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宇宙マイクロ波背景放射

夜空にはたくさんの星々が輝いています.天体が何もないように見える場所でも,望遠鏡を使って長い時間をかけて写真を撮ると,肉眼では見ることのできない暗い天体が無数に存在していることがわかります.

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ただ,それは可視光と呼ばれる550ナノメートル付近の波長を持つ電磁波で見た宇宙です.実は,可視光に比べて宇宙全体がきわめて明るく見える波長帯があります.マイクロ波と呼ばれる波長帯です.

Dole et al. 2006, Figure 14

現在の宇宙はマイクロ波の波長を持つ光子が飛び交っています.その密度は1立方センチメートルあたり約410個.そのマイクロ波は宇宙のあらゆる方向から降り注いでいるため,宇宙マイクロ波背景放射と呼ばれています.ひと昔前に普及していたアナログテレビでは,何も放送されていないチャンネルを選ぶと砂嵐と呼ばれるノイズ映像が表示されていましたが,その約1%はこの宇宙マイクロ波背景放射によるものでした.

宇宙マイクロ波背景放射は,宇宙でビッグバンが起きたことの証拠の一つとされるきわめて重要な現象で,宇宙望遠鏡のデータに基づく詳しい解析から,宇宙の年齢や組成といった宇宙の基本的な性質が明らかにされてきました.

今回は現代の宇宙論においてきわめて重要な成果をもたらした宇宙マイクロ波背景放射について紹介していきます.


ビッグバン宇宙論

私たちから遠い銀河ほど速く遠ざかっていくように観測されることから,宇宙空間は時間とともに膨張していると考えられます.これはハッブル・ルメートルの法則と呼ばれます.これをもとに,時間をさかのぼると宇宙はその始まりへと向かってどんどん小さくなるのではないかと考えた研究者がいました.物理学者ジョージ・ガモフです.

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https://en.wikipedia.org/wiki/File:CMB_Timeline300_no_WMAP.jpg

ガモフはこの考えを進めて,宇宙の始まりは密度や温度がきわめて高い状態にあり,原子核ですらバラバラになっていたのではないかと考えました.いわゆるビッグバン宇宙論です.ガモフは,大学院生だったラルフ・アルファーとともに,高温高密度の宇宙において陽子や中性子から重水素やヘリウムがつくられていく原子核反応を計算して,その結果つくられると期待されるヘリウムの量が現在の宇宙で観測されている値と矛盾しないことを示しました.

さらにアルファーは,高温高密度だった宇宙において光も充ち満ちていたことに着目しました.その光は宇宙膨張とともに波長が伸びて温度が下がるため,現在の宇宙では絶対温度5ケルビン程度の放射になっていると予想しました.これは,宇宙マイクロ波背景放射に対する人類最初の言及とされています. その起源となる光子の脱結合と呼ばれる現象の研究はその後,物理学者ジム・ピーブルスやヤコフ・ゼルドビッチらによって詳しく調べられました.

なお,質量数5と質量数8に安定な元素が存在しないため,ヘリウムより重い元素はビッグバンではほとんどつくられません.重い元素はもっと後になって,ヘリウム原子核3つが反応するトリプルアルファ反応の起きる恒星の内部においてつくられることになります.

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初期の宇宙において,陽子やヘリウム原子核は電子と結合しておらず電離された状態にあります.これは電子と結合しても,宇宙空間の温度が高いために宇宙空間を満たす光によってすぐに電離されてしまうためです.そしてこのとき,宇宙空間に存在する大量の電子は光と絶えず衝突を繰り返すため,宇宙は光で見通すことのできない状態にあります.これは例えば,霧の中で自動車のヘッドライトを照らしても先が見えないような状況に相当します.

https://unsplash.com/photos/TFDcbCBhZuU

やがて,宇宙膨張によって宇宙の温度が3000ケルビン程度にまで下がると,劇的な変化が起こります.光のエネルギーが十分に低くなるため,電子が陽子やヘリウム原子核と結合すると,そこから光との衝突によって電離されなくなるのです.すると,宇宙空間にあったほぼすべての電子は陽子やヘリウム原子核と結合して,その結果,光は衝突する相手がいなくなってまっすぐ進めるようになります.光にとって宇宙は霧が晴れたように透明な状態となるのです.この現象を光子の脱結合と呼び,宇宙において光が直進できるようになったことから宇宙の晴れ上がりとも呼ばれています.

