かわいいとは何か

小説家の平野啓一郎さんは、「かっこいいとは何か」という作品を出しています。それに対抗して、「かわいいとは何か」について考えてみたいと思います。

かわいいと思われたいために、ファッションとか立ち居振る舞いを頑張ったりもしたけれど、結局それって男性の気を引くため。もっと自分らしいかわいさを追求したい!そんな女性も増えていると思います。

では「かわいさ」って結局何?というと、「理屈なく素朴に感じられる正義」だと思います。

例えば、数年前「安倍やめろ」の声が盛り上がったとき、「安倍やめろはかわいい」と言っていた人がいました。どういうことでしょうか。

みんな口に出しては言わないけれど、「日本国憲法なんていじましい」と発言したり、秋葉原で一般市民を指さして「こんな人たちに負けるわけにいかない」と演説したりした安倍元首相を、素直な気持ちで支持できる人ってなかなか少ないと思うんです。口に出して言えない人も多いけれど、素直に怒りを感じて「安倍やめろ」の声を出したことが、「かわいい」ということになる。

もう一つ例を出すと、「ジェンダー平等は余裕がある人の趣味」とか「多様性って何かメリットがあるんですか」という発言を嫌だと思えること。メリットがあってもなくても、素直に「あらゆる人が幸せに生きられたらいいよね」と思って、ジェンダー平等や多様性に理解を示せる人は、かわいいのでしょう。

「かわいさ」を「理屈なく素朴に感じられる正義」と定義するなら、「かわいいは正義」と言われていたこともうなずけます。

もし「理屈なく素朴に感じられる正義」が正義であることを証明しようとするなら、どうなるでしょうか。実は、証明しようとしたとたん大変難しくなります。

数学の世界には、「イプシロンーデルタ論法」という証明があります。これは、例えば「Xが3に限りなく近いとき、Xの2乗は9に近づく」など、ごく感覚的に理解しやすいことの証明に使われます。感覚的にわかりやすいことを証明するのは難しいといわれています。イプシロンーデルタ論法は、大学の数学科などでも証明についていけるのは一部の学生だけだという噂の、悪名高い証明です。

同様に、「安倍やめろ」とか「ジェンダー平等や多様性はすばらしい」と思う気持ちがあって、それらの「かわいさ」が普遍的価値であることを「証明しろ」となった途端、大変難しくなります。ジェンダー平等や多様性の普遍性を数学的に証明するわけにもいかないので、「証明しろ」とうるさい方々には、「まあそう言わず、学ばれて、ご理解いただけませんか」と依頼する以外にありません。

「かわいいは正義」であり、ひょっとすると「かわいいは民主主義」なのかもしれません。


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