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「宮沢賢治の宇宙」(56) 「天気輪の柱」は南昌山にあるのか?

「町外れの丘」の町は矢巾町なのか?

『銀河鉄道の夜』では、「天気輪の柱」は「町外れの丘」の上にあるとされていた。いろいろな状況証拠から町は花巻である可能性が高い(note「宮沢賢治の宇宙」(41)「天気輪の柱」はどこにある? https://note.com/astro_dialog/n/n2b5edfca800b

しかし、『銀河鉄道の夜』は創作童話であり、町を花巻に限定する必要はない(図1)。

図1 「天気輪の柱」を花巻以外の丘(山)の上にある宗教的構造物とする場合。

町が花巻でなければ、「町外れの丘」にはどのような候補があるのだろう。前回のnoteでは、以下の四つの候補を挙げてみた。[1] 岩手山, [2] 早池峰山, [3] 南昌山, [4] 五輪峠(note「宮沢賢治の宇宙」(55)「天気輪の柱」は花巻以外の山にあるのか? https://note.com/astro_dialog/n/ne6b90d24513f 参照)

今回は山の頂上に「お天気柱」がある南昌山に着目して話を進めたい。

南昌山は岩手県の紫波郡矢巾町と岩手郡雫石町の境界にある標高848メートルの山である。南昌山は昔から天候祈願の霊峰として地元の人々から崇められていた。そのため、南昌山の頂上には、お天気柱である石柱群がある(図2)。お天気柱という性格から、天気輪の柱と言って差し支えない。「輪」は「天気を転じる」の意味で付け加えることができる。また、石柱は大きいものでは高さ2メートルにもなるので、ブルカニロ博士を隠すことは可能だ。こうしてみると、南昌山はジョバンニが駆け登った丘の有力な候補となる(このあと、「南昌山説」と呼ぶ)。

図2 南昌山の石柱(お天気柱)。  (撮影:畑英利)

松本隆の「南昌山説」

「南昌山説」は私が唱えたものではない。この説を知ったのは盛岡で啄木賢治記念館を訪れたときのことだ。そこで、一冊の本に出会った。『童話『銀河鉄道の夜』の舞台は矢巾・南昌山 — 宮沢賢治直筆ノート新発見 —』(松本 隆、ツーワンライフ、2010年、図3)。

「矢巾? 南昌山?」迂闊にも、矢巾も南昌山も聞いたことがない。どうしてそこが『銀河鉄道の夜』の舞台なのか、皆目わからない。わからないときは、この本を買って読んでみるしかない。

当然、この本を買い求めた。そして、自宅に帰って読んでみて驚いた。なかなか説得力のある説なのだ。この本を置いてあった啄木賢治記念館に感謝した。

図3 『童話『銀河鉄道の夜』の舞台は矢巾・南昌山 — 宮沢賢治直筆ノート新発見 —』(松本 隆、ツーワンライフ、2010年)の表紙。

著者の松本隆は岩手県紫波郡煙山村で生まれた。現在の矢巾町である。生年は昭和六年(1931年)。賢治がなくなったのは昭和八年(1933年)なので、その二年前に生まれたことになる。本に出ているプロフィールをみると、プロの研究者ではないようだが、地の利を生かして、賢治の研究をされてきた方のようだ。

松本はこの本のあと、同じテーマだが、新たな考察を加えた文庫本を出している(図4)。今回はこの本で紹介されている「南昌山説」を吟味してみる。

図4  『賢治が愛した南昌山と親友藤原健次郎 新考察「銀河鉄道の夜」誕生の舞台 物語の舞台が矢巾・南昌山である二十考察』(松本 隆、みちのく文庫、ツーワンライフ、2014年)の表紙。

南昌山説の結論

まず、松本の結論を示す。

カムパネルラは誰か? → 賢治の盛岡中学時代の同級生、藤原健次郎
銀河鉄道の出発地はどこか? → 岩手県矢巾町と雫石町の境にある南昌山の頂上
天気輪の柱は何か? → 南昌山の頂上にあるお天気柱

