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ゴッホの見た星空(17) ゴッホは彗星を見たか?

カバースライドの説明(ゴッホのWIKIPEDIAのページを参照)
(左)《夜のカフェテラス》 (右)《自画像》

銀河のお話し」の状況設定と同じです。 「銀河のお話し(1)」をご覧下さい。 https://note.com/astro_dialog/n/n7a6bf416b0bc

ゴッホが描いた星空に見えないもの

ゴッホ(1853-1890)の絵には星空が描かれたものがいくつかある。ゴッホが描いた天体は太陽、月、そして星である。また《星月夜》には、天の川と渦巻銀河らしきものもある。しかし、絵に描かれていないも天体がある。それは彗星と流れ星(流星)である。美しい星空は描いたのに、なぜ彗星と流れ星は描かなかったのか? ふと疑問に思った。

輝明と優子は、また天文部の部室にいた。
「ゴッホの絵の星空じゃなく、遠近法で盛り上がってしまったね。」
輝明は頭をかきながら話し出した。
「絵って、面白いと思います。私たちのような素人でも、いろいろな観点から話ができるんですから。」
「まったくだね。」

輝明はここで彗星の話を持ち出した。
「前に《ローヌ川の星月夜》の話をしたとき、絵の光景がドナティ彗星のスケッチと似ていることを指摘した(図1)。」

図1 (上)《ローヌ川の星月夜》、(下) 1858年に出現した大彗星、ドナティ彗星 (C/1858 L1)の勇姿。1858年10月5日に描かれたスケッチ。彗星の頭の部分に見える明るい星は「うしかい座」のα星アークトゥルス。 https://ja.wikipedia.org/wiki/ドナティ彗星_(C/1858_L1)#/media/ファイル:CometDonati.jpg

「そうですね。見る方向が少し違っていますが、川向こうに北斗七星が低く見えているところはそっくりだと思います。」
「この彗星の出現は1858年なので、ゴッホはまだ5歳。果たして見たのか、気になるところだ。」
「5歳だから、見たとすれば、記憶に残っていても不思議はないですね。」

ゴッホの時代に現れた大彗星

「ゴッホが生きていた時代に、肉眼で見えた彗星を調べてみた(表1)。」
「うわあ、8個もあったんですね。」
「でも、そのうちの5個は南半球にいれば見えた大彗星なので、ゴッホが見ることができた彗星は3個だ。」
「ドナティ彗星は日本でも話題になったんでしょうか?」
「うん、1858年と言えば、日本では江戸時代が終わろうとしていた頃だ。明治維新1868年の10年前だ。ドナティ彗星は当然日本でも見ることができた。京都の岩倉にある実相院にはこの彗星の観測記録が残されているそうだ。長い尾を引いたこの彗星は、世界のあちこちで話題を集めたんじゃないだろうか。」

 

皆既日食で発見された大彗星

「ゴッホが絵を描き始めたのは1880年ごろだ。それ以降にも大彗星は出現している。しかし、北半球からは見えない大彗星だったので、ゴッホは見ていないだろう。」
「残念ですね。」
「1882年5月17日には意外な形で大彗星が発見された。なんと皆既日食のおかげで、太陽の近くをかすめ通る大彗星が発見されたんだ。X/1882 K1だ(図2)。ただ、ゴッホはこの彗星も見ていないと思う。なぜなら、皆既日食が観測されたのは中央アフリカから東南アジアであり、ヨーロッパでは観測できなかったからだ。ただし、大きなニュースになった可能性はある。」

図2 1882年5月17日に起こった皆既日食のときに発見された彗星X1882 K1(右上に見える)のスケッチ。太陽は月に隠されて黒く見えるが、周りに見える光芒は太陽表面から噴き出るコロナである。コロナは高温の電離ガスで、温度は100万度もある。 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Комета_Затмения_17_мая_1882.jpg

