見出し画像

一期一会の本に出会う (14) 中谷宇吉郎『科学の方法』

物理量としてのゼロが無い宇宙

前回のnoteでは、雪の研究で有名な物理学者、中谷宇吉郎(1900-1962)の言葉を紹介した。

数学でいう線には幅がないが、物理で使う線には必ず幅がある」 (『中谷宇吉郎随筆集』樋口敬二 編、岩波文庫、1988年、「地球の丸い話」316頁)

この言葉は、次のように理解できる。

概念としての数であるゼロは存在するが、測定値としてのゼロはない

長さの0メートル、重さの0キログラム、時間の0秒などはないということだ。

科学と数学

中谷宇吉郎は師匠の寺田寅彦と同様に、物理学の研究のみならず、たくさんの含蓄ある科学エッセイを残した人だ。いわゆる「文理両道」の人だ。

文理両道については note「一期一会の本に出会う(5)」を参照されたい。 https://note.com/astro_dialog/n/n742ab1059775

中谷の著書で一つだけ手に入れていなかった本がある。それは『科学の方法』だ。最近、ようやくこの本を手に入れることができた。岩波新書の青版(図1)。発行は1958年。私の買ったものは2023年の78刷だ。科学書の定番の一冊になっていることがわかる。

図1  中谷宇吉郎の『科学の方法』(岩波新書)。

この本の第7章のタイトルは「科学と数学」である。この章の冒頭に「数」に関する言葉がある(105頁)。

数というものは、自然界にはないものである。それは人間が、自然界から抽象して作ったものであって、どちらかといえば、人間の頭の中で作ったものである。

この考え方は「一期一会の本に出会う(10)」で紹介したものと同じだ(図2)。

図2 身の回りで起こる物理現象を数学的な方程式にして解く。得られた結果を物理的に解釈する。ここで大切なのは、現実世界に存在しない概念としてのゼロと無限大を数学では用いることができることである。日頃気にしないことだが、私たちはこのようなプロセスを経て、物理現象を理解している。なお、「ゼロはない」は「測定値としてのゼロはない」という意味である。概念としてのゼロは使ってもよい。

中谷の数に関する言葉を、より中谷らしい表現に置き換えてみよう。

数字(数学)は自然からの手紙である。

この手紙を読み解けば、自然がわかるということだ。結局、自然と数学は車の両輪のような間柄にある。どちらも大切である。中谷も次のように述べている。

現代の科学では、数学を離れては第一に物理学も化学も成り立たない。(『科学の方法』中谷宇吉郎、岩波新書、1958年、第7章「科学と数学」121頁)

今から半世紀以上も前の言葉だが、実感がこもっている。

現在では、数学に重きを置いた「数学的宇宙仮説」も提案されているぐらいだ。これは「数学的に存在するすべての構造は物理的にも存在する」という仮説である。『数学的な宇宙 究極の実在の姿を求めて』マックス・テグマーク 著、谷本真幸 訳、講談社、2016年を参照されたい。また、以下の本も大変興味深く読める。『宇宙は数式でできている』(須藤靖、朝日新書、2022年)、『数学の言葉で世界を見たら』大栗博司、幻冬舎、2015年)。

科学は、自然と人間の協同作品である

最後に中谷の言葉をもうひとつ。

科学は、自然と人間の協同作品である(『科学の方法』中谷宇吉郎、岩波新書、1958年、第7章「結び」203頁)

これは、次の言葉に置き換えて読むことができる。

科学は、物理と数学の協同作品である

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?