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一期一会の本に出会う (8)夏目漱石、木村榮、そして宮沢賢治

京都の龍寶山大徳寺で購入した色紙。「一期一会」と書いてある。最初の「一」がすごいですね。

「銀河のお話し」の状況設定と同じです。 こちらをご覧ください。 https://note.com/astro_dialog/n/n7a6bf416b0bc

『漱石と「学鐙」』に見る夏目漱石と木村榮の関係

先日の天文部の部会で、輝明は水沢緯度観測所で活躍した木村榮(きむらひさし、1870-1943)と夏目漱石(1867-1916)を絡めた話をした。この話のきっかけを作ってくれたのは一冊の本。『漱石と「学鐙」』(小山慶太 編著、丸善出版、2017年)という本だった(図1)。

図1 『漱石と「学鐙」』(小山慶太 編著、丸善出版、2017年)。

この本の中に小山慶太が著した「漱石と天文学者」という一文があった。ここで天文学者は木村榮のことである。木村は天文学者ではなく地球物理学者だが、小山が紹介しているエピソードは興味深い内容のものだった。

木村は地球の緯度の測定精度を上げる画期的な発見をした(それは「Z項」と呼ばれるもので、緯度測定値に対する補正項のことである)。この発見で木村の名前は世界に轟き、水沢の緯度観測所も有名になったほどだ。もちろん、日本でもこの成果に対して大きな賞賛が与えられた。実際、木村には第1回恩賜賞が授与された。ところが、この受賞を批判した人がいた。それが漱石だったのだ。

漱石も木村の業績を認めてはいる。しかし、木村ひとりだけが表彰され、他の大勢の学者が蔑ろにされたような行為であると指摘したのである。漱石と木村が直接会って話をしていないだろうが、二人は変な縁で結ばれてしまった感がある。

輝明は木村榮の名前が出てきたとき、宮沢賢治の名前が頭に浮かんだ。今日の天文部の部会ではその話をしようと思った。

木村榮と宮沢賢治の関係

放課後、輝明が部室に入ると、いつものように優子が来ていた。
それを見て、早速、輝明は話を始めた。
「前回、『漱石と「学鐙」』を紹介して、夏目漱石と木村榮の関係について話をした。」
「はい、なんだか漱石の意外な一面を見たようで、面白かったです。」
「ホントだね。それはさておき、話題を宮沢賢治(1896-1933)に移すことにしたい。」
「漱石と木村に関係があるのでしょうか?」
「漱石と賢治の関係はよくわからない。ただ、木村と賢治の関係は確実にある。なぜなら、賢治は水沢の緯度観測所で木村を見ているからだ。」
「それは、直接的ですね。」
優子はちょっと驚いたようだ。

「賢治の書いた有名な童話のひとつに『風野又三郎』がある。一般に流布している『風の又三郎』の前駆形だ。主人公は人間の子供ではない。風の精である又三郎だ(図2)。」
「はい、それは知ってます。」

図2 水沢の奥州宇宙遊学館の売店で買い求めた“風の又三郎”の像。

「じつは、この『風野又三郎』に、緯度観測所と木村が出てくるんだ。面白いので見てみよう。」

その前の日は水沢の臨時緯度観測所も通った。・・・僕は観測所へ来てしばらくある建物の屋根の上にやすんでゐたねえ、やすんで居立って本統は少しトロトロ睡ったんだ。すると俄かに下で「大丈夫です、すっかり乾きましたから。」と云ふ声がするんだらう。見ると木村博士と気象の方の技手とがラケットをさげて出て来てゐたんだ。木村博士は瘠せて眼のキョロキョロした人だけれども僕はまあ好きだねえ、それに非常にテニスがうまいんだよ。 (『【新】校本 宮澤賢治全集』第九巻、本文篇、28頁、筑摩書房)

「“世界の木村博士”は、賢治には好かれていんですね!」
優子は自分のことのように嬉しそうだ。

「木村がZ項のアイデアを思いついたのは、テニスをしたあとだったという逸話がある(『星の世界 宮沢賢治とともに』(須川力、そしえて文庫35、1979年、191頁)。)
「ええーっ! じゃあ、賢治はその日の木村先生を見ていたんでしょうか?」
「そうだといいんだけど、賢治(風野又三郎)がテニスをする木村を見た日だったかどうかはわからないとのことだ。」
「うーん、残念!」
優子は悔しそうに上を向いた。

