銀河のお話し(13) アンドロメダ殺し 第三幕
そして第三幕へ
輝明の話はいよいよ佳境に入ってきたようだ。優子の胸もドキドキしてきた。何しろ、アンドロメダ殺しの話は、いよいよ第三幕に突入するのだ。
「アンドロメダ銀河と天の川銀河の衝突のとき、「さんかく座」の渦巻銀河M33も巻き込まれるという話をしたね(図1)。」
「はい。」
「M33までの距離は約300万光年。アンドロメダ銀河より少し遠いところにある。また、M33とアンドロメダ銀河との距離は約75万光年だ。」
「結構、近いんですね。」
「実は、M33は昔、アンドロメダ銀河と一度衝突している。ディープな撮像観測をしてみると、M33には非対称的な淡い構造が広がっているんだ。この構造はM33が約30億年前にアンドロメダ銀河に接近したときに形成されたと思われている。潮汐力の効果でM33の一部の星々は銀河の外側に吐き出されたけど、現在ではそれらは大きく拡がってしまったので観測されにくくなっているだけなんだ。」
「みんな、暴れ放題ですね。」
「そうだね。それから、M33も天の川銀河に向かって近づいてきている。速度は秒速180キロメートル。」
「近くにある銀河はみんなお互いの重力で近づいてきているってことですね。」
「もちろん、合体にはそれぞれの銀河にある衛星銀河も参加する。二個や三個の銀河の合体じゃない。多重合体もいいところだ。」
「宇宙では多重殺銀事件が起きるんですね。」
多重殺銀事件
「多重殺銀事件か。それはいい言葉だ。」
何気なく言った言葉だったので、優子はたじろいだ。
「宇宙の未来で起こることは、まさに多重殺銀事件なんだ。」
輝明は説明を続ける。
「実のところ、天の川銀河、アンドロメダ銀河、M33は局所銀河群と呼ばれる銀河群に属している(図2)。局所銀河群には数十個の銀河がある。一見すると、孤立しているように見える銀河もある。ところがこの群れにいる銀河は今までに何回か遭遇して、育ってきてるんだ。例えば、5000光年の広がりを持つ銀河群の中を秒速100キロメートルで銀河が運動すると、約20億年で銀河群を端から端まで横切ることができる。これは横断時間と呼ばれている。局所銀河群は生まれてから100億年以上の時間が経過している。この時間は横断時間の数倍も長い。つまり、その間に局所銀河群にある銀河は他の銀河と数回は遭遇してるんだ。」
1000億年後の宇宙
輝明は優子に質問した。
「今から1000億年後、どんな夜空が見えるかな?」
「今から1000億年後・・・。だいぶ先のことですね。」
優子はしばらく思案顔で、上を向いたり下を向いたりしていた。そして、ボソッと呟いた。
「そうか、結局は重力が銀河を集めておしまいということか・・・。」
「実は、そうだ。」
「前回の話では、今から70億年後、アンドロメダ銀河、天の川銀河が合体して楕円銀河になり、退屈な夜空になっているということでした。その後もどんどん銀河がぶつかってきて、楕円銀河が太るだけ。そういうことでしょうか?」
「あんまり面白くないんだけど、それが正解だ。」
「ということは、最後に残るのは数十個の銀河が合体した巨大な楕円銀河がひとつなんですね。」
「そうだね。」
「そうすると、退屈な夜空が待っている・・・。」
天の川が消え、ぼうっと淡く光る夜空になるのだ。優子は「今」という時代に生きていることを感謝した。天の川も見えるし、オリオン星雲も見える。もちろん、アンドロメダ銀河もまだある。夜空は暗いものの、実はさまざまな天体があって、本当は賑やかなのだ。未来に行けば行くほど、退屈な夜空が待っているというのは、なんだか残念だ。しかし、重力に操られた宇宙は、そういう運命にあるのだと諦めた。それが、局所銀河群の未来予想図なのだ。
多重殺銀事件の証拠はあるのか?
