シルヴィアヌ・アガサンスキーの「性の政治学」、そして、ジャック・デリダ

アニー・エルノーに強い感動を覚え、それで思い出したのですが、アニー・エルノーも影響を受けたボーボワールの自伝をちょっと前に読みました。それが面白かったので、ジャン・ポール・サルトルやミシェル・フーコーなど思想家の伝記もチェックしようと思い読み始めました。
 それまでなされた仕事と個人はある意味別であるべきと思っていたのですが、最近はフーコーの性の歴史、2巻と3巻こそ、哲学的思考と実践の葛藤なり双方向性を取り出した面白さだと考えるようになりました。倫理学ですね。
 サルトルやフーコーはエリボンの記事によるとよく知られているようにデモなどに参加していることが詳細に書かれている。となると、彼らの哲学的思考は当時の社会現象にどのように対峙しようと考えたのかに興味の焦点がうつる。(エリボンの自伝「ランスへの帰郷」も素晴らしく、アニー・エルノーと同じ匂いがします。)
 そういうことがあって、ふと「デリダ伝」を読んで,アベラールとエロイーズが好きな私はジャック・デリダにシルヴィアヌ・アガサンスキーという愛人がいて2度妊娠させ、1度目の子は中絶、2度目の子は出産、シングルマザーにさせてしまった、そして、シルヴィアヌ自身哲学者だったということを知り、猛烈に興味が湧いてきました。

 息子の出産後は別れ、後のフランスの首相になるジョスパンと子連れ結婚。脚光を浴び追求された時、あろうことかアガサンスキーはデリダとの子であることをバラしてしまった。
 アガサンスキーは政治における男女同数法に強く関わった。フランスにおける男女同数法は2000年の成立。1999年に憲法も改正している。クォータ制という考え方があるのは知っていたがフランスでこうなっていたことは恥ずかしながら私は知らなかった。確かにフランスでは女性政治家をよく見ると思っていた。パリ市の市長は女性アンヌ・イダルゴ。2020年には女性の市幹部が多くなり男女同数法を逆に破って罰金とか。

 シルヴィアヌ・アガサンスキーは子供を産む決断をすることでシモーヌ・ド・ボーボワールと距離を取ったとか。

 その後、シルヴィアヌの夫のフランス首相のジョスパンは大統領選にでて落選。その時にデリダとアガサンスキーはメディアによる応酬をした。「デリダ伝」に収められているが男女というのも含めて親愛を交わした人同士の完全な絶縁を見るのは悲しいことである。

フランス中世のアベラールとエロイーズからサルトルとボーボワール、アニー・エルノー、そしてデリダとアガサンスキーとフランスの男女の物語は面白すぎる。ミシェル・フーコーが性の歴史1巻でどちらも紹介した、15世紀のフランスで書かれた薔薇物語では気に入った女がいたらさらってきて弄んだ後は捨てればいいよ、とある意味伝統的な男社会の妄想が書いてあることをみたり、百科全書派のディドロによる女子の下の口に男遍歴をしゃべらせる指輪を入手した王様の「指輪物語」があることを知れば尚更である。


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