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『ひとよ』解題(?)【ネタバレ】

 白石和彌監督の『ひとよ』を見てきた。「邦画史上最高傑作誕生」の煽りはやりすぎなんじゃないの、などと思いつつ、色々なライターや映画ファンのレビューや批評なんかを事前に見て、抜群に期待感を高められた状態で劇場に足を運んだ。
 それが先日16日のことで、四日ほど「書こうかな、書きたいけど何を書いたらいいか分からないっていうか引き込まれすぎてギャグシーン以外ほとんどメモ書いてないし」と頭を悩ませていた。解題、ということになれれば儲けもの程度の期待を自分にしながら何かを書いていく。


 人にはそれぞれの胸に深く刻まれた特別な時間、その記憶がある。そんな記憶にあるよき出来事の再来という希望はときに人の生きる支えにもなるし、人の生き方を縛り付ける呪いにもなる。それがトラウマ的な悪い出来事であっても同じだろう。もっと悪くすれば、希望が破れて絶望に転じたときにこそ人は何をしでかすか分からない。
 「ひとよ(一夜)」というタイトルにまつわる言及は本編中で何度か為されるが、それらは各登場人物にとっての「ひと夜」をネガティブに、ポジティブに、それらを行き来するようにとそれぞれに性格の異なる捉え方をするものだ。とりわけ稲村家の四人(母と三人兄弟)にとっての「ひと夜」=母・こはるが、子供たちに暴力をふるう夫を殺して自首した15年前の夜の出来事をことの起こりとして物語は描かれていく。しかし稲村家以外の登場人物たちにも、それぞれの「ひと夜」となる出来事が起こり、稲村家の物語と交錯しながらも互いを相対化する役割を果たしている。

 個別に見ていこう。
 母・こはる(田中裕子)は事件の夜、夫を殺し子供たちを暴力から解放して語った。「これからは好きなように暮らせる。自由に生きていける。何にだってなれる。だからお母さん、いますごく誇らしいんだ」と。15年経ったら戻るとの約束をとうとう果たして家に帰るまで、惨めな思いもたくさんしただろう。そして家に帰ってからも、周囲の人々をよそに混乱がぬぐえない者、敵意を顕にするものなど三者三様の態度をとる子供たちに相対することになる。そこで彼女がとった/とらざるを得なかったのは、「変わらない」という選択肢だ。あの夜の約束があり、その約束をしたときの自分を肯定するからこそ生きていける。逆に言えば、生きていくためには肯定しなければならない。また、混乱する家族を前に自分までもスタンスをぶらしてしまえばどうなるか分からない。

 一方、真ん中の弟・雄二(佐藤健)はそんな母の真意を知ってか知らずか、彼女を責めるような言動と、記事作成のための取材を繰り返す。上で述べたようなこはるの感情を引き出すために動く敵役(ヒール)として配置されたかにも見えた彼の行動だったが、(振り返ってみれば冒頭から一貫しているものの)クライマックスで判明するのは彼こそが三人兄妹のなかでいちばん「ひと夜」に縛られ、もがいていたという真実の一端であった。
 事件後、警察署に向かう母を追う車の中で兄妹は約束の15年後について語り合う。兄は「母のような女性と結婚する」、妹は「美容師になって、母が帰ってきたら髪を切ってあげる」、そして雄二は「小説家になる」と。地方都市で起きたスキャンダラスな事件だ。その後、三人兄妹は事件がもとでさまざまな嫌がらせや社会の障壁にあい、うまくいかない人生を送ることになる。三流雑誌のライターとなった雄二はしかし小説家の夢を諦めることが出来ず、家族のスキャンダルの「続編」を記事にしてでも名と金を得てきっかけを掴もうとしていたのだった。何がなんでもあの夜に語った夢を裏切れない、そうでなくては母が父を殺してまで与えてくれた自由に見合わない。そんな思いが彼を駆り立ててやまない。

 ところで、人は自分よりも取り乱している人がいると、それまでどれだけ冷静さを欠いていたとしてもどこかでスッと醒めるものだ。ざっくり言えば、稲村家にとってのその「もっと取り乱す人」であり、物語上で稲村家を相対化するためにある登場人物のひとりが稲丸タクシーの新人運転手・堂下(佐々木蔵之介)である。ある日、別れた元妻と暮らす息子から連絡があり、給料を前借りしてまで一日お出かけと洒落こむ。これが堂下にとっての特別な「ひと夜」となったのだった。
 しかし後日乗せることになった覚醒剤の運び屋がまさにその息子で、ヤクザだったひと昔前の自分と同じようにすでに道を踏み外していたことに深く絶望する。あの夜の思い出は裏切られた。遠ざけていたはずの酒をラッパ飲みしながら、きっちりとボタンを留めた袖に隠していた入れ墨をのぞかせて(ちなみにこのシーンの佐々木蔵之介は滅茶苦茶セクシーだ)暴走する堂下は、同じく我が子からの裏切りにあっているらしいこはるをさらって暴走する。ここで起きるカーチェイスが三人兄妹にとって15年前の追体験となるのもあって、彼はとりわけ重要な脇役だと言える。

 同じ「ひと夜」を持つ兄・大樹と妹・園子や、それぞれにまた異なる「ひと夜」を持つその他の登場人物についても勿論考える余地がある。この映画を見て、翻って自分にとっての希望や呪いになった「ひと夜」はいつだったかと考えることも出来るかもしれない。


 それはそれとして、ぼくは制作側がおそらく狙ったであろうギャグシーンですべて笑わされてしまった。夫を殺したこはるが言う「夫婦にはいろーんなことある!」なんか、ブラックすぎて笑ってはいけないと思いつつもせめて声を上げないように必死だった。「でらべっぴん・復刻号」のくだりでは声を出してしまった。

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