諦めたのはいいが、優子にはまだ未練があった。そこで、輝明に聞いてみた。
「多重殺銀事件には何か証拠らしきものは残るんでしょうか?」
「銀河が合体すると、何がしかの痕跡は残る。」
「どんな痕跡ですか?」
「ひとつは「恒星ストリーム」という残骸だ。スター・ストリームとも呼ばれる。」
「ストリームというと、流れているような構造ですか?」
「そのとおり。天の川銀河には十個以上のストリームが発見されている。」
「ええっ! そんなにたくさん?」
「代表的なのは「いて座ストリーム」と呼ばれるものだ。名前のとおり、「いて座」の方向に見えている(図3)。」
輝明はスライドで「いて座ストリーム」を見せてくれた。
うわあ、とても淡いですね。」
「そもそも小さな衛星銀河が合体してきて、その名残りが見えているものだ。天の川銀河の潮汐力で衛星銀河の星々が吐き出されるんだけど、衛星銀河なので含まれている星の数が少ない。だから、その痕跡も淡くしか見えないんだ。この衛星銀河は「いて座矮小楕円銀河」と呼ばれていて、実際に「いて座」の方向に見つかっている。大きさは矮小とはいえ、1万光年もある。太陽系からの距離は7万光年だ。天の川銀河の銀河円盤の向こう端にあるという感じだ(図4)。」
「衛星銀河は本当に天の川銀河の周りをぐるぐる回りながら合体してきているんですね。」
「そのため、結構複雑な痕跡を残している。渦巻銀河NGC 5907のストリームもすごいよ(図5)。」
「うわあ、ぐるぐる巻きですね!」
「ところが、NGC 5907の円盤は非常に綺麗な形をしている。」
「どうしてですか?」
「ストリームを作った衛星銀河の合体は、おそらく数十億年前に起こったんだろう。その間に円盤は何回も回るので綺麗な形に戻った。それでも、円盤の外側には「反り」、歪みが見えているね。」
「本当だ。」
「ストリームは銀河の外側の領域を回るので、まだそれほど銀河の周りを回っていない。だから、残っているんだ。」
「ストリームを見つければ、過去の合体の証拠が得られるんですね?」
「他にも過去の合体の証拠を見つける方法はある。せっかくなので、まとめておこう。」
輝明は衛星銀河の合体の観測的な証拠をまとめてくれた(図6)。
銀河考古学
「形態的証拠が一番わかりやすい。合体でできた構造が直接見えているからだ。ストリームもこの形態的証拠になる。一方、化学的証拠と運動学的証拠は見つけるのが少し面倒だ。」
「なぜですか?」
「見た目では判断できないからだ。両方とも、銀河の分光観測が必要になる。たとえば、銀河のある領域が他の領域と化学組成が違うことがわかったとする。その場所は、銀河とは化学組成が異なる衛星銀河の痕跡だと判断できる。衛星銀河は小さい銀河で、大きな銀河に比べると進化が遅れている。ここでいう進化は星の世代交代のことだ。炭素以降の重い元素(重元素)は主として星が死ぬときに放出される。星の世代交代が進んでいないと、その銀河の重元素は少ない状態になっている。そういう場所があれば、矮小銀河の残骸だと判断できる。それから、銀河本体の星々の運動と異なる運動を示す場所も衛星銀河の痕跡とみなすことができる。」
「いろいろな方法で調べられているんですね。」
「現在の銀河を調べて、過去に何があったかを探る。これは『銀河考古学』と呼ばれる研究分野だ。実際、最近ではずいぶん流行ってきているようだ。」
「過去に学んで、未来を知るということですね。」
「優子、それだ!」
輝明は優子のセンスのよさに感動した。
すべては重い銀河を目指す
輝明の説明で分かったことは、多重殺銀事件はいつでも、どこでも起こっていることだ。優子はさっき話題にのぼった局所銀河群の運命を思い出した。数十個の銀河が合体してひとつの巨大な楕円銀河になるという話だ。
優子の頭には、ひとつの疑問が浮かんだ。さっそく、輝明に聞いてみることにした。
「局所銀河群では銀河の合体が続いて、ひとつの巨大な楕円銀河になるという話でした。たくさんの合体が起こると思うんですけど、合体は銀河群の中でどんな感じで進行していくんでしょうか?」
これまた、いい質問だ。輝明は感心しながら、次のように答えた。
「合体を引き起こす原動力は銀河同士の重力だ。すると、多重合体の主役は一番重い銀河になる。つまり、軽い銀河が重い銀河を目指して合体していく感じになる。」
「現在の局所銀河群の中では、一番重い銀河はアンドロメダ銀河、そして二番目に重い銀河が天の川銀河。これら二つの銀河が合体して70億年後にはひとつの巨大楕円銀河になるので、当然、その頃にはこの銀河が一番重い銀河になります。」
「そうだね、M33も合体しているしね。」
「ということは、残りの銀河はみんなこの重い楕円銀河を目指して多重合体していくんですね?」
「そうなると思う。」
「多重殺銀事件が起こるけど、冷静に考えると一番重い銀河以外は、みんな自殺していくようなものですね。」