https://unsplash.com/photos/KO6QEVBb81A

宇宙の晴れ上がりの際の光は,そのあと宇宙膨張によって波長を伸ばしながら宇宙空間を伝わり,138億年をかけて現在の私たちまで到達することになります.これが宇宙マイクロ波背景放射(CMB)です.

https://webbtelescope.org/contents/media/images/2019/20/4378-Image


CMBの発見

ビッグバン宇宙論からその存在が期待されるCMBは,アメリカの通信研究所に勤務していた物理学者アーノ・ペンジアスとロバート・ウィルソンによって偶然発見されました.

https://jila.colorado.edu/~ajsh/courses/astr3740_21/cmb.html

ペンジアスとウィルソンは,天の川銀河における中性水素の分布を明らかにするため,中性水素原子が放射する波長21 cmの電波を測定しようとしていました.そしてその前に,大気やアンテナ自身など電波観測で雑音として入ってしまう電波源の振る舞いを理解しておくため,シグナルが検出されないと期待される波長7 cm程度での観測を実施しました.

https://www.physast.uga.edu/~rls/astro1020/ch19/ovhd.html

しかし,ペンジアスとウィルソンは,想定外に大きい雑音の存在に悩まされることになります.観測によって得られた結果は,アンテナ温度にして絶対温度7.5ケルビンというものでした.彼らは雑音の起源として考えられる要因をつぶさに調べていきましたが,あらゆる方向から届く3ケルビン程度の雑音がどうしても説明できずに残ってしまい,困り果てていました.

https://www.researchgate.net/figure/Horn-antenna-used-in-1964-by-Penzias-and-Wilson-to-discover-the-CMB-Credit-NASA-image_fig3_271140622

この問題は,思いがけないところから解決に向かいます.ペンジアスが別件で共同研究者と打ち合わせをした際,その正体不明の電波雑音について話したところ,プリンストン大学の物理学者ロバート・ディッケやジム・ピーブルスらが,宇宙にそういった電波が満ちている可能性について研究していることを伝えられたのです.

https://discovery.princeton.edu/discovery_2015_cmb_robert_dicke-2/
http://phys-astro.sonoma.edu/brucemedalists/pje-jim-peebles

その頃,ディッケらはアルファーたちの研究成果を知らずに,独立にビッグバン宇宙論をもとにしてCMBの存在を予想し,そのシグナルを捉えるための実験の準備を進めていました.ペンジアスからの電話によって,宇宙を満たす正体不明の電波雑音に悩まされている話を告げられたディッケは即座に事態を理解し,研究グループのメンバーに「私たちは先を越されたよ」と伝えたとされています.

https://unsplash.com/photos/zBF7qkuexmg

その後,ディッケたちはベル研究所のペンジアスとウィルソンの観測施設を見学して,彼らの電波測定に問題がないことを確認しました.そして1965年,ペンジアスとウィルソンによる論文と,ディッケらによる論文が発表されました.ペンジアスとウィルソンによる論文では,波長7 cmであらゆる方向から温度3ケルビン程度の電波が検出されたという観測結果が述べられ,ディッケらの論文ではビッグバン宇宙論にもとづくその解釈が述べられました.

CMBの発見はビッグバン宇宙論の重要な証拠の一つとされ,その成果によってペンジアスとウィルソンは1978年にノーベル物理学賞を受賞しました.

https://www.nobelprize.org/prizes/physics/1978/summary/


宇宙望遠鏡によるCMB観測の進展

その後の理論研究によって,CMBは宇宙の基本的な性質を理解する上できわめて重要であることが認識されましたが,地上からの観測では大気による影響を受けるため,観測精度の向上には限界があります.そこで1989年,NASAはCMB観測のため,宇宙背景放射探査機COBEを打ち上げました.

