeing+and+Peer+Review


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