宮沢賢治の宇宙(86) 三次元の宇宙を天球という二次元の世界で見ると星座が生まれる
天球って、なんだ?
天球。この言葉を耳にしたことがあるだろう。天球とはいったい何だろう?
『天文学辞典』で調べてみると、次のように説明されている
天球(てんきゅう celestial sphere) 観測者(自分)を中心として天体がそこに貼り付いているかのように見える仮想的な球面のこと。天体の位置を表す観点から天球面と言うことも多い。
3次元宇宙は天球面で2次元化される
晴れていれば夜空には星が見える。ところが、星の位置情報は方角と高度の二つだけだ。星までの距離がわからない。そのため、3次元空間にその星をプロットすることはできない。結局、仮想的な天球面に点を打つだけになる。天球の表面は球面なので、3次元構造はしている。しかし、「面」なので、私たちにわかるのは二次元情報だけになってしまうのだ(図1)。
人間の得意技「パターン認識」が星座を産み出す
しかし、人間はめげない。天球面に見える星々の配置を眺めて楽しむ。そして、そこに「何か」を見る。白鳥、鷲、琴、蠍、大犬、子犬、大熊、子熊、そして勇者オリオン、などなど。夜空は多様な世界に早変わりするのだ(図2)。
そして、そこに3次元の擬似世界を作る
こうして、人類は天球面に見える二次元パターンから星座を産み出した。それらに形(三次元)を与えたのだ(図3)。
もちろん、正しい形ではない。それでも、夜空は生き生きと動き出す。人間の知恵は計り知れない。
宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』にはたくさん星座が出てくる。しかし、それらの星座まで出かけて遊んだわけではない。銀河鉄道の車内から眺めて楽しんだだけなのだ。
そして、前回のnoteで話したように、「白鳥の停車場」や「サウザンクロス駅」がどこにあるか、決めることはできない。星座は天球面に見える星々のパターンでしかない。そのため、その星座の方向に、架空の存在として停車場を設定するしか方法がなかったのだ。賢治の苦労が偲ばれる。
私たちは天の川の全貌を見ていない
多くの人が誤解していることを、ひとつ話しておこう。
夏の夜空に天の川を見るとき、私たちはこう思う。
「おお、これが私たちの住んでいる銀河の全貌か!」
ところが、どっこい。私たちが見ているのは天の川銀河のほんの一部でしかない。
天の川銀河の大きさは直径10万光年もある(1光年は光が1年間に進む距離のことで、約10兆キロメートル)。しかし、私たちが見ているのは半径約2000光年以内の星空なのだ(図4)。
1万光年ぐらいまで見ている方向もあるが、それは稀である。天の川の見え方は、銀河円盤にある暗黒星雲の分布に大きく支配されている。そして、人間の目の感度だ。所詮、見えるのは6等星より明るい星だけである。
半径2000光年以内にある星と言ったが(図4)、それは私たちの目が6等星より明るい星を全部見ている場合である。光害で年々、暗い星は見えにくくなっている。私たちが見ているのは、実際には半径数100光年以内の星々になってきている。
「きりん座」を見たことがありますか?
北の夜空に「きりん座」という星座がある(図5)。皆さんは見たことがあるだろうか?
実は、私も見たことがない。「きりん座」にある星は目にしたことはあるのだろうが、「きりん座」ということを意識して見たことがないのだ。
なぜか?
それは「きりん座」に明るい星がないせいだ。「きりん座」の中で一番明るい星は4等星。ぜんぜん目立たない星だ。これでは星座の形を見極めるのは難しい。
暗い星々だけの星座は消えていく運命なのだろうか?
夏の夜空に見える星座は「夏の大三角座」だけになるかもしれない(図6)。三つの明るい星が見えるだけだ。
α星 「こと座」のヴェガ
β星 「わし座」のアルタイル
γ星 「はくちょう座」のデネブ
数十年後のことだろうか? いや、もっと早いか。何しろ、大都会では、今でも夏の夜空に「夏の大三角座」を見るのは難しくなってきている。
天球面から星が消えたらどうなるのだろう。
宮沢賢治もさぞかし困るだろう。
『銀河鉄道の夜』の改稿は続き、ついに童話が完成を見るときがやってくる。その童話のタイトルは『銀河鉄道の昼』。
そこに星座はひとつも出てこない。
「白鳥の停車場」は「白昼の停車場」。
「サウザンクロス駅」は「さんざん苦労する駅」になっているではないか。
出版社の編集者のぼやきが聞こえた。
「宮沢先生、これではちょっと・・・」
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