南昌山をよく知っている松本から見れば、『銀河鉄道の夜』に描かれている情景には南昌山を思い起こさせるものがたくさんあるようだ。そのため、松本は『銀河鉄道の夜』は藤原健次郎へのレクイエムとして書かれたものだと結論した。

南昌山説の論拠

松本は2冊の本で南昌山説を解説している。

[1] 『童話『銀河鉄道の夜』の舞台は矢巾・南昌山 — 宮沢賢治直筆ノート新発見 —』 松本 隆、ツーワンライフ、2010年 (図3)
[2] 『賢治が愛した南昌山と親友藤原健次郎 新考察「銀河鉄道の夜」誕生の舞台 物語の舞台が矢巾・南昌山である二十考察』松本 隆、みちのく文庫、ツーワンライフ、2014年 (図4)

このnoteでは新たな考察をまとめた文献[2] に基づいて、南昌山説を検討してみよう。松本はこの本の中で20の証拠を提示している。詳細については松本の著書を参照していただくことになるが、ここでは、松本のあげた証拠を表1にまとめた。項目番号は『賢治が愛した南昌山と親友藤原健次郎 新考察「銀河鉄道の夜」誕生の舞台 物語の舞台が矢巾・南昌山である二十考察』(松本 隆、みちのく文庫、ツーワンライフ、2014年)にあるもの。評価は信頼度の目安を表す。

         表1 松本隆の「南昌山説」のまとめ

 
 
 
 

重要な四つの証拠

松本は「南昌山説」について表1に与えた20の証拠があるとした。僭越ながら、表1の右端の欄に証拠としての確らしさを入れさせていただいた。これは私の個人的な判断なので、参考程度に見てほしい。いろいろなご意見があると思うので、ご判断は皆さんに委ねることにしたい。

私が証拠としての確らしさとして「高」を入れた項目は四つある(7, 8, 10, 11番)。また「中」も四つある(3, 5, 9, 14番)。「中」は確定的ではないが、証拠として取り上げる意義はあると判断したものだ。こうしてみると、「南昌山説」はかなり確度が高い説と考えてよい。以下では、「高」と判断した三つの証拠について簡単に説明する。詳細は先に紹介した松本の2冊の本([1] 図3、[2] 図4)を読んでほしい。

まず、項目7番。南昌山の山頂にはお天気柱がある(図1)。「輪」があるわけではないが、天気を転ずることを願う柱なので、「転」を「輪」と読み替えることは可能である。もうひとつ大事なことは南昌山の頂上へ向かう景色が『銀河鉄道の夜』に書かれている記述とよく合うことだ。また、坂道を登ってお天気柱に到着するので、当然だが、身体がドカドカする。「天気輪の柱」は平地ではなく、丘(山)の頂上にあるのだ。

次に項目8番。『銀河鉄道の夜』には「億万の蛍烏賊」という表現が出てくるが、これは南昌山の夏の名物である姫蛍の明かりで説明がつく。私は見たことはないが、非常にたくさんの姫蛍が乱舞するので、まるで天の川の星々のようにも見えるらしい。蛍烏賊と姫蛍には「蛍」が共通して出てくるので、整合性もよい。

項目10番については、銀河鉄道から眺めた天の川の河原の様子は南昌山の「白い河原」の様子と合っている。そこでは水晶やのろぎ石がたくさん取れたので、賢治の大好きな場所だった。

項目11番は賢治作品の村童三作と呼ばれる作品に関係する。『鳥をとるやなぎ』、『二人の役人』、『谷』である。これらの作品に出てくる藤原慶次郎は明らかに藤原健次郎のことだ。『鳥をとるやなぎ』は『銀河鉄道の夜』では鳥を捕って天の川で暮らしている鳥捕りに反映されている。また、『銀河鉄道の夜』に出てくる高い谷(コロラドの高原)は南昌山の「馬の背渡り」が該当すると推察されている。

このように藤原健次郎と遊んだ南昌山の思い出は『銀河鉄道の夜』に散りばめられている。項目10番は「中」と判断したが、銀河鉄道から眺めた天の川の河原の様子は南昌山の「白い河原」の様子と合っている。そこでは水晶やのろぎ石がたくさん取れたので、賢治の大好きな場所だった。「高」にしてよい項目かもしれないが、他にも似たような土地はありそうなので「中」にした次第である。

