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川のほとりの稲荷小町

川のほとりの稲荷小町 

みなさんは「お稲荷さん」を見たことがあると思います。
色々なところで普通に見かけますね。神社自体がお稲荷さん。街の片隅の祠。会社のなか。ビルの屋上。
お稲荷さんの社や祠の前には大抵、二匹のキツネが控えています。
でも祀られているのは神社の場合、「ウカノミタマ」という五穀豊穣の神さまでキツネはその使いと言うことです。
これは、そんなお稲荷さんにまつわるお話です。 

水も温んで来た春先のある夜のこと。
親戚の祝言の宴席にお呼ばれした農家の次男坊の権蔵は、安威川という広い川の堤防の上の道を一人で歩いて家に帰る途中でした。
「あー今日は酒をいっぱい飲んで酔っぱらってしもた。しかし今日のお嫁さんは綺麗やったな。わしのところにもあんな嫁さんがはよ来てくれんかなぁ」
そんなことを言いながら、吹田の渡しの近くまで来ました。
ふと、川の反対側の堤防の土手の下を見ると、赤い提灯の明かりが見えたのです。
「あれ、あんなところに店があったんかいな?」
権蔵は土手を降りて、その提灯に近づきました。「居酒屋」と書かれたその提灯は、こじんまりとした小屋の軒先に下げられています。
権蔵がその小屋に近づくと、戸が開いて中から若い女の人が顔をのぞかせました。


「あら、お兄さん。どうぞ入ってくださいな」
「いや、そやかて、わしお金持ってないし」
「いいですよ、今日は開店記念の無料奉仕!」
「え、ほんまかいな?」
権蔵は恐る恐る、店の中へと入りました。
「いや、知らんかったわ。いつからやってたの?」
「今日からですよ。わたし、お紺って言います。よろしくね」
「わて、権蔵と言いますねん。よろしゅうに」
「さあ、どうぞ」お紺は熱燗の徳利を権蔵に差し出しました。
「うん、ごくごくっ…。あーうまい酒や」
「ほら、安威川で獲れた魚も」
「もぐもぐ…。うまいっ!」
権蔵はお酒と魚で大満足です。
「さて、夜も更けてきたし。そろそろ帰るわ。このお店いつもやってるの?」
「毎月の九のつく日だけなんですよ。また来てくださいね」
「ほな、次は十九日やな。また来るわ」 

翌朝、権蔵は朝ごはんの時に兄の平助に昨日の夜のことを話しました。
「えっ?あんなところに居酒屋なんかあったか」
「ちゃんと小屋に赤提灯が下がっとったがな」
「ほなら、行って見ようや」
朝ごはんを食べた後、権蔵は平助を連れて昨日の場所に来ました。しかし、そこにはお稲荷さんの鳥居と祠とその横にある池のほかには、なんにもありませんでした。
「権蔵…おまえ、ひょっとしたらここのおキツネさんに…」兄はニヤニヤしながら言いました。
「ダマされたって言うんかいな!あのべっぴんさんのお紺ちゃんに」
「その酒も、この池の水やったかもな」平助は笑いをこらえようとはしませんでした。
「な、何やって⁉︎」
「おまえ、昨日はぐでんぐでんに酔うてたから、解らんかってんで」
「そ、そんなー」
権蔵はダマされたことに腹が立って来ました。
「よし、十九日にまた来てお紺ちゃんに文句言わな気がすまん!」 

そして、十九日の夜。今日はお酒を飲んでいない権蔵が、お稲荷さんのところにやって来ました。
すると、あの小屋に赤提灯が光っています。権蔵はガラッと戸を開けました。
「あら、権蔵さん。また来てくれたのね!」そこには前と同じお紺がにこにこしながら立っていました。
「ま、また来たがな。そやけど、言いたいことがあるねん」
「何?こわい顔をして」
「あんた、酒やゆうてわしに池の水飲ませたやろう。なんぼタダやゆうてもそらないわ…」
「なーんだ、そんなこと」
「そんなことやあれへんがな!わ、わしはすっかり信じてええ気分になっとったんやで…」
「お酒を飲んだ気分になれたからいいじゃないの。それに池の水じゃないわよ。湧きでて来たありがたい神さまの水なのよ」
「いや、そう言うたかって、ダマされたもんの身になって…」
「わかった。ちょっとここで待っていて。本当のお酒持って来るから」
お紺は店を出て何処かに消えました。 

お紺は少し行ったところにある酒屋さんの戸をたたきました。
「ごめんください、お酒くださいな」
中から少し歳の行った酒屋の主人が出て来ました。
「何や、もう店閉めよう思うてたところやがな。ん?あんた…」主人はお紺を一目見て何かを感じました。
「お客さんがお酒を飲みたいって言っているのです、お酒売ってくれませんか」
「あ、さよか。ほんなら」主人は通い徳利の中に、お酒を注ぎ込みました。
「じゃあ、これはお代です。ありがとう」お紺はお金を払って帰って行きました。
主人はしばらくして、渡されたお金をもう一度見ました。するとそれは葉っぱに変わっています。
でも酒屋の主人は怒りません。「うんうん」とうなずいているだけです。 

「あーきゅうっときて美味い!これは正真正銘のお酒やな!」権蔵は満足そうな様子です。
「今度、友達も連れて来ていいかな?」
「いいですよ、賑やかな方が神さまもおよろこびになります」
「神さま?何のこっちゃ。ほな、また十日たったら来るでー」
権蔵は帰って行きました。 

そして十日後、仲間を連れた権蔵がお紺の居酒屋を訪れました。お紺は酒屋にまた葉っぱでお酒を買いに行きます。でも酒屋の主人は、何も言わずにお酒をお紺にわたします。 

そして十日、また十日。権蔵たちは、十日ごとにお紺の居酒屋に行くのを楽しみにして、せっせせっせと田んぼや畑の仕事に精を出しました。 

やがて季節は夏を過ぎ、秋の収穫の時期になりました。
今年の稲は例年にない大豊作です。
秋祭りは大いに盛り上がりました。おかげで酒屋さんも商売繁盛、お紺にタダで渡したぶんをすぐに取り戻してそれの何倍もの大儲け。 

ところが、秋祭りが終わってから、お紺とその居酒屋がぷっつりと姿を見せなくなってしまいました。 

「お紺ちゃん、キツネでもいいからわしの嫁さんにしたかったわ…。また来年も来てくれへんかなぁ」権蔵はそう思いながら、お稲荷さんにお参りしました。 

(終わり) 


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