彗星は嫌われる

「ゴッホが肉眼で見ることができる大彗星を見たかどうかはわからないけど、ゴッホの絵に彗星は描かれていない。これは事実だ。ただ、仮にゴッホが彗星に興味があったとしても、絵には描かない理由は思いつく。彗星のような突発的な天体現象は昔から忌み嫌われてきた歴史がある。皆既日食もそうだけど、何かの凶兆であると考えられていたからだ。」
「たしかに、ある日突然、夜空に大きな尾をたなびかせた大彗星が見えたら、みんな驚きますね。」
「17世紀になって、ケプラーやニュートンのおかげで太陽系の中の天体の運動が科学的に理解できるようになった。そのため、彗星の起源もわかってきたし、日食や月食も問題なく理解できた。それでも、非科学的な解釈は横行し続け、1910年のハレー彗星の回帰のときには彗星がもたらす毒ガスのせいで人類が滅亡することまで議論されたぐらいだ。また、宗教が絡むと、やはり突発現象は嫌われる。」
「致し方ない、という感じですね。」
「ゴッホは彗星に関心を持っていたのか気になったので、ゴッホの手紙を調べてみた(『ファン・ゴッホの手紙』新装版、二見史郎編訳、圀府寺司 訳、みすず書房、2017年、『ファン・ゴッホの手紙 I』圀府寺司 訳、新潮社、2020年)。1882年に二つの大彗星が出現している。南天に見えた彗星なので、ゴッホは見ていないはずだけど、ニュースになったのかもしれない。日記に何か彗星に関する記述があるとすれば、その頃だろう。しかしながら、それを示唆する記述は手紙には探せなかった。」

ゴッホの時代に現れた流星雨

優子はふと思いついて輝明に聞いた。
「ゴッホは流れ星も絵に描いてませんが、流れ星も見なかったんでしょうか?」
「ゴッホは、夜、星空を見るのが好きだった。だとすれば、流れ星を何回も見たはずだ。ときには、流星群や流星雨も出現しただろう。1時間あたりに見える流星の個数はそれぞれ数10個から千個にもなる。」
「私も夏にはペルセウス座流星群の観測をしたことがあります。本当にいっぱい流れ星が見えました。」
「ゴッホが生きていた時代(1853-1890年)、大規模な流星雨が二回出現した。アンドロメダ座流星群だ。ビエラ彗星が分裂して撒き散らしたダストの雲の中に、地球が突っ込み、流星雨が見えた(図3)。」
「これは壮観ですね!」

図3 1872年11月27日に観測されたアンドロメダ座流星群(流星雨)の様子(スケッチ)。 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Andromedid_meteors,_November_1872.jpg

「この流星雨は1872年と1885年に出現した。ゴッホが19歳と33歳のときだ。19歳の頃は画商のグービル商会のハーグ支店に勤務していた。この頃は、まだ絵を描き始めていない。一方、33歳の頃は画家にはなっていたけど、オランダの農村、ニューネンにいた。ゴッホの手紙を調べてみたが、流星雨をみたという記述は残っていない(『ファン・ゴッホの手紙』新装版、二見史郎編訳、圀府寺司 訳、みすず書房、2017年、『ファン・ゴッホの手紙 I』圀府寺司 訳、新潮社、2020年)。」

彗星を探す旅へ?

「ゴッホぐらい星空を頻繁に見ていれば、彗星を発見したって不思議ないんだけど。」
「見つかればファン・ゴッホ彗星ですね。」
「僕らも彗星を探そうか。」
「優子が最初に見つけて、その5分後に僕が独立に発見する。そうすると、月影・星影彗星の誕生だ。」
「カッコいいですね!」
「でも神田神保町で探すのは無理か。」
「夏、軽井沢あたりで天文部の合宿をやりませんか?」
「費用は?」
「本田校長に掛け合ってみます。本田校長が3人目の独立発見者になれば、月影・星影・本田彗星の誕生です!」

うーむ、優子は楽観的である。
彗星はそんなに簡単に発見できるものではないのだが・・・。

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「ゴッホの見た星空(1) 《ローヌ川の星月夜》の星空
https://note.com/astro_dialog/n/n43cd2ca3e081

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