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「宮沢賢治の宇宙」(55) 「天気輪の柱」は花巻以外の山にあるのか?

「町外れの丘」の町は花巻以外も可とする

『銀河鉄道の夜』では、「天気輪の柱」は「町外れの丘」の上にあるとされていた。いろいろな状況証拠から町は花巻である可能性が高い(note「宮沢賢治の宇宙」(41)「天気輪の柱」はどこにある? https://note.com/astro_dialog/n/n2b5edfca800b

しかし、『銀河鉄道の夜』は創作童話であり、町を花巻に限定する必要はない(図1)。

図1 「天気輪の柱」を花巻以外の丘(山)の上にある宗教的構造物とする場合。

町は花巻でなくてもよいとすれば、「町外れの丘」にはどのような候補があるのだろう。賢治は山歩きが大好きだった。そこで、候補としての優劣を特に考えずに、以下の四つを挙げてみた。
[1] 岩手山
[2] 早池峰山
[3] 南昌山
[4] 五輪峠
以下では、それぞれについて簡単に説明する。

[1] 岩手山

「賢治の恋人は岩手山」 そう言われるぐらい賢治は岩手山に登った。標高は2038メートル。天の川に手が届きそうなぐらい、星空は美しいはずだ。実際、「天の河ステーション」という言葉が岩手山の山頂で生まれた。

賢治は1922年 [大正11] 年9月18日、花巻農学校の生徒たちと岩手山に登った。その様子は詩「東岩手火山」で読むことができる。この登山に同行した宮澤貫一の覚書きが、小田邦雄による『宮沢賢治覚え書』(弘学社、1943年)に載っている。以下は、草下英明の『宮澤賢治と星』にある「賢治の天文知識について」27頁からの引用である。

この名称(銀河ステーション)は岩手登山に皆で先生に連れられて行った時、種々星の話、天の河の話など、先生がされて居った。自分等も勝手な想像や、その時々の感じをおしゃべりしたもんだ。その時、小田島治衛君だったと思ふ。「先生、天の河の光る星、停車場にすればいいナッス」さうしたら先生は喜ばれた様に「さうだ。面白いナッス」と言はれた。さうして皆で天の河ステーションなんてふざけてさわいだもんだ。 

なんと、「天の河ステーション」という洒落た言葉が生徒の口から出たのだ。これが「銀河ステーション」という言葉の元になった。岩手山の山頂は『銀河鉄道の夜』の構想に役立ったことは間違いない。

岩手山の山頂付近にはもうひとつ気になるものがある。それは石仏群だ(図2、図3)。古来、山岳信仰の対象だった山なので、石仏の個数は数十を超える。これらの石仏を「天気輪の柱」に置き換えるのは難しいかもしれないが、「天の河ステーション」という言葉が生まれた岩手山は『銀河鉄道の夜』の構想に一定の役割を果たしたことは間違いない。

図2 岩手山山頂の外輪山の登山道に並ぶ石仏群。 (撮影:畑英利)
図3 岩手山山頂の石仏と天の川。石仏は中央やや左側にシルエットで見えている。まるで石仏が天の川を目指して昇って行くようだ。 (撮影:畑英利)

[2] 早池峰山

早池峰山は遠野市、花巻市、宮古市の境界にある標高1914メートルの山である。北上山地の最高峰であり、岩手山同様、賢治が好きだった山のひとつである。実際、賢治の童話や詩には早池峰山がよく出てくる。たとえば、童話『どんぐりと山猫』は早池峰のエリアが舞台だと考えられている。

山頂には早池峰神社があり(図4)、また一等三角点もある。標高の高い山は山岳信仰の対象となり、また測量でも重要な基点になるということ。

図4 早池峰山の山頂にある早池峰神社。 http://w.speedia.jp/mutu48/a-yama-hayatinesan-1.html

早池峰山の山頂から見る天の川は圧巻だろう。しかし、早池峰山の魅力は他にもある。それは珍しい高山植物の宝庫だからだ。賢治が大好きだったウメバチソウも咲いている(図5)。ウメバチソウは賢治の作品に10回以上も登場する。賢治の目は空だけに向けられていたわけではない。野にも向けられ、草花も愛でていたのである。実際、賢治の詩には「花鳥図譜・八月・早池峰山巓(さんてん=山の頂上の意味)」(『【新】校本 宮澤賢治全集』第五巻、筑摩書房、1995年、215-221頁)に代表される花鳥図譜シリーズがある。

図5 可憐な花をつけるウメバチソウ。野原でこのハンナを見つけたら、多くの人は立ち止まって見入るだろう。 https://ja.wikipedia.org/wiki/ウメバチソウ#/media/ファイル:Umebachisou.JPG

また賢治は河原坊では僧侶の亡霊に出会った(「河原坊(山脚の黎明)」『【新】校本 宮澤賢治全集』第三巻、筑摩書房、1996年、235-239頁)。霊感の強い賢治にとって、早池峰は特別な山のひとつだったのではないだろうか。

『銀河鉄道の夜』との直接の関係はないものの、賢治がよく訪れた場所なので、早池峰山も『銀河鉄道の夜』の構想に役立ったはずだ。その意味も込めて、天気輪の柱の丘の候補に挙げておく。

[3] 南昌山

丘の頂上に天気輪の柱。この状況に合う山がある。それは南昌山だ。岩手県の紫波郡矢巾町と岩手郡雫石町の境界にある標高848メートルの山である。

南昌山は昔から天候祈願の霊峰として地元の人々から崇められていた。そのため、南昌山の頂上には、お天気柱である石柱群がある(図6)。お天気柱という性格から、天気輪の柱と言って差し支えない。「輪」は「天気を転じる」の意味で付け加えることができる。ジョバンニが駆け登った丘の有力な候補と考えてよい。

