見出し画像

第16話 アリスとボブ

実験を開始してから数ヶ月が経過した。遺伝子操作は数種類の原住動物に対して行われたが、最終的にもっとも好ましい成果が見られたのはあの“宇宙ネコ”だった。元来の身体能力と知能の高さが他の動物よりも抜きん出ていたためだろう。十数世代の“進化”を経て、長い尾でバランスを取りながら後脚で直立歩行ができるようになり、自由になった前脚の4本指でモノを掴めるようになった。知能も発達し、簡単な言語を学習し得る可能性も見せはじめた。顔つきはさほど変わらないが、幾分表情が豊かになったか。宇宙ネコはネコと人間の中間のような――“ネコ人間”とも言うべき動物に変貌を遂げていた。数多くの“失敗作”を生み出しながらも、ドクターの実験は着実に成果を出しつつあった。

もはや“宇宙ネコ(space cat)”とは呼べなくなったその動物を、誰ともなしにキティ(kitty)と呼び始めた。慣れというのは恐ろしいもので、地球から遠く離れた惑星の得体の知れない生物に、さらに人為的な改変を加えるというおぞましい経緯を経て生まれたものに対しても、毎日接していれば親しみすら覚えるようだ。ましてかの宇宙ネコはクルーの一人、ソンミンの命を奪った存在であるにもかかわらずだ。

実験の最終段階として、被験体の中からとくに優良な個体の雌雄ペアを選別し、地表のベースキャンプへ送り込むことになった。便宜上、メスの個体は“アリス”、オスの個体は“ボブ”とそれぞれ名付けられた。それまで被験体はすべてアルファベットと番号からなるコードで呼ばれていたので、この2体が名前を与えられた初めてのケースとなった。(もっとも、このアリスとボブという名前もアルファベットのAとBに由来したものに過ぎないが)2体は別々のコンテナに収容され、ドクターらと共に夜の地表へ降下した。

まずはボブのコンテナが開放される。一体ずつ開放するのは、トラブルが発生した場合2体を同時に失うことを防止するためだ。

「ハロー、ワールド……ってところかな」

軌道上の母船の実験室でも可能な限り大気組成や重力などは再現していたので特に問題はないと想定されてはいたが、実際には何が起こるかわからない。ドクターと同伴のクルー一同は固唾を飲んでボブの様子を見守った。コンテナが開放されてもしばらくは怯えたように周囲を窺っていたが、ようやく一歩二歩とコンテナから這い出し、ついには2本の脚で立って歩き出した。重力が母船と若干異なるうえに不整地だからか、ボブは何度も転倒したが、そのたびに自力で起き上がった。

「いいぞ!」
「その調子だ!」

クルー達からは口々に歓声や声援が上がった。

しばらくしてボブの健康観察が行われ、異常がないことが確認されたのち、アリスのほうも解放された。アリスもボブもまだ赤子同然の状態ではあるが、ベースキャンプの新たな一員となった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?