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【短編連作】観測者の箱庭03

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 やばい。
 やばいやばいやばい。
 速度がえげつない。だが、ここで押されたら負ける。
 頼みの綱が、壊されてしまう。
 指がもつれそうになる。実際、何度か縺れた。
 相手はこちらの疲労など知らぬ顔で、遠慮なしに踏み荒らしてくる。
 やめて。お願いだから。
 モニター越しの、正体不明の相手に呼びかける。
 届くはずがない。分かっていても止められない。
 食い止めるのが先か、キーボードが壊れるのが先か。
 貴重な資源に遠慮する余裕もないほど、力任せに叩き続ける。
 僅かな一瞬。オーリネスは、ぶつかりあうコマンドの中に、相手の顔を見た気がした。
 一縷の望みをかけて食らいつく。途端に、壁が消えたような錯覚を覚えた。
 逃げられる!
 立場が逆転しても、相手の方が上手だ。現れた痕跡を巻き取り、鮮やかに退いていく。
 最後の一欠片に手を伸ばす。コマンドは、虚空の中に吸い込まれていった……。
 
「ダメだ。逃げられた……」
 机に突っ伏し、オーリネスは呟く。
 守りきれたことを素直に喜べない。
「だが、無事なんだろう?」
 イスタトゥーミスの呼びかけに、突っ伏したまま頷く。
「なら、良かったじゃないか」
「良くないよ……今週だけで三回目だよ?」
「レジスタンス達も、いよいよといった感じだな。私も手伝えれば良かったのだが」
「無理しなくていいよ。専門外じゃん」
「そうは言うが」
「ぼくは、イスタが一緒に来てくれただけで、充分、助かってるから」
 顔を上げ、オーリネスは力なく笑う。イスタトゥーミスの存在が、唯一の支えだ。だからこそ、余計な負担で疲弊してほしくない。
「無駄口を叩く暇があるなら、さっさと進めろ」
 有無を言わせぬ声音に、二人ははっとして振り返る。肩に銃を掛けた軍服の男が、鋭い目線で二人を射抜いていた。
「申し訳ありません。すぐに取り掛かります」
 椅子から立ち上がり、芝居がかった恭しさを纏わせ、頭を下げる。少しの間の後、扉の音が聞こえてきた。男が出て行ったのだろう。
 一歩間違えば、あなたたちの面目も潰れてたんだけどな。
 扉の閉まる音が聞こえるまで待つ。オーリネスが顔を上げると、唇を引き結んだイスタトゥーミスが、こぶしを震わせていた。
「あいつら、オーリネスの苦労も知らないで……」
「しょうがないよ。技術的なこと全然分からないみたいだし。それでこっちが助かってる部分も多いからね」
 あえて楽観的な口調を選ぶ。目的を達成するためなら、いくらでも道化になれると思っていた。
 まずは地下に避難所を形成し、いずれ他惑星に向かうための施設を作る。
 要人たちが、それらしい理由をつけて始まったプロジェクトだった。だが、実態が完全階級制の超管理社会構想であることが早々に露見し、民衆の怒りを買う。当然その程度で止まる政府ではない。あらゆる手を使って計画を進めている。
 己に降りかかる逆風が見えていて、オーリネスは協力の申し出を受けた。
 動かせる金額が大きいからだ。
 政府を利用して、住人が安心して暮らせるコロニーを作る。それが、オーリネスの目論見だった。だから、構造も、それに必要な配線も設備も、すべて采配した。ただ、一人では限界がある。秘密裏に小細工することも多いから、いずれ重要な位置を任せるAIの開発が遅れていた。そこに、このところ何度もクラッカーが入り込んでいる。
 レジスタンス。本来協力し合えるはずの相手とやりあうのは心苦しかったが、世論を追い風に急速に力をつけていく彼らは、本気で渡り合わねば潰されかねない勢いを持っていた。彼らには、オーリネスも悪人と映るだろう。誤解を解くには、一日も早く成果をあげるしかない。
【102、大丈夫?】
 AIに向けコマンドを打ち込む。外野に余計な細工をされるのを防ぐため、安定稼働するまでは手間のかかる手法を使うことを余儀なくされていた。
【ストレージの一部を開錠されました。内容を盗み見られた可能性があります】
 数秒と経たずに返答が戻る。その内容に、オーリネスは舌を巻いた。
 ぶつかり合い、互いに動けないと思っていたのは、オーリネスだけだったようだ。しっかり侵入されていたことに、気付けなかった。
 それにしても、丸ごと破壊してしまえば済むはずなのに。機密情報でも入っていると思ったのだろうか。生憎、まだ開発途中のAIに、大それたデータは入れていない。学習のためのデータと、オーリネスの日記くらいだ。特に日記はかなり深層に、何重にもロックを掛けて入れてあるから、あの短時間では気付くことすらないだろう。
 ……深すぎるかな。
 AIの確認作業を続けながら、日記に想いを馳せる。己に何かあった時のために、AIの方針や施設設備の意図、コロニーに対する思いを綴った記録だった。
 国に傅きながらも国に反した行動を取る。その危険性は理解している。だから、イスタトゥーミスにすら、日記の存在を伝えていない。本来、彼は惑星探査のメンバーに入るべきなのだ。それを、一人危地に向かうオーリネスの隣にいるためだけに、来てくれた。
 大切な友人を、巻き込みたくなかった。
 
