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ゴッホの見た星空(20) 《星月夜》の渦巻は渦巻銀河M51でもなく、M74でもなく、M99なのか?

《星月夜》に描かれた謎の渦巻

ゴッホの描いた名作に《星月夜》がある(図1)。

前回(「ゴッホの見た星空(19)」)、《星月夜》に描かれている不思議な渦巻の話をした。自分が天文学者のせいか、渦巻銀河M51をモチーフにして描かれていると思っていた。ところが、南仏に吹く局地風、ミストラルをイメージしたものであるという説があることを知り、その紹介をさせていただいた。

図1 ファン・ゴッホの《星月夜》(1889年)。ニューヨーク近代美術館に所蔵されている。 https://www.artpedia.asia/work-the-starry-night/

そのすぐ後で大変恐縮なのですが、もうひとつ別なアイデアがあることを知りました。そこで、今回はその話をさせていただきます。

別な渦巻銀河M74?

また、一冊の本との出会いがあった。前回は『天気でよみとく名画』(長谷部愛、中公新書ラクレ、2024年)。今回は『ゴッホが見た星月夜 天文学者が解き明かす名画に残された謎』(ジャン=ピエール・ルミネ 著、小金輝彦 訳、石坂千春 監修、日経ナショナルジオグラフィック、2024年)。こちらも2月末に出たばかりの本だ。一期一会の出会いの連続である。

ルミネさんは宇宙物理学を専門とする天文学者だ。お会いしたことはないが、彼の研究成果は知っている。彼は世界で初めてブラックホールを可視化するコンピューター・シミュレーションを行った人だ(図2)。ブラックホールの周辺には高温のプラズマ(電離ガス)円盤がある(降着円盤)。このプラズマの輝きを背景光として、ブラックホールを「影」として見る手法だ。この影はブラックホール・シャドウと呼ばれる。観測は2019年に成功したが、この成功にはルミネさんの理論的な考察が役に立った。

図2 (上)ルミネさんが行った世界初のブラックホール・シャドウのシミュレーション(Luminet 1979, AA, 75, 228)。(下)地球規模の電波干渉計であるイベント・ホライズン望遠鏡が撮影した、楕円銀河M87の中心にある超大質量ブラックホールがシルエットとして浮かびあがった姿。(国立天文台) https://www.nao.ac.jp/news/sp/20190410-eht/images/20190410-eht-m87bh.jpg

さて、ルミネさんの『ゴッホが見た星月夜 天文学者が解き明かす名画に残された謎』に話を移そう。ルミネさんはフランス人でフランスに住んでいる。その地の利を生かしてゴッホの絵の解読をしている。説得力があり、非常に面白い本だ。その中で、《星月夜》に描かれている謎の渦巻についても新たなアイデアを提案している。多くの場合、ロス卿によるM51のスケッチに刺激を受け、渦巻を描いたとされている。実は、私もその説を支持している(以前のnote記事「ゴッホの見た星空(6)」と「ゴッホの見た星空(7)」を参照されたい)。しかし、ルミネさんはロス卿が残したもう一枚の渦巻銀河のスケッチに着目した。その銀河はM99だ(図3)。

図3 ロス卿による渦巻銀河M51(上)とM99(下)のスケッチ。M51とM99の名前は小さく示されている。見にくいので、M99だけクローズアップを示しておいた。 国立天文台 貴重資料展示室https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/exhibition/051/

M74なのか、それともM99なのか?

ここで問題が起こる。ロス卿が残した渦巻銀河のスケッチは図3に示したように、M51とM99だけである。ところが、ルミネさんの本ではM74と紹介されている。88頁に図が示されているが、それは明らかに図3に示したM99である。その図のキャプションは、なぜか次のようになっている。

幽霊銀河(M74) ロス卿のスケッチ、1845年

M99がM74に置き換わっている。そして、89頁にもう一枚写真が掲載されているが、それはM99ではなく、M74の写真なのだ。なぜ、そうなっているのか不明だが、ルミネさんはゴッホの《星月夜》に描かれた星空の配置だと、M74が金星の上の方にあることを考慮している(87頁の図)。

しかし、ゴッホが《星月夜》を描いたとき(1889年6月とされる)、M74の渦巻を見た人はいなかった。当時、渦巻銀河の姿が知られていたのは、ロス卿の残したM51とM99しかなかったのである(ロス卿の論文は1845年に出版)。

なぜ、M99がM74に置き換えられたのか、謎である。

ここで、M74とM99の姿を見ておこう(図4)。二つとも美しい渦巻銀河だ。

図4 (左)M74、(右)M99。 M74 https://en.wikipedia.org/wiki/Messier_74 M99 https://www.eso.org/public/germany/images/potw2123a/?lang

また、二つの銀河の基本的な性質を表1にまとめた。形態は見ての通りだが、渦巻の開いたSc型(銀河のハッブル分類)である。いずれも見かけの等級は10等星ぐらいの明るさしかないので、肉眼では見えない。最低でも小口径の望遠鏡が必要である。その場合でも、ぼんやりとした光芒が見えるだけで、渦巻を判別することはできない(ロス卿は口径183センチメートルの望遠鏡で観測した)。見える星座はM74が「うお座」、M99が「かみのけ座」。方向はまったく逆方向である。

 

M99で行こう!

ここで、決断したい。ロス卿のスケッチがあるのはM51とM99の、二つの渦巻銀河だけである。取るべき道は「M99を選ぶ」ことだ。

では、M99を選んだとき、《星月夜》の謎の渦巻に新たな解釈を与えることができるだろうか? この判断のため、M99と《星月夜》の謎の渦巻を比較してみよう(図5)。

図5 (上)《星月夜》、(下)M99のロス卿によるスケッチ。

大きな渦の右下に伸びる構造(M51の場合、伴銀河のNGC5195に相当)はM99のスケッチには見当たらない。しかし、渦巻の構造そのものはかなり似ている。類似性はM51より高いようにも見受けられる。

ゴッホはひょっとしたらM99のロス卿によるスケッチを採用した可能性はある。こうして、想像もしなかったひとつの可能性に行き着いた。これもルミネさんの本と出会えたからである。

本との出会いは一期一会。また、この言葉が身に沁みる。

追記:前回までのnoteでの議論で、《星月夜》の渦巻の候補は7つになっていた(表2)。今回のnoteでの議論を踏まえると、この表に8番目の候補として、M99渦巻銀河説を追加する必要が出てきた。この謎を訪ねる旅路は、いつまで、そしてどこまで続くのだろう。

 

*********************************<<< 関連記事は以下でご覧いただけます >>>

ゴッホの見た星空(6) 《星月夜》の渦巻は渦巻銀河M51なのか?https://note.com/astro_dialog/n/n1d5abb10e788

ゴッホの見た星空(7) 渦巻銀河M51の秘密https://note.com/astro_dialog/n/n5a599689ee26

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