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大学1年 秋③ヤンキーの世界は縦社会

実は書きそびれていたけど、僕は学祭の時に自分で作った服のお店を出していた。

それまで作っていたのはリメイクのものばかりだったけれども、学祭に向けて、様々な生地屋さんを回り回ってカットソーを作る。

当時、リーバイスが立体裁断のデニムを発売して人気になっていたので、そこから着想を得て立体になるようにダーツとパイピングを入れた独特のデザインのカットソーを作っていた。

そして、それがそこそこ売れた。

当時はそれが自分のデザイン力がすごいからだと信じて疑わなかった。

でも、結局のところは人脈だったんだと今更ながら思う。


自分で言うのもなんだけど、僕は大学ではとにかく目立つ存在だった。

特に1個上、2個上の先輩たちからはとてつもなく扱いにくい後輩と思われていた。

ヤンキーの先輩たちからもやたらと気に入られていて、ダンサーとしてクラブデビューを果たし、地元のラッパーやDJなど所謂アングラな人たちとも交流がある。

なんとも口出しし難いポジション。

これは確かに扱いにくい。

そして、そんな僕がアパレルブランドをスタートしてオリジナルの洋服を売っているのだ。

ヤンキーの先輩たちは"ブランドやるのすごいじゃん!俺に任せておけ!"と言いながら、自分で買うだけでなく後輩たちにも買わせようとやたら人を集めてくれた。

"俺の後輩がかっこいいブランドやってってからみてやってや"

ヤンキーの世界は完全なる縦社会である。

先輩がいいといったものはいいものになる。

結果、本来のターゲットとは想定していなかった夜の世界の人たちやヤンキーを中心に、僕の作った服はたくさん売れた。

そして学祭からしばらく経ったある日、ベッドロックで知り合っていつの間にか付き合っていたFさんと彼女さんが2人で学食に並んでランチを食べていた。

そして彼女さんは僕の作ったグレイのノースリーブカットソーを着ていた。

入手した理由はなんであれ、自分が作った服を着てもらえるってのはものすごく嬉しいことだと知った。

それからは少しでも時間があれば洋服を作っていた。

今にして思えばその辺の服飾専門学生よりもたくさん作っていたと思う。

どうやったらなれるのかはわからない。

でも、将来の選択肢に"ファッションデザイナー"というものが、芽生えるようになっていた。

ふと、将来やりたいことがなくて悩んでいた高校時代の僕が、笑ってるような気がした。



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