「失礼致します」
 扉が開く前から頭を下げる。視界の端で、扉が横滑りに開いた。
「入りたまえ」
 ゆっくりと顔を上げると、掠れた灰色のスーツを纏う男と目が合った。
 地下世界の支配者。
 何度来ても、慣れない。一歩踏み出すたび、それを上回る強さで弾き飛ばされるような錯覚に陥る。隣にイスタトゥーミスがいてくれて良かったと、何度思ったか分からない。
 未完成の部屋には、家具がない。ただ、全ての壁を覆うモニターが、異様な圧を放っている。その中に立つ男は、逆光でも分かるほどに昏い瞳を、オーリネスたちに向けていた。
 後ろで、大仰な音がする。オーリネスたちと共に、護衛役の軍人が入室していた。
「報告します」
 片手を胸に当て、オーリネスは話し始める。男は微動だにせず佇んでいた。
 オーリネスは、男の表情が動いたところを見たことがない。口数も少なく、何を考えているか分からないところがあった。
 ただ一つ、はっきりしていることがある。
「これは、いつになる?」
 報告を終えると同時に、男は後ろ手にモニターを示した。
「今、このモニターで見られるのは、廊下と大部屋だけだ。他はまだかね」
 地下世界の全てに監視カメラを設置するための配線を回す、その進捗。
 民がどんなに反発しても、男はこの計画を止める気がない。
「それは」
 聞き入れられない。などと、素直に答えられるはずがない。
「民には私の助けが要る。そのためには“目”が必要だ。今のままでは、とても足りん」
 淡々と言葉を重ねる。感情の乗らない視線に絡めとられ、身動きが取れなくなった。
 男はあの“目”を、国民に向ける気なのだ。
「これまで、君は明瞭な答えを返していない。理由を述べたまえ」
 男の言葉と共に、背後で銃の操作音が聞こえた。
 どうする。
「じつは」
 咄嗟に飛び出した言葉が、銃声にかき消された。
 慌てて隣を確認すると、イスタトゥーミスと見つめ合う形になった。二人とも無事だ。
 銃声は続き、廊下がにわかに騒がしくなる。同時に、いくつかのモニター映像が途切れた。
「何事だ」
 軍人が部屋を滑り出る。また銃声が響いた。荒々しい足音が近付いてくる。
 扉が開かれると同時に、イスタトゥーミスがオーリネスを突き飛ばすように部屋の隅へ追いやった。背中が壁代わりのモニターに叩きつけられる。呼吸を奪われ痛みにうめく一瞬のうちに、イスタトゥーミスの背に庇われた。
「ちょっと」
 彼の肩越しに、侵入者の姿が見えた。皆が黒い装備に身を固め、顔を伺うことが出来ない。
 レジスタンス。
「イスタ。退いて」
 オーリネスの抗議は、より壁に押し付けられるという動作で切り捨てられた。
 十人以上いるだろうか。その中心に、防護マスクの頂点から赤茶色のポニーテールをはみ出させた者が立つ。
「こんにちは。オーサマ」
 芯の通った声は、マスク越しでくぐもって聞こえる。どこか、芝居がかった口調。
「趣味の悪い部屋ね。そんなにあたしたちを縛り付けたいの?」
「理解を得ようとは思わん」
 男は動じることなく佇んでいた。武器を持つ相手に囲まれて尚、眉一つ動かない。
「大人しく投降してくれない?」
 女の声に、男が右腕を上げた。予備動作もなく発砲する。女の体が勢いよく傾き、隣人を巻き添えに倒れる。
 だが、血は流れなかった。
 男が再度銃を構えると同時に、レジスタンスたちも銃を構える。
 その中に、影が躍り出た。
「えっ、ちょっ」
 仲間の動揺も気にせず、影は一直線に男に向け飛び込んでいく。右手に、得物があった。
 銃ではない。刀だ。
 影の頭部に、男は照準を合わせる。その手が、止まった。
 あれほど鉄壁だった男の顔に、驚愕と動揺が深い絶望となって刻まれる。影に視線がくぎ付けとなり、銃を握る手が震えた。
 僅かな隙を見逃さず、影は勢いそのまま、刀の柄を男の鳩尾に叩きこんだ。二人の体は奥の壁に飛んでいき、その衝撃でモニターが割れる。映像が数度点滅した後、消えた。
 男の体が、引きずり降ろされるように床に崩れ落ち、動かなくなった。影はその様子を見届けると、小さく息を吐く。
「ちょっとリーダー、いきなり飛び出さないでよ。危ないじゃん」
 苛立ちを隠さない女の声が、場の空気を緩ませた。黒服の集団が口々に同意の声を上げる。
「飛び出さなければ、誰かしら撃たれていたと思うがね。大体、僕が手を出さなかったら、君も今頃怪我では済まなかったはずだが」
 影はそう言って、頭部を覆うマスクを外す。うねりのある黒髪が汗で張り付いているのをかき上げ、切れ長の青い瞳が、オーリネスたちを見た。
 反射的に、オーリネスたち二人は両手を上げる。黒髪の男が首を傾げた。
「何をしているんだね?」
「いや、ぼくらも捕まえるでしょ?」
「……何故?」
「いやだって、ぼくらここの」
「知っているが」
「じゃあ何で?!」
「ホントだよ」
 気付けば、部屋にいるほとんどの者がマスクを外していた。その中で、あの赤茶色のポニーテールの女性が、オーリネスたちに向け、黒髪の男を示す。
「こいつってば、アンタらは捕まえるなーとかのたまいやがったクセに、理由教えてくんないのよ」
「余計な情報で混乱して、計画に支障が出るより良いと思うがね」
「アンタ、あたしたちのことバカだと思ってんでしょ」
「……信用したから、情報は後出しでも構わないと判断したのだが」
「ホントに~?」
「あの」
 言い争いに発展しそうなのを察し、オーリネスは会話への割り込みを試みる。状況が読み切れず、混乱していた。
「どうして、捕まえないの? ぼくらは、いや、ぼくは、政府に加担してたんだよ?」
「……“稀代の天才”でも、分からないことがあるのだな」
「茶化さないで!」
 オーリネスの怒りに動じることなく、黒髪の男がふっと笑みをこぼした。
「あの独白を読んでしまってはな」
 思考が、瞬間的に沸騰した。
「天才は詩的な表現も秀逸だ」
「ちょ、やめて! あれはぼくが死んでから読まれるって思ったから書いてたのに!」
「だろうな。しかし死なれては困るのだよ。あの壮大な計画を、発案者なしで進めるのは骨なのでね」
 黒髪の男は、思考の止まりかけたオーリネスに向け、イタズラっぽい笑みを見せる。
「うっかり殺されずに済んで、良かっただろう?」
「そりゃ、そうかもしんないけど……」
 理解が追い付かない。それでも、自分たちのいる場所が安全になったのだけは分かる。体のこわばりが、ゆっくりと解けていく気がした。
 しかし。
「そのデータ、私も見たいのだが」
 思いがけない言葉に、呼吸が止まる。
「イスタ?!」
 友人は、不満に眉を寄せてオーリネスを見つめていた。
「知らない話だからな。お前また、私に隠れて危険を犯そうとしていただろう」
「きみを守るためにやってたんだけど! きみを死なせる訳にいかないから――」
「それはこちらの台詞だ! 何のためにお前と同じ部署に来たと思っている!」 
「同僚にも隠していたのかね」
 口論に発展し始めたオーリネスたちに、黒髪の男が呆れた声を浴びせる。
 そこに、女の声が加わった。
「あたしも読みたいなー」
「なんで?!」
「そこに、アンタたちを捕まえない理由があるんでしょ?」
 反論の言葉が出ない。思えば、誤解が解けているのは黒髪の男だけなのだ。
「……それもそうか。なら、皆で読むとしようかね」
 分かっていても、自分がいる間にあれを読まれるのは耐えられない。なのに、話はどんどん進んでいく。
「ホント止めて!」
 悲痛な叫びを上げるオーリネスと対照的に、部屋の中は和やかな笑い声に包まれた。
 