図6 南昌山の石柱(お天気柱)。  (撮影:畑英利)

石柱は大きいものでは高さ2メートルにもなるので、人を隠せるほど大きい。つまり、ブルカニロ博士を隠すことは可能だ。

賢治はこの南昌山に何回も登ったことがある。それは盛岡中学校時代のことだ。山遊びのパートナーは親友の藤原健次郎。健次郎の実家は矢巾町にあり、賢治は何度も泊まりが家で遊びに行った。南昌山には“のろぎ石”などの珍しい石もあり、“石っ子賢さん”と呼ばれるぐらい大の石好きだった賢治にとっては、まさに格好の遊び場だったのだ。

ただ、健次郎は明治43年の夏、野球の試合のために秋田に遠征したあと、腸チフスを患い、その年の9月27日に帰らぬ人となった。賢治は健次郎の死に目に会うこともできず、断腸の別れだっただろう。賢治、16歳の夏の出来事だ。

このような事情を考慮して、矢巾町出身の松本隆は健次郎がカムパネルラのモデルであると提案している(『童話『銀河鉄道の夜』の舞台は矢巾・南昌山 — 宮沢賢治直筆ノート新発見 —』松本 隆、ツーワンライフ、2010年)。

「天気輪の柱の丘=南昌山」説については、別途、後で考察してみることにしよう。

[4] 五輪峠の五輪塔

賢治の住む岩手県に五輪峠と呼ばれる峠がある。花巻市、遠野市、そして奥州市の境界ある峠で、標高は556メートル。この峠の頂に五輪塔がある(図7)。

図7 五輪峠にある五輪塔。1815年に建立された。ここは宮沢賢治ゆかりの「イーハトーブ風景地」の一箇所に選ばれている。 https://ihatov.cc/monument/090.htm

五輪とは、方形の「地輪」、円形の「水輪」、三角の「火輪」、半月型の「風輪」、団形の「空輪」から成る。これらを下から並べて、五輪塔とするものだ。賢治の文語詩に「五輪塔」があるので見ておこう。

五輪峠と名づけしは、   地輪水輪また火風、
(巌のむらと雪の松)   峠五つの故ならず。
ひかりうづまく黒の雲、  ほそぼそめぐる風のみち、
苔蒸す塔のかなたにて、  大野青々みぞれしぬ。

「地」「水」「火」「風」「空」。五輪塔を天気輪に結びつけるために、ここにない「天輪」を加える考え方がある。しかし、「天輪」は「天気輪」ではない。したがって、五輪塔は天気輪の柱の候補とは考えにくい。

文語詩『病技師(二)』に出てくる天気輪という言葉が出てくるので紹介する。

あえぎてくれば丘のひら、 地平をのぞむ天気輪  (『【新】校本 宮澤賢治全集』第七巻、筑摩書房、1996年、160頁)

ところが、下書稿では天気輪ではなく五輪塔になっている。

あえぎて丘をおり 地平をのぞむ五輪塔  (『【新】校本 宮澤賢治全集』第七巻、校異篇、筑摩書房、1996年、502頁)

「五輪塔→天気輪」という言葉の置き換えが起きている。では、『銀河鉄道の夜』に出てくる天気輪の柱はこの五輪塔をイメージして造られた言葉なのか? それは違う。なぜなら、成立時期から考えると、まず『銀河鉄道の夜』に「天気輪の柱」という言葉があった『病技師 二』は『銀河鉄道の夜』の後に書かれたものだ。『定本 宮澤賢治語彙辞典』(原子朗、筑摩書房、2013年、496-498頁を参照)には次の説明がある。

「天気輪」のイメージや機能を「五輪塔」から直接的に導くことには無理がある。

「五輪塔→天気輪」という言葉の置き換えは、「天気輪」の起源を「五輪塔」とする考え方もあるが、真相は不明である。

一方、五輪塔は人が亡くなったとき、その供養のために建立されるものである。カムパネルラへの供養という考えもできるかもしれないが、銀河ステーションへのステップとなる天気輪の柱としては相応しくないか。

イーハトーブは山だらけ

ここまで、三つの山(岩手山、早池峰山、南昌山)とひとつの峠(五輪峠)を挙げただけである。実は、賢治の故郷、イーハトーブには山がたくさんある。したがって、天気輪の柱のある丘を、花巻以外の場所にある山に求めると、調査はかなり大変になる。そのため、賢治のよく出かけた岩手山、早池峰山、南昌山、五輪峠だけを例として紹介した。

賢治は亡くなる前に遺言として埋経を家族に頼んだ。埋経とは、仏教の経典を容器に入れて地中に埋めることだ。賢治は埋経する山を「経埋ムベキ山」として手帳に書き残した。山の数は32に及んだ(図8)。なお、五輪峠は含まれていない。

図8 賢治が「経埋ムベキ山」としたもの。以前紹介した胡四王山は2番目の山として選ばれている。 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kenjimap.jpg より詳しい説明についてはnote「宮沢賢治の宇宙」(4)を参照されたい。 https://note.com/astro_dialog/n/n5b60243d5910 図中の星座との対応は小説家の畑山博(1935-2001)が提案したものである(『美しき死の日のために』畑山博、学習研究社、1995年、314-315頁)。

これだけ山があると大変である。

[1] 天気輪の柱のような構造物がある
[2] ブルカニロ博士の姿が隠される程度に大きい

とりあえずは、これら二つの条件を頼りにして探すしかない。

天気輪の柱の正体を探る旅はまだまだ続く。

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