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『ブルーアワーにぶっ飛ばす』-線路の話-【ネタバレではない】

 京都での劇場公開最終日の手前くらい(確認したら10月23日)に見て、だらだらと感想を書くことを先延ばしにしていた映画にとりかかる。といっても、語りたいのはほんのワンシーンだったりする。他に見どころがなかったとかそういうわけではなく、ここがとにかく刺さった。うまく言葉にならないこの作品の空気感を人に伝えるとしたらここだと思うし、このシーンからいろいろと想像してぼくなりに何か腑に落ちたものがあった。

 ちなみにトップの画像は本編とは無関係です。


 それがトレーラーにも収録されていた、砂田(夏帆)と清浦(シム・ウンギョン)の二人が線路の上を歩くシーン。歩くというか、歩けていないのだが。トレーラーの次のカットで、座りこんでしまった砂田の元・進行方向すぐのところでレールが途切れているのだ。そもそも線路といっても、たいして幅もない農道に一本だけある(つまり二つの車両が行違うことができない)ので列車が走るためのものではなかったのだろう。以前は農作業用のトロッコか何かを走らせていたのだろうか。

 線路を歩くといえば、ジュブナイルムービーの金字塔『スタンド・バイ・ミー』を思い出す。少年たちは線路をたどって森を目指し、死に遭遇したり、生まれて初めて発砲(二次性徴のメタファーだと思う)したりして、少しだけ大人になって帰ってくる。線路があると何が嬉しいか? 列車に乗ることが出来ると、現在地から遠くそびえる山や横たわる川を超えた向こうの異界へと信じられないくらい大きな力と速度で運んで行ってもらえるのだ。現在が窮屈であればあるほど、線路の向こうにはなにか今よりずっとマシな世界が広がっているような気がしないだろうか。

 が、久々に戻った実家に居づらくてフラッと出てきた砂田は、線路づたいにこれ以上どこかへ歩いていくことが出来ない。座り込んでしまった砂田はどん詰まりといった佇まいだが、一方でまさにこの場所が、そしてここで語られる問題こそがケリをつけるべきこと=果たすべき旅の目的なのだと提示されているかのようだ。ところで、実は線路じたい他の重要なシーンでは出てこない。このシーンでだけ砂田が線路を利用しようとすることにも意味がある、と思う。

 では砂田は今回どうやって帰省したかというと、清浦の中古車に乗ってである。それが清浦のものだろうが砂田のものだろうがぶっちゃけたいした問題ではないのだが、ともかく帰省するのに車を調達して運転してくるなどというのは大人にしか出来ないことのひとつだ。清浦の提案で思いがけず急に始まった旅ではあるが、衝動的に旅に出るなら電車を使ってもいい。つまり劇中で移動にはあえて車を使いたかったと考えることも出来る。それは横向きの窓から景色を眺めながらする列車の旅ではなく、進行方向を見つめて自分でアクセルを踏まねばならない車の旅こそがこの物語には必要だったということだ。

 ここではないどこかを目指すのではなく、あくまで見知った場所へ目的を果たしに。なにかを頼るのではなく、大人として。砂田と清浦の今回の旅について、「行って帰ってくる」というロードムービーの基本に加えて、これらの性格を確認できた。未来志向ではないし、青春でもない。だからこそ味わい深い映画『ブルーアワーにぶっ飛ばす』を、象徴するワンシーンだったのではないだろうか。

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