「宮沢賢治の宇宙」(21) 『銀河鉄道の夜』ジョバンニの切符
どこでも勝手に歩ける通行券
「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんたうの天上へさへ行ける切符だ。天上どこぢゃない、どこでも勝手に歩ける通行券です。こいつをお持ちになれあ、なるほど、これほど不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈でさあ、あなた方大したもんですね。」 (『【新】校本 宮澤賢治全集』 第十一巻、筑摩書房、1996年、150頁)
ジョバンニの切符
冒頭で紹介したのは宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』の第九節“ジョバンニの切符”の中に出てくる文章だ。ジョバンニたちが銀河鉄道に乗っていると、車掌が切符の検札に来た。ジョバンニは銀河ステーションで銀河鉄道に乗り込んだとき、切符をもらった記憶はなかった。ところが、上着のポケットを探してみると四つ折りで緑色したハガキぐらいの大きさの紙が出てきた。それが、なんと「どこでも勝手に歩ける通行券」だったのだ。ジョバンニの隣に座っていた鳥捕り(天の川に住んで、鳥を捕って生活している不思議な人)が驚いて語ったのが冒頭の言葉だ。
「どこでも勝手に歩ける通行券」 そんな通行券があるのか? もしあるなら見てみたい。
賢治、サガレンに行く
賢治はいつ、どこで、「どこでも勝手に歩ける通行券」という発想を得たのだろうか? 『銀河鉄道の夜』が書き始められたのは1924年なので、それ以前のことであることは間違いない。
『銀河鉄道の夜』は賢治のさまざまな経験を元にして構想された。その重要な経験のひとつに、サガレン旅行がある(サガレンはサハリン、樺太のこと)。1923年7月31日から8月12日の、約2週間の旅。花巻からの旅路は、東北本線、青函連絡船、函館本線、宗谷本線、稚内大泊連絡線、そして樺太庁鉄道線を乗り継いだものだ。表向きの用事は花巻農学校の生徒の就職を、当時樺太の大泊にあった王子製紙の樺太分社にいる知り合いに依頼することだった。しかし、よく言われていることは、前年(1922年)の11月27日に他界した、最愛の妹トシの姿を探すための北帰行であった。実際、この旅行中には「青森挽歌」、「宗谷挽歌」、「オホーツク挽歌」の挽歌三部作が描かれている(表1)。ご存知のように、挽歌は、もともとは柩(ひつぎ)を挽く者が歌う歌。つまり、葬送のときに歌う悲しみに満ちた歌、エレジーである。生徒の就職の依頼にエレジーは似合わない。やはり、妹トシの姿を求めての北帰行だったと考える方が自然だ。
サガレンの旅路は銀河鉄道へ
このサガレンの旅行中に書かれた詩の内容は『銀河鉄道の夜』の風景に通ずるものがあることは、すでに指摘されている。下記を参照されたい。
[1] 『[銀河鉄道の夜]フィールド・ノート』寺門和夫、青土社、2013年
[2] 『サガレン』梯久美子、角川書店、2020年
例えば、銀河鉄道が白鳥の停車場に停まったときの情景を見てみよう。
二人は一度にはねあがってドアを飛び出して改札口へかけて行きました。ところが改札口には、明るい紫がかった電燈が、一つ点いているばかり、誰も居ませんでした。そこら中を見ても、駅長や赤帽らしい人の、影もなかったのです。 ((『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、140頁)
「青森挽歌」では次の文章がある。
黄いろなラムプがふたつ点き せいたかくあをじろい駅長の
真鍮棒もみえなければ じつは駅長のかげもないのだ (『【新】校本 宮澤賢治全集』第二巻、筑摩書房、1996年、156頁)
赤帽は出てこないが、駅長は不在。駅の雰囲気は確かに似ている。
また、賢治は青森から函館に向かう青函連絡船からイルカを見たことを「津軽海峡」に書いている。この様子は『銀河鉄道の夜』の初期形に出てくる。また、「津軽海峡」にはキリスト教の尼さんも出てくる。
黒いかつぎのカトリックの尼さんが
緑の円い瞳をそらに投げて
竹の編棒を使ってゐる。(『【新】校本 宮澤賢治全集』第二巻、筑摩書房、1996年、460-461頁)
この描写も『銀河鉄道の夜』にほぼそのまま反映されている。
・・・黒いかつぎのカトリック風の尼さんが、まん円な緑の瞳を、じっとまっすぐに落して、・・・(『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、139頁)
このようにサガレン旅行のときの詩は明らかに『銀河鉄道の夜』へと繋がっているのだ。
「どこでも勝手に歩ける通行券」が欲しい
賢治のサガレン旅行の三ヶ月前に一つの朗報があった。鉄道省が発行した時刻表に出ている一文をご覧いただこう。
旅客に対しては、北海道線各駅及本州方面の関係多い駅と樺太鉄道線との間に於て、直通乗車券を発売致します。此の乗車券をお持ちになれば、稚内及大泊に於ける艀舟(はしけ)費は別に御支拂になる必要はありませぬ。 (大正十二年七月号) (『サガレン 樺太/サハリン境界を旅する』梯久美子、角川書店、2020年119頁)
それまで、サガレンに行くには、民間会社が運営する小樽発の船に乗るしかなかった。長時間の船旅だ。ところが、1923年5月1日、当時の鉄道省によって稚内とサガレンの大泊を結ぶ連絡線、稚泊航路が運行されることになった。花巻から樺太まで切符一枚で行けるようになったのだ。“どこでも行ける通行券”ではないが、艀舟費まで無料になる。とても、お得感のある切符が販売されていたのだ。ジョバンニの切符に通ずるものがある。賢治はこの切符の案内を見て思ったのかもしれない。「そうだ! どこでも勝手に歩ける切符(通行券)を主人公に持たせよう!」
もうなくなってしまったが、昔、JRは「周遊きっぷ」という特別企画乗車券を発売していた。例えば、東京から出発して、北海道旅行を満喫したい。そういう場合、この周遊きっぷを使うと、北海道内の列車は乗り放題になる。北海道内なら“どこでも行ける通行券”なのだ。今どきなら、「青春18切符」だろうか。JR東日本の案内には次の文章がある。
JRの普通列車の普通車自由席及びBRT(バス高速輸送システム)ならびにJR西日本宮島フェリーが、全線にわたって乗車または乗船できます。年齢にかかわらず、どなたでもご利用いただけます。お1人での5日間のご旅行や5人グループでの日帰り旅行など、鉄道ならではのゆったりとした「旅」に、ぜひご利用ください。https://www.jreast.co.jp/tickets/info.aspx?txt_keyword=%90%C2%8Ft18&mode=keyw&SearchFlag=1&GoodsCd=2896
「どこでも勝手に歩ける切符(通行券)」は誰もが望む、夢の切符なのだ。
賢治も望んだはずだ。1922年11月27日に旅立った妹トシに逢うために。