福沢諭吉の男女平等の位置付けは?

福沢諭吉の男女平等、女性論について、フェミニズムの流れの中ではどのような位置付けかあまり言及がない。特に女性陣から男の押し付けの女性論という声が聞こえそうである。つまり男にとって都合の良い範疇の女性の解放。とはいえ、なかなかそれも見つからない。
 福沢諭吉に自由の観点から影響を与えた経済学者のJ. S. ミルの本をしらべていたら、「女性の隷従」という本が出ていることがわかった。岩波や他の本でのタイトルは「女性の解放」である。なんと1869(70?)年出版。
 福沢諭吉の新女大学は1899年である。ここにまとまるまでに「学問のすすめ」(1876年第15篇)にもミルの「女性の隷従」は出てきて(福沢諭吉と自由主義 個人・自治・国体、 慶應義塾大学出版会 安西敏三著 序論)いる。
 それで岩波の「女性の解放」を手にいれ解説を読んだら大内兵衛氏によるわかりやすい筋書きが載っていた。

日本において婦人の地位の向上を論じたものとしては明治のはじめに福沢諭吉があり、ついで森有礼があり、それより後には岸田俊子影山英子があった。けれども、それらはいずれも思想の先覚者の啓蒙事業というべきものにすぎなく、それによって婦人の社会的な運動というようなものは起らなかった。それがそういう形をとったのは明治四十四年における青鞜社の出現であったといっていいであろう。しかしこの運動も、その雑誌の創刊号に掲げられた平塚雷鳥氏の「原始婦人は太陽であった」という宣言が示すとおり、本体は一種のロマンティシズムの文学運動であったという方が正しく、何かまとまった具体的社会的な内容のものではなかった。しかし第一次世界大戦後になると、このようなロマンティシズムの運動もいつの間にか婦人参政権の運動へと転化したようである。けだしそれは一般に日本においてデモクラシーの運動が昂揚したので、その波が婦人運動から従来のロマンティシズムを洗い、そこから婦人問題とは何であるかを具体的に示したものであったろう。この運動を代表するものとして、市川房枝氏や奥むめお氏やの新婦人協会が表面に現われて来たのであった。かのロマンティシズムが、こう現実化するまでの間の混乱はひどいものであった。その間において何よりも大きな役割をしたものは日本の新劇運動であって、この運動は、テーマとして一般的な婦人解放を提出した。トルストイの『復活』のカチューシャとして、またイブセンの『人形の家』のノラとして松井須磨子が華々しく登壇した。そしてまたこういう問題の一般的大衆的意識のうちに、伊藤野枝氏はエマ・ゴールドマンの『婦人解放の悲劇』を紹介し、石川三四郎氏がエドワード・カーペンターの『文明論』を祖述し、さらに山川菊栄氏はベーベルの『婦人論』をふまえての社会主義に立つ婦人解放論を展開して来た。かくして第一次大戦後の思想界の大変動期はまた日本人の婦人観の変動期であったといってよい。

 素直にフェミニズムの日本の歴史のような総説本を探せばよかったのだが、その前にみつかった。これもある面しか差し出していないかもしれない。上野千鶴子氏の本を読んでいけば自然とそのような記述に出会うとも思っていましたし。
 興味深いのはこのような思想史や社会運動にイプセンなどの文学、演劇の重要性が併記されていることである。当時の思考と実践が垣間見えるじゃない?イプセンの「人形の家」はもちろん読んでるし、映画などでもよく引用される。なぜイプセンが引用されるのかその一端がこのようなところで垣間見える。ちょっとこの線で原書を揃えつつ調査できたら面白そうである。まずは青鞜からかな。
 調査としては福沢諭吉以後の論客に福沢諭吉がどのように引用されたか、社会主義運動の中ではエリート・資本家の意見として批判されているのだろうか?それともうまく活用されているのだろうか。どのように思想は発展、継承、批判されていくのだろうか。
 消化不良の話で申し訳ないが、今回は福沢諭吉の位置付けと大まかなながれがわかったのでそこだけでレポートしました。
 なおミルの本も興味深く、今週はオリンピックもあり、さらに地震も2箇所で起こり記事が書けませんでした。地震は大きな被害がなくてよかった。


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