【ネタバレあり】『1917 命をかけた伝令』感想-ゲームっぽさについて


 全編ワンカット(風)撮影が話題のきっかけとなり、その映像美や臨場感が高く評価される本作。せっかくなのでIMAXで見てきた。ちょうど視界いっぱいにスクリーンが広がるくらいの、普段よりも気持ち前めの座席を確保していたが座った瞬間に勝利を確信した。期待を裏切られさえしなければこれ以上ない没入感が得られるはずと、否応なく期待が高まる。

 マァ~~~~~~~~期待の上をいく出来でしたね。

 ワンカット風の撮影と編集のすごさもさることながら、カットの切り替えもないのにはちゃめちゃにいい画をバンバン放り込んでくる感じ。IMAXゆえの画面の鮮明さも手伝っていたと言われればそうかもしれないのだが、それにしたって数分に一回はサム・メンデス監督が「ぼくは映画を撮るのが得意なんだ」とドヤ顔が目に浮かぶくらい。嘘。監督の顔知らない。
 しかし画がきれいなだけではこの異次元の没入感は得られなかったはず。音楽か、もちろんそれもよかった。ワンカットに限らず、主人公たちについて回るカメラワークによるものか、もちろんそれもある。
 ぼくがいちばん引き込まれた原因だと考えるのは、ざっくり言葉にすると「ゲームっぽさ」といっていいものだ。

 なにがゲームっぽかったか。いくつか挙げることが出来る。
・画面全体の色の移り変わりにより、「ステージが変わった」感が出る
・アイテムの拾得や休息などイベントの存在
・マッケンジー大佐の発言やスコフィールドが最後に樹に体を預けて眠る(冒頭と同じ)ことで「繰り返し」を連想させる

 ひとつずつ見ていく。

 冒頭・草原→塹壕・土と軍服の人だかり→出撃~鉄条網地帯・泥の茶と黒→ドイツ塹壕・闇→・・・→夜の廃墟・闇と炎→川・黒→上陸後・草地と桜の花びら→・・・
 というように、緑(安全)や黒(緊張)、白(やや安全)、赤(危険)といったように背景の基調となる色が移り変わっていくなかで、兵士たちの足取りが変わったり、軽口を叩くのか、短くわかりやすい言葉で切迫したやり取りをするのかなど行動が変わる。つまり画面全体の色の感じシーンの緊張の度合いにリンクしており、それが切り替わっていくなかで毎回なんらかのイベント(会話、遭遇、物品の拾得)が起こるのはさながらゲームのステージが進行していくかのようだ。

 上記と関係するが、とにかくイベントが多い。ドイツの塹壕を越えたところで信号弾を打って銃を手放す、ブレイクのドッグタグを彼の兄に渡すなどのサブクエストの発生と達成があったり、牛乳という拾得アイテムが後の母娘との遭遇イベントで役に立ったりといったことがそれにあたる。トラックに揺られながら気付けの一杯を分けてもらうところなど特に好みだ。

 最後にこれは多少の想像力が必要になる、もしくはぼくの想像がいきすぎているのだが、「1917」というタイトルにある年にはまだ第一次世界大戦は終わらないし、阻止された会戦の名前などない(『ダンケルク』(2017)と比べれば分かる)。敵の占領地を越えて味方に伝令を届けるという任務はたしかに無茶だが、それほどない話でもなかったのではないか。ほかにも似たような任務が下されて失敗したり、成功したりしていたのではないか。あるいはマッケンジー大佐が「来週には『夜明けを待って突撃』の指令がまた下る」と口にするなど、結局は気の遠くなるほどの繰り返しのなかの出来事に過ぎなかったのではないか。
 また冒頭とラストでスコフィールドは同じように樹にもたれて眠る。次のカットが存在するなら、またスコフィールドは同じ姿勢で目覚めるのだろう。次のカットではまた別の人物が起き上がって、異なる冒険が始まり、最後にはまた眠りにつくのかもしれない。彼"ら"の戦場での日々はそうやって繰り返していく。
 この繰り返しという想像からは、繰り返し遊べるゲームのシナリオプレイが連想される。FPSっぽい視点でスコフィールドに憑依し戦場を駆けた観客は、もしかしたら次の瞬間には別の任務を受けた別の兵士に乗り移ってまた戦場を駆けることが可能だ。

 これらのどこか覚えのある感覚を手がかりに、ぼくは普通の映画以上にスコフィールドに目を奪われ、見ている間憑依し続けられた。「ゲームっぽさ」に言及するツイートやサム・メンデス監督の発言(しているらしい)に共感し自信をつけて、今回の自身の映画体験を言語化するならこれでいこうと思ったキーワードが「ゲームっぽさ」だ。あながち捨てたものじゃないと思う。
 『1917』を見て同じような感想を持った人がこの記事を読んで共感してくれたら嬉しい。

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