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第3話 退屈な航海

「地球を出てからそろそろ10年…やっと半分ってところか。まったくとんでもない長旅だよ」

ミキオに代わって管制室のコンソールに座ったオリバーが呟いた。

『旅ですか?行き先を教えてください。観光地をご提案できますよ』

聞こえてくるはずのない女性の声にビクッとなる。任務中の人間関係トラブルを最小化するため、この船のクルーは全員が男性なのだ。

「おい、驚かすなよ…そういえばお前がいたんだった」
『すみません』
「えーと…ドールだっけ?お前、どうやったらオフにできるのかな?アニメに興味はないんだ」
『そんな悲しいことを言わないでください』

おおげさにため息をつき、オリバーはドールの映っているモニターから目を逸らした。

「…観光地って言ったか?」
『はい。世界中、どこの観光地でも検索してご提案できます』
「あのなあ、俺達は観光に行くわけじゃないの。それに行き先は太陽系外惑星だ。お前の知ってるところじゃない」
『“太陽系外惑星”の観光地は見つかりませんでした…申し訳ありません』
「だろ?」

モニターの中で少し悲しげな表情で微笑むAIをよそに、オリバーは黙々とウォブの閲覧を始めた。

ウォブ(WOB: The Web Onboard)とは、アストロマイナー号が地球を離れたその日までの、インターネットを通じてアクセスできるすべてのデータを保存し、再現するシステムである。往復合わせて数十年にもおよぶ長期間の航行中、搭乗員をサポートするために搭載されている。研修や問題解決のための知見を得るのが主目的ではあるが、ほとんど「暇つぶし」のために使われているのが実情だ。アストロマイナー号は高度な自律航行システムによって制御されており、大きなトラブルがなければまったく人の手を介さずに目的地まで運んでくれる。クルーの仕事はというと、航行システムのチェックや備品のメンテナンス、そしてクルー自身の健康維持くらいのもの――つまり、航行中はひたすら暇なのだ。ウォブにアクセスすれば、いくつ命があっても消化しきれない量のムービー、音楽、書籍、ウェブサイト等々をすべて無料で閲覧し放題。地球を離れてからデータの更新はされないが、膨大なコンテンツは搭乗員を飽きさせないためには十分だろう。ミキオのように新しいスキルを習得する者もいれば、オリバーのようにコンテンツを消費するのを好む者もいる。ちなみに彼の最近のお気に入りは、祖国イングランドの劇作家シェイクスピアの古典を読み漁ることのようだ。

もうひとつ、長旅の苦痛を軽減させるために搭載されているのが「冬眠ポッド」である。これは人体を特殊な方法で冷却することにより代謝などの生命維持活動を低下させ、肉体の老化を一時的に止める――平たく言えば人工的に冬眠を再現するための装置だ。ただし、技術的、生理的な限界により、一度の“冬眠”は14日間に制限されているため、クルーは輪番制で14日間の冬眠と、数週間程度の業務を繰り返しながら生活している。このシステムにより、航行中の体感時間はおよそ半分程度になるというわけだ。

もっとも、それでも彼らが気の遠くなるような長い長い航海をしていることに変わりはない。

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