言われてみれば、そのとおりだ。重力は引力。結局、その性質が多重自殺につながっているのだ。
『オリエント急行の殺人』
輝明は優子にひとつ注意があると言って、話し始めた。
「さっき衛星銀河の合体の観測的な証拠をまとめたけど(図17)、実は使える条件がある。」
「それは?」
「観測的な証拠が明瞭に残っているのは合体から数十億年の間だけなんだ。それより経過時間が長くなると、痕跡は消えてしまう。銀河の回転が証拠を消してしまうからだ。」
「じゃあ、1000億年後にはどの銀河がいつ頃合体したかはわからなくなっているんですね。」
ここで、優子はアガサ・クリスティの『オリエント急行の殺人』を思い出した。この推理小説が多重殺銀事件と直接関連するわけではないが、なんとなく気になったのである。
「部長はアガサ・クリスティの『オリエント急行の殺人』を読んだことがありますか? (図7)」
優子の突然の質問に輝明は驚いた。
「おっ、急な展開だね。中学生の頃に読んだよ。」
ここで優子はまた『アガサ・クリスティ完全攻略〔決定版〕』(早川書房、2018年)という本を紐解いた。
【おはなし】 中東からフランスまで ― 上流人士が乗ったオリエント急行が豪雪のため停止を余儀なくされた夜、乗客の一人がメッタ刺しにされて殺された。同列車に乗り合わせていた名探偵ポアロが精力的に尋問するも、誰もがアリバイを持っていて・・・ (38頁)
「オリエント急行の車内で殺人事件が起こるんですが、メッタ刺しという表現で多重殺人が思い浮かびます。局所銀河群のように多重自殺ではないんですが、なんとなく、この小説を思い出してしまいました。」
『そして誰もいなくなった』
輝明は優子を冷やかした。
「優子の頭の中では、常にアガサ・クリスティの作品が渦巻いているんだね。」
「どうも、そうみたいです。」
「それならどうだろう。『そして誰もいなくなった』は? (図8)」
「あっ! 出ましたね! 『そして誰もいなくなった』はクリスティ自身がベストの作品だと認めているし、読者の評価でもトップの人気を誇っています。ちなみに、クリスティ・ファンクラブの投票によるベスト3は次の作品だそうです」
1 『そして誰もいなくなった』
2 『アクロイド殺し』
3 『オリエント急行の殺人』(『アガサ・クリスティ百科事典』数藤康雄 編、ハヤカワ文庫、2004年、132頁)。
優子は例によって『アガサ・クリスティ完全攻略〔決定版〕』(早川書房、2018年)という本を紐解いた。
【おはなし】 U. N. オーエンなる人物に招かれ、あるいは雇われて、孤島に集まった男女十人。彼らが滞在することになるモダンな屋敷には、十人のインディアンが一人ずつ消えてゆくという歌詞の童謡と、十体のインディアン人形が飾られていた。晩餐の席で突如、奇妙な声が食堂に響いた。それは彼ら十人の過去の罪を暴き、断罪するものだった。そして直後、あの童謡とそっくりの状況で一人が絶命。十体あったはずの人形が一つ減っていた。荒天により本土から隔絶された孤島の屋敷で、一人、また一人と、集められた者たちは歌詞に沿って殺されてゆく ― ・・・ (393頁)
優子は輝明の提案に感動を覚えた。
「たしかに、『そして誰もいなくなった』がありました! うっかり忘れていました。ひとつの巨大楕円銀河を残して、局所銀河群にあった他の銀河が全部自殺してしまう。巨大楕円銀河が残ってしまうのが残念ですが・・・」
優子は本当に残念そうに、部室の天井を見上げた。
「優子、安心していいよ。ひとつの巨大楕円銀河を残っているのは、今から1000億年後のことだ。もっと先の未来を考えればいい。」
「どのぐらいですか?」
「うん、10の34乗年後のことだ。」
「うわあ、はるか未来すぎてピンと来ません。いったい、その頃に何が起こるんでしょうか?」
「陽子崩壊という現象が起きる。」
「えっ? 原子核の元である陽子が壊れるんですか?」
「現在の素粒子の理論が正しければ起こる。自然界にある基本的な力は4種類ある。重力、電磁気力、原子核に関連する強い力と弱い力である。重力を除く三つの力を統一する理論を大統一理論と呼ぶ。この理論が正しければ陽子崩壊が起こるんだ。」
「陽子崩壊が起きれば、局所銀河群の残骸として残っていた巨大楕円銀河も消えるということですね?」
「宇宙には誰もいなくなっちゃうんだ。」
これはすごいことだ。
「ただ、ダークマターとダークエネルギーは残っている。どんな世界か想像もできないけど・・・。」
輝明は続ける。
「この宇宙から陽子が消えたらどうなる?」
「私たちの身体はなくなる?」
「そして、地球も太陽もだ。つまり、星も銀河も消えてゆく。その宇宙に知的生命体がいるとは思えない。誰にも気づかれない、宇宙だけがひっそりあることになる。」
そして『ゼロ時間へ』向かうのか?