カムパネルラという名前の起源

松本はカムパネルラという名前の起源をカムパニュラ(釣鐘草)に由来すると考えている(表1の項目1番)。カムパニュラ(釣鐘草)の花言葉は「親交・友情」なので、親友である健次郎の名前としては似つかわしいものになっている。

実は、私も最初はそう思った。ところが、調べてみると、賢治は釣鐘草のことをカムパニュラとは言っていない。賢治は一貫してブルーベル、あるいはブリューベルと言っているのだ。これは英語名の bluebell のことである。したがって、項目の1番は強い証拠とはならない。

実際のところカムパネルラの名前の由来には諸説ある(『宮澤賢治語彙辞典』原子朗、筑摩書房、2013年、152-153頁)。賢治の説明はないので確定はできないが、面白い情報がひとつ残されている。賢治が『銀河鉄道の夜』を構想したときに、物語の舞台を南欧にしたことに端を発しているという話だ。

大正十三年に『注文の多い料理店』が出版されたが、それを祝う会の席上でのことだ。『注文の多い料理店』の装幀と挿画を担当した菊池武雄と賢治の会話がある。

「今こんなものを書きかけてるがどういうもんでしょう。子供等には分かるようだが」・・・
「どんなのだス」
「銀河旅行ス」
「ワア、銀河旅行すか、おもしろそうだナ」
「場所は南欧あたりにしてナス。だから子供の名などもカンパネラという風にしあんした」 
(『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」を読む』西田良子 編著、創元社、2003年、16頁 “菊池武雄の証言”)

この話をしたとき、賢治の頭の中には藤原健次郎のことがあったのだろうか? 考えてみれば、カムパネルラが助けた同級生の名前はザネリだが、この名前の由来もよくわからない(『宮澤賢治語彙辞典』原子朗、筑摩書房、2013年、303頁)。賢治はエスペラント語もそうだが、外国語には慣れ親しんでいたようだ(鉱物の学名なども含めて)。賢治は楽しみながら登場人物の名前を考えたのだろう。

ところで菊池との会話で出てきたのはカムパネルラではなく、カムパネラである。ラ・カムパネラはイタリア語で「鐘」の意味がある。岩鐘と結びつけるのであれば、南昌山になるのだろうか。

まとめ

以上まとめてみると、松本の提案した「南昌山説」は高く評価されてよいだろう。

カムパネルラは誰か? → 賢治の盛岡中学時代の同級生、藤原健次郎
銀河鉄道の出発地はどこか? → 岩手県矢巾町と雫石町の境にある南昌山の頂上
天気輪の柱は何か? → 南昌山の頂上にあるお天気柱

この松本の結論で『銀河鉄道の夜』の大枠は説明できる。

「カムパネルラのモデルは誰か」という話になると、妹のトシ、あるいは盛岡高等農林学校時代の同級生である保阪嘉内の名前が挙げられる。実際のところ、藤原健次郎を推す話はほとんど見かけない。
『銀河鉄道の夜』を読む限り、カムパネルラには次の条件が課せられる。

背の高い男の子
ジョバンニの同級生
しかも、授業の雰囲気から中学生
『銀河鉄道の夜』が書かれる前に亡くなった
カムパネルラの服は濡れていた

これらの条件を満たすのは藤原健次郎である。

ただ、妹のトシの死が、『銀河鉄道の夜』執筆の動機になった可能性は否定できない。保阪嘉内への思いもだ。自然科学の世界では「統一モデル」が目標になる。素粒子の統一モデル、力の統一モデルなどだ。しかし、文学の解釈には統一モデルはなくてよい。あるとすれば、一人の読者の中だけにあるのだろう。

賢治の著した『農民芸術概論綱要』に含蓄のある言葉が出ている。

永久の未完成これ完成である (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十三巻(上)、筑摩書房、1997年、16頁)

実は、この文章の前には次の言葉がある。

詩人は苦痛をも享楽する (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十三巻(上)、筑摩書房、1997年、16頁)

賢治は『銀河鉄道の夜』を書いて、楽しいひとときを送ったと思いたい。

そう信じて「永久の未解明これ解明である」としておこう。

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