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cobe.jpg

COBEに搭載されていた観測装置の一つは,遠赤外絶対分光測光計FIRAS(フィラス)です.CMBは電子と頻繁に衝突していたときの光ですから,プランク分布と呼ばれる特有の放射強度分布を持っていることが期待されます.ただ,その強度がピークとなる波長2 mm程度は,大気の吸収が強いため地上からの観測は困難です.そこでCMBがプランク分布にしたがうか否かを検証するために提案されたのがFIRASでした.

FIRASにより強度がピークとなる波長の周囲で幅広い波長帯に渡ってCMBの強度が観測され,その強度分布が求められました.その結果,CMBの強度分布はプランク分布にきわめてよく合うことが示され,ビッグバン宇宙論の決定的な証拠の一つとなりました.

https://www.researchgate.net/publication/300179891_Blackbody_radiation_From_Kirchhoff_to_Planck

COBEに搭載されていたもう一つの観測装置は,差分マイクロ波ラジオメータDMRです.これは,CMBの空間分布,すなわち温度ゆらぎを精密に測定するための観測装置です.空の異なる2点を同時に観測してその差分を取り,さらに三つの波長で同様の測定を行うことによって,CMBとは異なる波長依存性を持つ天の川銀河からの放射を差し引くことで,CMBの空間分布を高い精度で測定することが可能になりました.

DMRにより,CMBの温度ゆらぎはわずか30マイクロケルビン程度しかないことが明らかになりました.CMBの平均的な温度は3ケルビン程度ですから,ゆらぎの大きさは10万分の1程度しかないことになります.身近な例でいうと,もはや往年の記録媒体となってしまい身近と言えなくなってしまったかもしれませんが,CDの表面にはデジタル情報を刻んだ目に見えない大きさの凹凸があります.実はCD表面のそうした凹凸ですら,CDの厚みに対する大きさはCMBの温度ゆらぎより大きく,CDを十枚ほど重ねた厚みと比べてようやく温度ゆらぎ程度の大きさになります.DMRの高い感度によって,そうした微細な温度ゆらぎを検出することができました.

https://astro-dic.jp/cobe-satellite/

ただ,DMRの角度分解能は7度程度しかありませんでした.これに対して詳細な理論計算から,より角度分解能の高い温度ゆらぎの測定を行うことで,宇宙における物質量やエネルギー組成,宇宙の年齢といった宇宙の基本的な性質に制限が付けられることが示されました.

http://background.uchicago.edu/~whu/intermediate/driving2.html

そこで2001年,NASAは2機目のCMB観測ミッションであるウィルキンソン・マイクロ波異方性探査機WMAPを打ち上げました.WMAPはCOBEのDMRより多い五つの波長で温度差を観測することで,天の川銀河から生じる電波成分の影響をより高い精度で抑えることに成功しました.また,角度分解能や感度はともにCOBEのDMRより10倍ほど向上させました.

https://www.nasa.gov/feature/making-sense-of-the-big-bang-wilkinson-microwave-anisotropy-probe
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:WMAP_spacecraft.jpg

また,COBEは地球周回軌道で観測を行いましたが,電波は地球からも大量に放射されていて,さらに周囲に磁気圏があるため観測装置に悪影響を及ぼしてしまいます.そこでWMAPは地球から150万kmほど離れた,太陽と地球からなる系において力学的に安定であるラグランジュポイントの一つ,L2ポイントに置かれました.科学的な観測を目的とした宇宙望遠鏡でL2ポイントに置かれたのはWMAPが初めてです.燃料を節約するため,月の重力を利用したスイングバイを利用してL2ポイントまで到達しました.

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:WMAP_trajectory_and_orbit.jpg

WMAPによって得られた温度ゆらぎデータは見事なものでした.理論研究との比較から,宇宙に存在する物質量やダークエネルギーの量,ハッブル定数,宇宙の空間曲率,さらには宇宙の年齢といった宇宙のさまざまな性質が高い精度で求められました.

https://www.nasa.gov/feature/making-sense-of-the-big-bang-wilkinson-microwave-anisotropy-probe
https://en.wikipedia.org/wiki/File:WMAP_TT_power_spectrum.png

WMAPに続いて2009年に打ち上げられたのが,欧州宇宙機関ESAによる宇宙望遠鏡プランクです.プランクもL2ポイントに置かれ,WMAPにはなかった短い波長を含む九つもの波長で観測を実施しました.これにより宇宙の性質の測定結果の精度はさらに向上することになりました.