「そうか、やっぱりクリスティの『ゼロ時間へ』という考え方は正しいのかもしれないわ。」
この優子の謎の言葉に輝明は面食らった。
「なんだい、その『ゼロ時間へ』というのは? (図9)」
「あっ、すいません。これもアガサ・クリスティの推理小説の題名です。内容はこんな感じになっています。」
優子は『アガサ・クリスティ完全攻略〔決定版〕』(早川書房、2018年)に出ているあらすじを教えてくれた。
【おはなし】 九月。休暇を過ごすべく海辺のリゾート地に集まってくる男女。だがそこには不穏な気配が漂う ― その発生源は名スポーツ選手ネヴィルをめぐる多重三角関係である。そもそもこの時期はネヴィルの妻オードリーが同地を訪れるのが恒例になっていた。そこにネヴィルが現在の妻ケイを連れてやってくるのだ。さらにケイにはケイの元恋人テッド、オードリーを恋慕するトマス、オードリーを不憫に思う富豪未亡人とその世話をするメアリーなどが集まり、不協和音が響き始める。そして、その背後では、何者かが『殺人計画』を周到にたてているのである。 (402頁)
「なんだか、怪しげな物語だね。で、ゼロ時間と言うのはどういう意味なの?」
「この小説のプロローグに長老のミスター・トレーヴという人が出てきます。法律家で年齢は八十歳。その人の話が面白いので紹介します。」
「わたしはよくできた推理小説を読むのが好きでね。」彼(註:ミスター・トレーヴ)は言った。「「ただ、どれもこれも出発点が間違っている! 必ず殺人が起きたところから始まる。しかし、殺人は結果なのだ。物語はそのはるか以前から始まっている ― ときには何年も前から - 数多くの要因とできごとがあって、その結果としてある人物がある日ある時刻にある場所におもむくことになる。・・・」 (『ゼロ時間へ』アガサ・クリスティ、三川基好 訳、早川文庫、2004年、13頁)
優子は説明を続ける。
「そして殺人事件が起こるわけだけど、ミスター・トレーヴはさらに次のことを指摘します。」
「すべてがある点に向かって集約していく・・・そして、その時にいたる ― クライマックスに! ゼロ時間だ。そう、すべてがゼロ時間に集約されるのだ。」 (『ゼロ時間へ』アガサ・クリスティ、三川基好 訳、早川文庫、2004年、14頁)
輝明は唸った。
「なるほど、クリスティは凄いね。ストーリー展開を逆転させるわけだ。殺人事件が起こったのは「ある日ある時ある場所」かもしれないけど、スタートは「はるか昔」に、複雑に仕込まれていたということなんだね?」
「そうです。かなり評価の高い作品で、クリスティ自身も気にいっているとのことです」
「考えてみれば、宇宙で起こる殺銀事件もかなり前に仕込まれている。銀河の位置と速度が決まれば、銀河たちの運命は決まる。そして、僕たちの宇宙に仕込まれた物理量と物理法則が決まれば、実は宇宙の運命も最初から決まっている。10の34乗年後に陽子崩壊が起こることも決まっているんだからね。
陽子崩壊が起きても、この宇宙が終わるわけではない。さっきも言ったように、ダークマターとダークエネルギーが残っているからね。だけど、陽子崩壊はひとつの終わりだ。僕たち人類のような生命体は、それ以降、生まれることはない。
陽子崩壊は言葉を変えれば、すべての殺銀事件の終わりだ。しかし、その謎を解きたいのなら、宇宙の誕生、銀河の誕生を調べなければならない。」
輝明はしみじみと言った。
「クリスティは本当にすごい人のように思えてきたよ。」
この輝明の意見には優子も賛成した。
そして、優子がボソッと言った。
「さて・・・。そうなると、この天文部も解散ですね。」
輝明と優子は思わず顔を見合わせた。
そして、大笑いした。
校長、あらわる
そのとき、天文部の部室の外の廊下に人の気配がした。見ると、校長の本田陽一が部室の窓から輝明と優子を見ていた。
「やあ、楽しくやっているようだね。何よりだよ。」
輝明と優子はあわてて頭をぺこりと下げた。
校長から思わぬ言葉がでた。
「私も宇宙には関心がある。そうだ、天文部に入部しようかな?」
「あのう、10の34乗年後には消えてなくなりますが・・・。」
「???」
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第一話 神保町の天文部で銀河を語るhttps://note.com/astro_dialog/n/n7a6bf416b0bc
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