賢治、緯度観測所で星を見る

輝明は話を続ける。
「科学好きの賢治は、この緯度観測所がお気に入りだった。なにしろ、緯度観測所は、『銀河鉄道の夜』では、「はくちょう座」にあるアルビレオの観測所のモデルにもなった場所だ。」
「あっ、それは私も知っています。なんだか、幻想的な場面でした。」
「実際、水沢緯度観測所は『風野又三郎』以外の作品にも登場する。たとえば、詩集『春と修羅』の第二集にある「晴天恣意」。」
「これは知っている?」
「いえ、知りません。」
「じゃあ、この詩を見てみよう。」

雲量計の横線を
ひるの十四の星も截り
アンドロメダの連星も
しづかに過ぎるとおもはれる
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第三巻、本文篇、24頁、筑摩書房)

「この部分は賢治が水沢緯度観測所を訪れた際に、望遠鏡で星を観測したときの経験が反映されたものだ。ただし、賢治が視界に見た横線は雲量計のものではない。星の位置を正確に測るための眼視天頂儀の視界に見えた横線のことだ。」
「どういうことですか?」
「賢治は、最初は“天頂儀の蜘蛛線を”と書いたが、それを消して“雲量計の横線を”に書き直しているんだ(『【新】校本 宮澤賢治全集』第三巻、校異篇、47頁、筑摩書房)。観測に用いる接眼鏡(アイピース)には、実際に蜘蛛の糸が張られている。蜘蛛の糸は細くて張力もあり、星の位置の精密測定ができる。賢治がなぜ“天頂儀”を“雲量計”に書き換えたかはわからない。まあ、普通に考えると、気象に関係のある“雲量計“の方に馴染みがあったのかもしれないね。」

「賢治は水沢緯度観測所で星の観測をしたことはあったんでしょうか?」
「観測というより、観望かもしれないけど、望遠鏡で天体は見たようだよ。童話『土神ときつね』にその様子が出てくる。」

「お星さまにはどうしてああ赤いのや黄のや緑のやあるんでしょうね。」
 狐は又鷹揚に笑って腕を高く組みました。詩集はぷらぷらしましたがなかなかそれで落ちませんでした。
「星に橙や青やいろいろある訳ですか。それは斯うです。全体星というものははじめはぼんやりした雲のようなもんだったんです。いまの空にも沢山あります。たとえばアンドロメダにもオリオンにも猟犬座にもみんなあります。猟犬座のは渦巻きです。それから環状星雲(註:「こと座」の方向に見える惑星状星雲)というのもあります。魚の口の形ですから魚口星雲とも云いますね。そんなのが今の空にも沢山あるんです。」
「まあ、あたしいつか見たいわ。魚の口の形の星だなんてまあどんなに立派でしょう。」
「それは立派ですよ。僕水沢の天文台で見ましたがね。」
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第九巻、本文篇、248頁、筑摩書房)

「なんだか楽しそうですね。」
「賢治は教育に関心があったので、こういう場面を書くのは楽しかったんじゃないかな。」

そして、旅立ち

「水沢は花巻からほど近いところにあるので、賢治にとって緯度観測所はとても良い勉強場所だったんだろうね。しかも、そこの所長はあの世界の木村博士だ。」
「花巻だけじゃなく、水沢もイーハトーブの聖地のひとつだったんでしょうね。」
「でも、賢治は旅立ちを考えていた。」
「?」
「優子、ちょっとこの文章を読んで見てほしい。」

しっかりやるんだよ
これからの本当の勉強はねえ
テニスをしながら 商売の先生から
きまった時間で習ふことではないんだよ
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第四巻、本文篇、103頁、筑摩書房、1995年)

「これは意外な文章ですね。」
優子は目を丸くして言った。
「これは賢治の『詩ノート』にある〔あすこの田はねえ〕という詩だ。賢治は花巻農学校の教師をやめたあと、農業を実践するために羅須地人協会を立ち上げた。賢治はひとりの農民になることを決意したんだ。もう理想を言っている場合じゃない。自戒するだけではなく、人にもその考えを伝えたかったんじゃないだろうか。」
「大事なことは自分の頭で考えろ。そして実践せよ。そういうことですね?」
「そうだね、漱石とは違ったスタンスだけど、偉人礼賛型の行動を慎むべきだと自戒したんだろうね。」
「このあたりが、また賢治のいいところですね。」
輝明も優子のこの意見に納得した。

漱石と賢治の繋がりはあるのか?

「ところで・・・。」
「おっ、優子、何か質問かな?」
「はい、賢治は漱石と何か直接的な繋がりはあるんでしょうか?」
「優子はどう思う?」
「うーん、わかりません。でも、ないような・・・。」
「じゃあ、その話は明日しよう。」

不思議な余韻を残したまま、その日の部会は終わった。


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