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:PIA16874-CobeWmapPlanckComparison-20130321.jpg


今後の展望:インフレーション理論の検証

CMBの発見によってビッグバン宇宙論は科学的事実として認識されるようになりました.そして,CMBに刻まれた温度ゆらぎの精密な測定によって宇宙の基本的な性質が高い精度で明らかになり,精密宇宙論の時代が切り拓かれてきました.

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:DMPie_2013.svg

そんなCMBにはまだ,研究者たちが注目している明確な課題が一つ残されています.Bモード偏光の測定です.CMBのBモード偏光はビッグバンの前の宇宙の極初期に起きたとされるインフレーションの検証になることが知られています.

ビッグバン宇宙論はさまざまな観測結果を説明することができ,現代の私たちの標準的な宇宙像の根幹にあるものと言えますが,いくつかの問題点が残されています.たとえば,CMBを観測するとどの方向を見てもほぼ同じ温度が得られますが,少し考えてみるとこれは不思議なことです.

https://www.esa.int/var/esa/storage/images/esa_multimedia/images/2013/03/planck_cmb/12583930-4-eng-GB/Planck_CMB_pillars.jpg

私たちから見て,ある方向とその反対の方向から届くCMBというのは,ともに光の速さでほぼ宇宙年齢の間伝わってきているため,もともと因果関係を持たない場所からの光ということになります.宇宙が始まって以来,一度も因果的に結びついていない領域が,なぜほとんど同じ温度を示しているのでしょうか.これは地平線問題として知られています.

これを解決するのがインフレーション理論です.ビッグバンの前,宇宙が始まってきわめて早い時期に宇宙は指数関数的に急激な膨張を起こしたため,因果的につながりのあった領域がそれぞれの地平線を超えて膨張した,と考えるわけです.

https://en.wikipedia.org/wiki/File:CMB_Timeline300_no_WMAP.jpg

この他に平坦性問題やモノポール問題といったビッグバン宇宙論の抱える問題点を一挙に解決してくれるインフレーション理論ですが,きわめて初期の宇宙に起きた現象のため,観測による検証はまだ十分とは言えません.

それを可能にするのがCMBのBモード偏光観測です.インフレーション理論によると,誕生直後の宇宙に存在した量子ゆらぎが急激な膨張によって引き伸ばされた結果,原始重力波が生じます.そしてその原始重力波は宇宙の晴れ上がりにおいても宇宙空間を満たしていたため,CMBの偏光にBモードと呼ばれる特徴的な渦巻き状のパターンを残していると考えられています.したがって,CMBのBモード偏光とインフレーション理論からの予測を比較すれば,インフレーション理論の検証につながります.

http://background.uchicago.edu/~whu/intermediate/polarization/polar5.html
https://skyandtelescope.org/astronomy-news/seeking-the-cosmic-dawn/

現在,世界中の研究者たちがCMBのBモード偏光を検出しようと研究を進めています.その中で有力とされているのが,2020年代半ばの打ち上げを目指して日本の高エネルギー加速器研究機構KEKなどが中心となって進めている衛星プロジェクトLiteBIRD(ライトバード)です.Bモード偏光に関してはプランクの100倍の感度を持つLiteBIRDによって,インフレーション理論がロバストに検証される日はそれほど遠くないかもしれません.

https://isas-gallery.jp/3866

 

参考文献

『宇宙の始まりに何が起きたのか』
https://amzn.to/3pAtxlQ

『宇宙背景放射 「ビッグバン以前」の痕跡を探る』
https://amzn.to/3Gqhpug

『宇宙の始まり、そして終わり』
https://amzn.to/3rFYffY

『ものの大きさ』
https://amzn.to/3dsRIwK

参考動画

Cosmic Microwave Background Explained
https://www.youtube.com/watch?v=3tCMd1ytvWg

Secrets of the Cosmic Microwave Background
https://www.youtube.com/watch?v=C4CKtEQJGMY

The Microwave Background - COBE Satellite Results Explained!
https://www.youtube.com/watch?v=cqM6lZOvZcs

 

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