 頭が重い。
 体が鉛のようだ。
 直前の映像が強く焼き付き、思考が追い付かない。
「……?」
 体を引きずり上げる。どうやら、机に腕を預けて眠っていたようだった。
 小さな部屋に一人。静かで、なぜか虚しい。
「あれ……?」
 何をしていたか思い出せない。重力に靡こうとする体に必死に抗い、部屋を出る。
 真っ白な廊下。無機質で、冷たくて、寂しい。
 見慣れた風景。知り尽くした場所。
 ようやく安らいだはずなのに。
 どうして、こんなに不安なのだろう?
「オーリネス?」
 あどけない声に呼ばれ、振り向いた。少年が、窺うようにオーリネスを見つめている。
 色素の薄い、真っすぐな金髪。大きな目、色白の肌。幼い容姿に似合わない、堅苦しいシャツと白衣姿。
 何故こんな子供がここに?
「大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ」
 青い瞳は、憂いを帯びた光を宿す。それは、オーリネスを労わるためのものではない。
 失った痛みに、耐える者の目。
 オーリネスの鏡。
「大丈夫だよ。セラ」
 思い出した。
「ちょっと寝落ちしちゃって。すっごい昔の夢を見たせいで、日付の感覚が狂ったみたい」
 のどに力が入らない。声が頼りなく掠れていく。
「お疲れです? きちんと休まれた方が」
「大丈夫。……作業に戻るね」
 必死に笑みを作り、オーリネスは踵を返す。
 部屋の扉が、静かに閉じた。
 
 
終。



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